第28話 薬草事業開始
「薬草事業を始めます」
執務室に集まったアルとレオンを前に、リアはそう宣言した。
「……」
2人の間に、短い沈黙が流れる。
「薬草事業ですか?」
最初に口を開いたのはアルだった。
「ええ」
リアは机の上に置かれた資料を見つめた。
「セレスの薬草を、ベルフォード領の新しい産業として育てたいの」
「彼女の薬草を?」
「そうよ」
リアは頷いた。
「彼女の薬草は、王都の薬師たちが注目するほど品質が高いわ」
「それは存じています」
アルは頷いた。
「ですが、具体的にはどのように?」
「まずは、セレスの知識をもとに、薬草の栽培と採取を広げる」
リアは1枚の紙を取り出した。
「そして、採取した薬草を適切に管理し、品質を保ったまま販売するの」
「……」
「ただ売るだけではないわ」
リアは続けた。
「どの薬草が、どの場所で、どのように育つのか。採取する時期はいつなのか。どのように乾燥させれば品質を保てるのか」
リアは紙に書かれた項目を指差した。
「セレスの知識をもとに、少しずつ仕組みを作っていくのよ」
アルは資料を見つめた。
「かなり大掛かりな事業になりそうですね」
「ええ」
リアは素直に頷いた。
「でも、必要なことだと思うわ」
「なぜでしょうか?」
リアは少しだけ考えた。
「ベルフォード領には、まだ仕事を失っている人がいるでしょう?」
アルの表情がわずかに変わる。
「……はい」
鉱山が閉鎖されてから、仕事を失った者。
領地の混乱によって、安定した仕事を得られなかった者。
新しい領主がやって来たことで、少しずつ状況は変わり始めている。
それでも、すべての人に仕事があるわけではなかった。
「薬草の採取には、特別な技術が必要なものもあるでしょう」
リアは続けた。
「でも、セレスから知識を学べば、できる人もいるはずよ」
「採取者を育成するのですか?」
「ええ」
リアは頷いた。
「まずは、採取者を募集するわ」
「募集……」
「そして、仕事を探している人たちを雇うの」
リアはまっすぐアルを見つめた。
「新しい雇用を作るのよ」
アルは静かに資料を見つめていた。
「……確かに、領民の雇用を増やすことは重要です」
「でしょう?」
「ですが」
アルの声が少しだけ低くなる。
「薬草の採取場所は、元鉱山の山なのですよね?」
「ええ」
「危険な場所だと聞いています」
「その通りよ」
リアは頷いた。
「だから、採取者を守る必要があるわ」
その瞬間、レオンが口を開いた。
「……まさか」
リアはレオンを見る。
「薬草採集の護衛まで、騎士団が担当するのですか?」
リアは頷いた。
「ええ」
レオンは眉間にしわを寄せた。
「……」
「お願いできるかしら?」
レオンは言葉を選ぶように、一度口を閉じた。
「騎士団の役目は、領主様やリア様、領民を守ることです。薬草採集者の護衛が本来の任務ではありません」
「分かっているわ」
レオンはリアをまっすぐ見た。
「街道の整備が進み、以前より安全になったとはいえ、すべての盗賊を排除できたわけではありません」
「ええ」
「魔物の問題もあります」
リアは深く頷いた。
「そのような状況で、騎士団を薬草採集者の護衛に割くのですか?」
レオンの声には、わずかな反対の色があった。
「領地の安全を守ることが、騎士団の最優先ではないでしょうか」
リアは黙ってレオンを見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「その通りね」
レオンの表情がわずかに緩む。
「ならば――」
「だから、守ってほしいの」
「……」
レオンの表情が固まった。
「……はい?」
「薬草採集者を守ってほしいのよ」
リアは淡々と答えた。
「盗賊もまだ残っているのでしょう?」
「はい」
「なら、採取者が襲われる可能性もあるわ」
「それは……」
「魔物も出るのでしょう?」
「……はい」
「なら、守る必要があるわね」
レオンは黙り込んだ。
リアは机の上に置かれた資料を見つめる。
「薬草事業は、領地のために始めるのよ」
「……」
「採取者として雇うのは、ベルフォード領の領民」
リアはレオンを見た。
「その領民を危険な場所へ送り出すのに、守る者がいないというのはおかしいでしょう?」
「しかし、騎士団にも限りがあります」
レオンは慎重に言った。
「全員を護衛に回すわけではないわ」
「それでも、騎士団の人員を割くことになります」
「ええ」
リアは頷いた。
「だから、規模を決めて始めるのよ」
レオンは少しだけ目を見開いた。
「規模を?」
「最初から大勢の採取者を雇うつもりはないわ」
リアは資料を指差した。
「まずは少人数で始める」
「……」
「セレスの知識を学んだ採取者を選ぶ。そして、その者たちに護衛をつける」
リアは続けた。
「そしたら、色々と分かるはずよ。実際に薬草がどれだけ採れるのか。どの程度の危険があるのか」
「まずは調査するということですか」
「ええ」
リアは頷いた。
「最初から大きな事業にするつもりはないわ」
レオンは資料を見つめた。
「……」
「小さく始めて、問題がなければ少しずつ広げる」
リアはレオンを見る。
「それが私の考えよ」
レオンはしばらく黙っていた。
「……失礼しました」
「何が?」
「私は、リア様が勢いだけで事業を始めようとしているのかと思っていました」
「ひどいわね」
「申し訳ありません」
リアは少しだけ頬を膨らませた。
「でも、否定はできないわね」
「……」
「私、勢いで動くことも多いもの」
レオンは困ったように視線を逸らした。
「自覚はあるのですね」
「ええ」
「それなら、なおさら慎重にお願いします」
「分かっているわ」
「本当ですか?」
「本当よ」
リアは少し考えた。
「……たぶん」
アルが静かに口を挟んだ。
「リア様」
「分かっているわ。無茶はしない」
リアは両手を上げた。
「まずは調査。採取者の募集。セレスからの知識の共有。そして、必要な護衛の人数を決める」
「はい」
アルは頷いた。
リアは机の上の資料を見つめた。
「ベルフォード領には、まだ仕事を探している人がいる」
「はい」
「なら、仕事を作る」
リアはゆっくりと言った。
「ただ援助するだけではなく、自分の力で生活できる仕事を」
アルは静かにリアを見つめた。
「薬草を採る者」
リアは指を折る。
「運ぶ者」
もう一つ指を折る。
「選別する者」
そして、さらに続けた。
「乾燥させる者。管理する者。販売する者」
リアは顔を上げた。
「一つの薬草事業でも、関わる人は一人ではないわ」
「……」
「もしかしたら、薬草を育てる人だけではなく、別の仕事も生まれるかもしれない」
リアの目には、少しずつ未来が見えていた。
「セレス一人の才能で終わらせない」
リアは静かに言った。
「セレスの知識を、領地の新しい産業にする」
レオンは、しばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐く。
「……承知しました」
「レオン?」
「薬草採取の護衛については、騎士団内で人員を調整します」
レオンはリアを見た。
「ただし、無理な計画だと判断した場合は、進言させていただきます」
「もちろんよ」
リアは笑った。
「むしろ、そうしてほしいわ」
「……」
「私が間違っていたら、止めてちょうだい」
レオンは少しだけ目を見開いた。
「止めてもよろしいのですか?」
「ええ」
リアは即答した。
「私だって、何でも正しいわけではないもの」
「……」
「領主だからって、全部一人で決める必要はないでしょう?」
レオンはしばらくリアを見つめた。
そして、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「……承知しました」
リアは満足そうに頷いた。
「では、薬草事業を始めましょう」
こうして、ベルフォード領で新たな事業が始まることになった。
最初は、ほんの小さな計画だった。
一人の薬草師。
数人の採取者。
そして、彼らを守る数名の騎士。
けれど、それでいい。
その小さな一歩が、ベルフォード領の大きな一歩につながるかもしれない。
リアは執務室の窓から領地を見つめながら拳を握りしめた。




