第30話 最初の壁
薬草の採取から数日後、リアたちは、薬草を買い取ってくれる商人を探していた。
同時に、ベルフォード領の屋敷では、採取された薬草の選別と乾燥作業も進められていた。
「これは、まだ乾燥が足りないわ」
「はい!」
「こちらは葉が傷んでいるから、分けておいて」
「分かりました!」
「これは状態が良いわね」
セレスは一束の薬草を手に取ると、窓から差し込む光にかざした。
葉の色、厚み、香り。
どれも、これまで市場に出していたものより良い状態だった。
「順調そうですね」
少し離れた場所で作業を見ていたアルが、リアに声をかける。
「ええ」
リアは満足そうに頷いた。
「採取量も予想していたより多かったわ」
「セレス様の知識があれば、今後さらに安定した採取ができそうです」
「そうね」
リアは、並べられた薬草を見つめた。
採取する人。選別する人。乾燥させる人。
そして、それを管理する人。
きっと高く売れるだろうとリアは信じて疑わなかった。
そして数日後、リアたちは薬草を買い取ってくれる商人を見つけた。
「こちらが、今回の薬草です」
リアは商人の前に、乾燥させた薬草を並べた。
「状態の良いものだけを選別しているわ」
商人は薬草を手に取ると、じっくりと眺めた。
「……確かに、品質は良さそうですね」
「でしょう?」
リアは少し期待を込めて身を乗り出した。
「色も悪くありません」
商人は薬草の香りを確かめる。
「香りも良い」
「それなら――」
「ですが」
商人は薬草を机の上に戻した。
「いくらで売るおつもりですか?」
リアは一瞬、言葉に詰まった。
「……相場より少し高く」
商人は苦笑した。
「それは、難しいでしょうね」
「どうして?」
「薬草は薬草ですから」
「……」
リアは商人を見つめた。
「品質が良いのに?」
「品質が良いことは認めます」
商人は頷いた。
「ですが、薬草を買う側が、その違いを理解できるとは限りません」
「でも、見れば分かるでしょう?」
リアは薬草を手に取った。
「色も、厚みも、香りも違うわ」
「薬草に詳しい者なら、そうでしょう」
商人は肩をすくめた。
「ですが、普通の客はどうでしょうか?」
リアは黙った。
「客が欲しいのは薬草です」
商人は続けた。
「同じ薬草なら、安い方を買う」
「……」
「高い薬草を買う理由がありませんから」
リアは机の上の薬草を見つめた。
「でも、こちらの方が薬効が高いかもしれないわ」
「かもしれない、では売れません」
商人の言葉が、リアの胸に突き刺さった。
「薬草を買う人は、薬草師や薬師だけではありません」
商人は淡々と説明する。
「普通の客は、薬草の細かな違いなど分かりません」
「……」
「良いものだと言われても、何がどう良いのか分からない」
商人は薬草を指差した。
「だから、同じ薬草なら安い方を買うのです」
リアは何も言えなかった。
商人はさらに続ける。
「ベルフォード領の薬草が悪いと言っているわけではありません」
「ええ」
「むしろ、品質はかなり良いと思います」
「……」
「ですが」
商人はリアを見た。
「品質が良いだけでは、商品として高く売れるとは限らないのです」
その言葉を聞きながら、リアは薬草を見つめていた。
採取する者。選別する者。乾燥させる者。
そして、セレスが積み重ねてきた知識。
そのすべてが、この小さな薬草に詰まっている。
なのに――。
「……売れない」
リアが呟いた。
「正確には、売れないわけではありません」
商人が言った。
「普通の薬草としてなら、買い取ることはできます」
「普通の薬草として……」
「ええ」
「つまり、品質の良さは評価されないのね」
商人は少し考えた。
「評価されないというより、伝わらないのです」
「伝わらない?」
「はい」
商人は薬草を見つめた。
「誰が、どこで、どのように育てたのか」
「……」
「この薬草が、他の薬草よりどれだけ優れているのか」
「……」
「なぜ高いのか」
商人は淡々と続けた。
「それが、買う側には分からない」
リアは黙り込んだ。
「良いものを作るだけでは、駄目なのね」
「商売とは、そういうものです」
商人は苦笑した。
「良いものを作れば、誰かが勝手に見つけてくれる。そういうことは、なかなかありません」
その日の商談は、リアが思っていたような結果にはならなかった。
商人は薬草を買い取ること自体は了承した。
ただし、提示された価格は、リアが期待していたものよりもずっと低かった。
商人が帰った後、リアは執務室の机に座り、黙って薬草を見つめていた。
「リア様」
アルが声をかける。
「お気持ちは分かります」
「……」
「リア様は、この薬草にもっと価値があるとお考えなのですよね」
「ええ」
リアは頷いた。
「セレスが何年もかけて育ててきた薬草よ」
「はい」
「採取者たちも、危険な山へ行って採取した」
「はい」
「それなのに、ただの薬草として買われる」
リアは悔しそうに薬草を見つめた。
「これでは、セレスの努力も、採取者たちの努力も、正しく評価されないわ」
アルは黙ってリアの言葉を聞いていた。
「品質が良いのに」
リアは呟いた。
「品質が良いだけでは、駄目なのね」
そのときだった。
リアは、ふと顔を上げた。
「……品質が良いだけでは、駄目」
机の上の薬草を手に取る。
「品質が良いことによるメリットが必要なのよ」
「リア様?」
アルが心配そうに見つめる。
「まずは、この薬草を調べましょう!」
「調べるというのは?」
「まずは、保存性かしら」
アルは少しだけ目を見開いた。
「確かに、これだけ状態が良いなら、他の薬草より長く保つ可能性はありますね」
「ええ。それだけではないわ」
リアは立ち上がった。
「これだけ状態の良い薬草だもの。実際に使ったときの効果にも違いが出るかもしれない」
「なるほど……」
「まずは騎士団に使ってもらいましょう」
アルは頷いた。
「それから――」
リアは、手の中の薬草を見つめた。
「この薬草には、まだ名前がないわ」
アルは首を傾げた。
「薬草の名前なら、あるのでは?」
「種類の名前はね」
リアは薬草を机の上に置いた。
「でも、この薬草がどこで採れたのかは、誰も知らない」
「……」
「誰が育てたのかも」
リアは続けた。
「どんな基準で選別されたのかも」
アルは、リアの言葉を静かに聞いていた。
「この薬草は、他の薬草と同じ名前で売られる」
リアは薬草を見つめた。
「なら、同じものではないと分かるようにすればいい」
アルは少しだけ目を見開いた。
「分かるように、ですか?」
リアはゆっくりと頷いた。
「名前を付けて、品質の違いを買う人に伝えるの」
「名前を?」
「ええ」
リアは薬草を見つめた。
「ベルフォード領で採れた薬草だと、一目で分かる名前を」
アルは黙ってリアを見つめた。
「ただの薬草ではない」
リアは静かに言った。
「ベルフォード領で採れた薬草」
「……」
「セレスが育てた薬草」
「……」
「選ばれた品質の薬草」
リアの目に、少しずつ光が戻っていく。
「その名も……」
リアは一呼吸おく。
「――ベルフォード薬草よ」
「ベルフォード薬草……。分かりやすくていい名前だと思います」
「ありがとう。それから、品質の基準も決めましょう」
「基準を?」
「ええ」
リアは指を折りながら話し始めた。
「採取場所と時期。乾燥方法。選別方法」
「……」
「そういった基準を決めて、条件を満たした薬草だけをベルフォード薬草として売るの」
リアは薬草を見つめた。
「そうすれば、買う人はその名前を見ただけで、一定の品質があると分かるようになる」
アルは黙って聞いていた。
「……それは、すぐにできるものなのでしょうか?」
「それは難しいかもしれないわ」
リアは正直に答えた。
「でも、何もしなければ、このままよ」
リアは窓の外を見た。
「良いものを作っているのに、安く買われる」
「……」
「それでは、事業を続けることが難しいわ」
リアは拳を握った。
「セレスの知識を広げるためにも」
「……」
「採取者たちの仕事を守るためにも」
リアは、もう一度薬草を見た。
「この薬草の価値を、正しく伝えなければならない」
アルは静かに頷いた。
こうして、薬草事業は最初の壁にぶつかった。
良いものを作るだけでは、売れない。
品質が良いだけでは、その価値は伝わらない。
けれど、リアはまだ知らなかった。
この壁は、まだ序の口だった。
この先、薬草事業を本格的に進めるためには――。
「リア様」
執務室の扉の向こうから、声が響いた。
「どうしたの?」
「騎士団から、報告がございます」
「今行くわ」
リアは立ち上がった。
薬草の価値を証明するために始めた、最初の試験。
その結果が、彼女を待っていた。




