第29話 薬草の生い茂る山
薬草事業を始めると決めてから、数日後ベルフォード領の屋敷前には、数人の領民と騎士たちが集まっていた。
彼らの前には、薬草を採取するための道具や、採取した薬草を入れるための籠が並べられている。
「……本当に、これで行くのか?」
集まった領民の1人が、不安そうに山を見上げた。
視線の先にあるのは、ベルフォード領から少し離れた場所にある山。
かつては鉱山として使われていたが、今では閉鎖され、ほとんど人が近づかなくなった場所だ。
「ええ」
リアは力強く頷いた。
「今日は、薬草の採取場所を確認するための調査よ」
「調査……ですか?」
「いきなり大規模に採取を始めるわけではないわ」
リアは集まった者たちを見渡した。
「どの程度の薬草が採れるのか。どの程度の危険があるのか。そして、採取にどれくらいの人手が必要なのか」
リアは指を折りながら説明する。
「まずは、それを確認するの」
「なるほど……」
「採取した薬草も、今日は試験的に管理するわ」
リアはセレスへ視線を向けた。
「セレス、お願いできるかしら?」
「ええ」
セレスは頷いた。
「採取の方法や、採ってはいけない薬草については私が説明するわ」
「よろしくお願いします」
採取者の1人が頭を下げる。
「それから――」
リアは、集まった者たちの中にいる1人の男へ視線を向けた。
元黒狼団のロイドだった。
「ロイド」
「ん?」
呼ばれたロイドが顔を上げる。
「あなたにも手伝ってほしいの」
「俺に?」
「ええ」
リアは山を見た。
「この山は、元々鉱山だったのでしょう?」
「そうだな」
「あなたは、昔この辺りの鉱山で働いていたのでしょう?」
「昔の話だ」
ロイドは少しだけ視線を逸らした。
「それでも、山には慣れているのでしょう?」
「まあな」
「なら、案内役をお願いできないかしら」
ロイドはリアを見た。
「俺が?」
「ええ」
「薬草のことは分からねぇぞ」
「それはセレスに任せるわ」
「……山なら慣れてる」
ロイドは山へ視線を向けた。
「薬草を採る場所まで案内するくらいなら、俺にもできる」
「助かるわ」
リアは笑った。
こうして、薬草事業の最初の調査隊は山へ向かうことになった。
リア、アル、セレス、ロイド、数人の採取者たち。
そして、彼らを守るためのレオン含めた騎士たち。
小さな一団だった。
山へ続く道を進みながら、セレスは採取者たちへ説明を続けていた。
「薬草は、見つけたからといって、何でも採ればいいわけではないわ」
「そうなんですか?」
採取者の1人が驚いたように聞き返す。
「ええ」
セレスは道端に生えていた薬草を指差した。
「例えば、これはまだ採ってはいけないわ」
「どうしてですか?」
「成長途中だからよ」
「でも、薬草なんですよね?」
「ええ」
「なら、採って売れば――」
「それを続けたら、来年にはなくなるわ」
セレスの言葉に、採取者は黙った。
「薬草は、今だけ採れればいいものではないの」
セレスは周囲の草木を見渡した。
「来年も。その次の年も。採れるようにしなければならないわ」
「……」
「だから、根ごと抜いてはいけないものもある」
セレスは別の薬草を指差した。
「若いものは残す。一定の量だけ採る。採取してよい時期を守る」
「そんなに決まりがあるんですか?」
「薬草によって違うわ」
セレスは当然のように答えた。
「だから、知識が必要なのよ」
採取者たちは真剣な表情でセレスの説明を聞いていた。
リアはその様子を少し離れた場所から見ていた。
昨日まで、セレスの知識を知る者はほとんどいなかった。
けれど今は彼女の言葉を聞き、その知識を学ぼうとしている人たちがいる。
「……」
リアは、少しだけ嬉しくなった。
「どうかされましたか?」
隣を歩いていたアルが声をかける。
「いいえ」
リアは前を向いた。
「セレスの知識が、少しずつ広がっていると思っただけよ」
「まだ始まったばかりですが」
リアは笑った。
「だからこそ、嬉しいのよ」
そのときだった。
「止まれ」
先頭を歩いていたロイドが、突然足を止めた。
後ろを歩いていた者たちも、次々と足を止める。
「どうしたの?」
リアが声をかける。
ロイドは地面を見つめていた。
「……ここから先は、足元に気をつけろ」
「何かあるの?」
「昔の採掘跡が残ってる」
ロイドは周囲を見渡した。
「地面の下が空洞になってる場所がある」
採取者たちの間に、緊張が走った。
「空洞……?崩れる可能性があるの?」
「そういうことだ」
ロイドは頷いた。
「俺の後ろを歩け。勝手に道を外れるな」
「分かりました」
採取者たちは真剣に頷いた。
ロイドは、慎重に道を進んでいく。
その歩き方には、迷いがなかった。
「ロイド」
リアが声をかける。
「何だ?」
「あなた、本当にこの山に詳しいのね」
「山なら慣れてると言っただろ」
「でも、今の場所に採掘跡があるなんて、私には分からなかったわ」
「昔、何度も通ったからな」
「昔?」
リアは聞き返した。
ロイドは一瞬だけ黙った。
「……昔の話だ」
「そう」
リアはそれ以上聞かなかった。
やがて、一行は山の中腹へと到着した。
「ここよ」
セレスが足を止めた。
周囲には、様々な薬草が生えていた。
日当たりの良い斜面に岩陰、少し湿った土。
場所によって、異なる薬草が群生している。
「……すごい」
採取者の1人が思わず声を漏らした。
「こんなに生えているんですか?」
「ええ」
セレスは周囲を見渡した。
「ここは、昔から薬草がよく育つの」
リアも周囲を見回した。
ぱっと見た雰囲気だと、セレスの畑のほうが整備されていて、育ちそうな雰囲気がする。
だが、実際はセレスの畑の何倍も育っていた。
「この場所は、セレスの畑と何が違うの?」
セレスはしゃがみ込み、土に触れた。
「土の状態が違うわ」
セレスは土を指先で確認した。
「水はけが良いのに、乾燥しすぎていない」
「それは珍しいの?」
「この辺りではね」
セレスは周囲を見渡した。
「それに、薬草の種類も多いわ」
「それなら、ここを採取場所にすればいいのね?」
リアが尋ねる。
「そう簡単にはいかないわ」
セレスは首を横に振った。
「危険な場所も多いもの」
その言葉を聞いた直後だった。
「あっちにも薬草があります!」
採取者の1人が、斜面の奥を指差した。
そこには、ひときわ大きな薬草が生えていた。
「待て!」
ロイドが叫んだ。
採取者が足を踏み出そうとする。
「そこには行くな!」
「え?」
「危ないぞ!」
ロイドが採取者の腕を掴んだ。
「動くな。そこから先は危険だ」
ロイドは斜面を見つめていた。
地面の一部に、わずかな亀裂が走っている。
「……」
「この下は空洞だ」
ロイドの声が低くなる。
「踏み込めば、崩れるかもしれねぇ」
採取者の顔から血の気が引いた。
「す、すみません……」
「薬草は逃げねぇ」
ロイドは短く言った。
「命の方が大事だ」
リアはロイドを見つめた。
そして、斜面の先に生えている薬草を見た。
「……あれは、珍しい薬草なの?」
「ええ」
セレスは険しい表情で頷いた。
「でも、近づいては駄目よ」
「分かっているわ」
リアは素直に頷いた。
「……本当ですか?」
アルが隣から声をかける。
「本当よ」
「以前にも同じことをおっしゃっていましたね」
「今回は本当に分かっているわ」
アルは疑わしそうな顔をした。
「……アルの心配性」
リアはボソッと呟く。
「何かおっしゃいましたか?」
アルは表情こそ笑顔だったが、目は笑ってなかった。
「いいえ」
リアは不満そうにアルを見た。
そのときだった。
ロイドが、斜面の先をじっと見つめていた。
「……」
その表情は、先ほどまでとは違っていた。
「ロイド?」
リアが声をかける。
「何だ?」
「どうかしたの?」
「……いや」
ロイドは、斜面の先から視線を逸らした。
「何でもねぇ」
「でも――」
「昔は、この辺りも鉱山だった」
ロイドがぽつりと言った。
「え?この辺りも?」
ロイドは一瞬、口を閉じた。
「……」
そして、視線を逸らす。
その手は、わずかに強く握り込まれている。
「いや。何でもねぇ」
「ロイド?」
「薬草を採るなら、あっちの方が安全だ」
ロイドは別の方向を指差した。
「行くぞ」
そう言って、先に歩き始める。
リアはその背中を見つめた。
「……」
「どうかなさいましたか?」
アルが尋ねる。
「いいえ」
リアはロイドの背中を見ながら答えた。
アルはロイドの背中を見た。
「何も聞かなくてよろしいのですか?」
「ええ」
リアは山の奥へ視線を向けた。
「話したくないことを、無理に聞く必要はないもの」
アルは少しだけ目を見開いた。
リアは、ロイドの背中を追いかけた。
その後、一行は安全な場所で薬草の採取を始めた。
「その薬草は、根を残して」
「はい」
「こちらは葉だけを採って」
「分かりました」
「それはまだ採らないで」
セレスの指示に従いながら、採取者たちは慎重に薬草を集めていく。
最初は戸惑っていた者たちも、少しずつ採取の方法を覚えていった。
やがて、籠の中には様々な薬草が集まった。
「……これだけ採れるなら」
セレスは籠の中身を確認した。
「確かに、上手く育てさえすれば、事業として成り立つかもしれないわ」
「本当に?」
リアは嬉しそうに笑った。
「ええ」
セレスは薬草を見つめた。
「ただし、採りすぎないこと。来年も、その次の年も採れるようにする」
セレスは少しだけ笑った。
「それが、薬草事業を続けるために一番大切なことだから」
リアは、籠の中の薬草を見つめた。
まだ、ほんの少しの量だ。
けれど、これがベルフォード領の新しい産業になる。
採取する者、運ぶ者、選別する者、乾燥させる者、管理する者、そして販売する者。
小さな薬草の一束が、きっと多くの人の仕事へとつながっていくはずだ。
「……これなら、きっと上手くいくわ」
リアが呟くと、隣を歩いていたアルが尋ねた。
「何がですか?」
「薬草事業よ」
リアは自信満々に答えた。
「これだけ採れるなら、きっと多くの人に仕事を作れるわ」
「そうですね」
アルは頷いた。
「では、この薬草をどこへ売るおつもりですか?」
「え?」
リアは目を瞬かせた。
「……商人でしょう?」
「どの商人に?」
「……」
リアは黙り込んだ。
「それは……、これから考えるわ」
アルは、ほんの少しだけ目を細めた。
「では、私も一緒に探しましょう」
「ありがとう」
リアは、もう一度籠の中の薬草を見つめた。
まだ、ほんの少しの量。
けれど、これがベルフォード領の新しい産業になる。
そう思っていた。
このときのリアは、まだ知らなかった。
良いものだからといって、高く売れるわけではないということを。




