第25話 市場視察
街道の再建が終わってから、しばらく経った。
ベルフォード領には、少しずつ活気が戻り始めていた。
しかし、リアの頭からは先日届いた一通の手紙が離れなかった。
『近頃、ベルフォード領産の薬草について、王都の薬師たちの間で話題になっております』
それだけが記された、短い手紙だった。
王都の薬師たちが、ベルフォード領の薬草に注目している。
一体、何があったのだろうか。
リアは手紙を見つめながら、首を傾げた。
ベルフォード領は、決して薬草の名産地として知られているわけではない。
むしろ、長年の財政難によって領地の管理は行き届いておらず、薬草に関しても特別な取り組みをしていた記憶はなかった。
それなのに、王都の薬師たちが注目している。
「もしかして……、何か価値のある薬草があるのかしら?」
リアはそう呟いた。
「まずは実際に流通している薬草を調べてみましょう」
そう考えたリアは、アルとともに市場へ調査にやって来た。
リアは市場の通りを見渡す。
街道を行き交う商人の数が増えていた。
荷馬車が行き交い、露店には以前より多くの商品が並ぶようになった。
まだ以前の賑わいを取り戻したわけではない。
それでも、確かに街は変わり始めていた。
「市場が戻ってきたわね」
市場の通りを歩きながら、リアは周囲を見渡した。
以前なら、閉じたままの店が目立っていた。
けれど今は、空いた店舗のいくつかに新しい看板が掲げられている。
客の姿も増えている。
商人たちの声が聞こえる。
以前よりも、ずっと明るい。
「はい。街道の再建によって、領外から訪れる商人も増えました」
隣を歩くアルが答えた。
手には市場の調査資料がある。
「ただし、まだ空き店舗は3割ほど残っています」
「3割……」
リアは足を止めた。
活気が戻ってきた。
しかし、それはまだ「復興した」と呼べる状態ではない。
市場の通りを見渡す。
賑わっている場所がある一方で、まだ人通りの少ない区画もあった。
「街道が戻ったからといって、市場がすぐに元通りになるわけじゃないのね」
「はい。商人にとっては、ここで商売をする理由が必要です」
アルの言葉に、リアは頷いた。
道を整え、人が来られるようにした。
けれど、それだけでは足りない。
人が来る理由。
買いたいと思う商品。
ここで商売をしたいと思える環境。
まだまだ課題は残っている。
そして、王都の薬師たちが注目しているという薬草も、どこかに存在しているはずだった。
「まずは、どんな商品が売れているのかを確認しましょう」
「承知しました」
二人は再び市場を歩き始めた。
野菜、肉、保存食、布、日用品。
さまざまな店を見て回る。
その途中だった。
「……あら?」
リアの視線が、ひとつの露店に止まった。
店先に並べられているのは、乾燥させた植物だった。
束ねられた葉。
小さな木箱に入った根。
いくつかの瓶に詰められた乾燥した花。
「薬草屋ですね」
アルが店を確認する。
「そうみたいね」
リアは露店に近づいた。
けれど、店の前に客はいない。
隣の露店には何人も客がいるというのに、そこだけが妙に静かだった。
「いらっしゃい……」
店主らしき女性が、控えめに声をかける。
年齢はリアとそう変わらないように見える。
長い髪を後ろでまとめ、服には土がついていた。
おそらく、自分で薬草を採取しているのだろう。
リアは並べられた薬草を見た。
そして、すぐに違和感を覚えた。
「……少し高いわね」
他の露店に並ぶ薬草と比べて、明らかに値段が高い。
同じ種類の薬草にもかかわらず、値段は倍近く違っていた。
リアは隣の露店の商品にも目を向ける。
「この薬草、どうしてこんなに高いの?」
リアが尋ねると、女性の表情が変わった。
「……安物と一緒にしないで」
先ほどまでの控えめな様子とは違う。
強い声だった。
リアは少し驚いた。
女性は並べられた薬草を指差す。
「こっちは、私が育てたものよ」
「育てた?」
「採取したものもあるけど、ほとんどは自分で管理している畑で育ててるの」
女性は隣の露店を見た。
「そこにある薬草は、誰でも採れる場所で採ったもの。私の薬草とは違う」
「でも、値段は倍近く違うわよ」
「品質が違うもの」
女性は迷いなく言い切った。
「土も、水も、育て方も違う。葉の状態を見れば分かるでしょう?」
リアは、改めて薬草を見た。
正直に言えば、薬草に詳しいわけではない。
しかし、葉の大きさや色が確かに違うように見えた。
王都の薬師たちが話題にしているという薬草。
もしかすると、こういうものなのだろうか。
「……それでも、売れていないのね」
リアが呟くと、女性の眉がぴくりと動いた。
「余計なお世話よ」
「ごめんなさい」
リアは素直に謝った。
だが、目は薬草から離れなかった。
商品が悪いとは思えない。
むしろ、価格に見合う価値がある可能性もある。
問題は――、その価値が客に伝わっていないことだ。
リアは露店の商品を見渡した。
アルが隣で小さく息を呑んだ。
リアがこういう顔をしている時は、何かを考え始めている時だ。
「もっと詳しく見せてもらってもいい?」
「……は? どうして?」
「気になるから」
リアは、まっすぐ女性を見た。
女性もしばらくリアを見つめた。
だが、やがて呆れたようにため息をつく。
「……変な人ね」
「よく言われるわ」
「褒めてないわよ」
「そうなの?」
「そうよ」
女性はそう言いながらも、薬草を一束手に取った。
「好きなだけ見てちょうだい」
リアは薬草を受け取った。
「ありがとう」
そして、じっと観察する。
葉の厚み、色艶、香り。
「……葉が肉厚ね」
女性の表情がわずかに変わった。
「香りも違う」
「……」
「乾燥させているのに、香りがしっかり残っているわ」
リアは薬草を指先で軽く撫でた。
「保存状態だけでは説明できない品質だわ」
女性が目を見開いた。
「……分かるの?」
「え?」
「薬草の違いが」
「素人目線だから詳しいことは分からないわ。でも、今までの露店で見せてもらった薬草とは全然違う気がするの」
リアは薬草を見つめた。
「でも、どうしてこんなに違うのかまでは分からない」
女性はしばらく黙っていた。
そして、初めてリアを真正面から見た。
「……セレス」
「え?」
「私の名前よ」
女性――セレスは、少しだけ目を細めた。
リアは微笑んだ。
「私はリア。ベルフォード領の代理領主よ」
「……」
セレスの顔が固まった。
市場の喧騒が、二人の間だけ遠くなったように感じられた。
「……代理領主?」
「ええ」
「あなたが?」
「そうよ」
セレスはリアを上から下まで見た。
「……ずいぶん変な領主ね」
「それもよく言われるわ」
リアは笑った。
そして、もう一度、セレスの薬草に目を向ける。
市場の片隅に、誰にも価値を理解されず、売れ残っている薬草。
けれど、リアはこれがただの売れ残りの薬草ではない気がした。
「そういえば、変な領主様みたいな変な人たちがこの間来たわね」
「変な人たち?どんな人たちなの?」
セレスの表情が変わった。
「王都から来たと言ってたよ。やたらと薬草について詳しかったわ。育て方も根掘り葉掘り聞かれたわね」
セレスは、少し不快そうに眉を寄せた。
「それなのに、薬草のことを聞くだけ聞いて、私には何も教えてくれなかった。どこで、誰が、何のために使うのかもね」
王都の薬師たちの間で話題になるほどの薬草。
もしかしたら、セレスの薬草かもしれない。
「実はね、我が領の薬草が王都の薬師の間で話題になっているらしいの。もしかしたら、あなたの薬草のことなのかもしれないわね」
セレスの表情が変わった。
「王都で、私の薬草が話題になっているの?」
「正確には、ベルフォード領産の薬草について、王都の薬師たちの間で話題になっているそうよ」
リアは、先日届いた手紙の内容を説明した。
セレスはしばらく黙っていた。
「……そんな話、初めて聞いたわ」
「そうなの?」
セレスは、少しだけ自嘲するように笑った。
「そもそも、私の薬草を知っている人自体、ほとんどいないわ」
リアは目を細めた。
「それは、おかしいわね」
「何が?」
「王都の薬師たちの間で話題になるほどの薬草があるのに、作っている本人は何も知らない」
リアはセレスを見つめた。
「それに、あなたの薬草は他のものとは明らかに品質が違う」
「……」
「あなたの薬草畑を見せてもらえないかしら?」
「……どうして?」
リアは少し考えてから答えた。
「あなたの薬草が、どうしてこんなに品質がいいのか知りたいの」
そして、リアは続けた。
「王都の薬師たちが、何に注目しているのかも知りたいわ」
セレスは呆れたようにリアを見た。
「普通、そこまで気にする?」
「気になるものは仕方ないわ」
リアはそう言って、楽しそうに笑った。
アルはその横顔を見つめた。
また始まった。
リア様が何かを見つけた時の顔だ。
そして、こうなったリア様は――。
「……リア様」
「何かしら?」
「くれぐれも、無茶はなさらないように」
リアはきょとんとした。
「まだ何もしていないわよ?」
アルは静かにため息をついた。
セレスは二人を見比べる。
「……あなた、苦労してるのね」
「ええ」
「ちょっと!」
リアの声が市場に響いた。
その日、ベルフォード領の市場で、ひとつの新しい出会いがあった。
誰にも見向きもされず売れ残っていた薬草と、誰にも知られていなかった才能。
そして――。
それを見つけてしまった、ひとりの小さな代理領主。
王都の薬師たちが注目していた薬草。
それを生み出していたのは、誰にも知られていなかったひとりの女性だった。
そして、その女性と出会ったのは、ひとりの小さな代理領主。
この出会いが、ベルフォード領に新たな産業を生み出すことになるとは、この時のリアは、まだ知らなかった。




