第23話 流れを取り戻した日
橋の応急復旧が完了してから数日が経った。
ベルフォード領の朝は、いつもより慌ただしかった。
街道の見張り台に立っていた兵士が、遠くを見つめたまま大きな声を張り上げる。
「商隊だ!」
その一声に、街道で作業をしていた職人や領民たちが一斉に顔を上げた。
土煙を巻き上げながら、街道の向こうから荷馬車が列をなして近づいてくる。
1台、2台――。
数えていくうちに、5台を超えた。
「こんなに……。」
「大きな商隊だ。」
領民たちは驚きを隠せなかった。
ベルフォード領へ、これほど大規模な商隊が訪れるのは何年ぶりだろうか。
リアもアル、レオンとともに街道へ向かう。
やがて先頭の荷馬車が橋の手前で止まり、一人の商人が馬車から降りてきた。
「ベルフォード領主代理殿ですね。」
商人は恭しく一礼する。
「橋が通れるようになったと聞き、参りました。」
リアも笑顔で頭を下げた。
「遠いところ、ようこそベルフォード領へ。」
商人は橋へ視線を向け、感心したように頷く。
「応急復旧と聞いていましたが……。これなら荷馬車も安心して通れますね。」
リアは少し照れたように微笑んだ。
「まだ本格的な修復はこれからですが、まずは通れるようにすることを優先しました。」
商人は満足そうに笑う。
「その判断は正しかったですよ。街道が使えなければ、私たち商人は来られませんから。」
◇◇◇
まもなく買い付けが始まった。
広場には次々と商品が運び込まれる。
羊毛。乾燥させた薬草。加工用の木材。
商人たちは品物を確かめながら次々と声を上げた。
「羊毛はこちらへ!」
「薬草は全部買い取ろう!」
「木材も積み込んでくれ!」
職人たちが荷車を押し、領民たちも協力して商品を運ぶ。
広場は久しぶりの活気に包まれていた。
「全部売れたぞ!」
「薬草も買ってもらえた!」
「次もたくさん育てよう!」
あちこちから笑顔があふれる。
市場ではパン屋の焼きたての香りが漂い、商人たちが次々と買い求めていく。
宿屋の主人も嬉しそうに声を張り上げた。
「今日は満室だ!」
静まり返っていたベルフォード領に、久しぶりの活気が戻り始めていた。
◇◇◇
街道では、元黒狼団の男たちも荷積みを手伝っていた。
ロイドは黙々と羊毛の袋を荷馬車へ積み込む。
その姿を見た若い商人が、一瞬だけ警戒したように足を止める。
だが、ロイドは何も言わず仕事を続けた。
積み込みが終わると、商人は小さく頭を下げる。
「……助かった。」
ロイドは少しだけ目を丸くした。
「ありがとう。」
その一言は、盗賊だった頃には決して向けられることのなかった言葉だった。
ロイドは照れくさそうに鼻をかき、短く答える。
「……働いてるだけさ。」
その横顔には、どこか誇らしさが滲んでいた。
◇◇◇
商品の積み込みを終えた商隊は、再び王都へ向けて出発する。
商人の代表は馬へ乗る前にリアへ振り返った。
「橋が直ったから来られました。街道は商売の命です。本格的に整備されれば、もっと多くの商隊がこの領へ来るでしょう。」
リアは力強く頷く。
「はい。必ず、この街道を立て直してみせます。」
商人は満足そうに笑った。
「その日を楽しみにしています。」
荷馬車の列はゆっくりと橋を渡り、王都への街道を進んでいく。
荷台には、ベルフォード領で採れた羊毛や薬草、木材が山のように積まれていた。
リアはその背中を見送りながら、小さく微笑む。
「ようやく……人が戻ってきた。」
リアは行き交う荷馬車を見送りながら、小さく息を吐いた。
最初は5台ほどだった商隊も、日を追うごとに数を増やし、やがて10台を超える日も珍しくなくなっていく。
ベルフォード領には、少しずつ商人の姿が戻っていった。
◇◇◇
それから半月ほどが過ぎた。
領主館の執務室にあるリアの机の上には、山のような帳簿が積まれていた。
「……よし。」
リアは一冊の帳簿を閉じる。
羊毛の売却。薬草の出荷。木材の販売。市場使用料。街道を通る商隊からの通行税。
止まっていた金の流れが、少しずつ帳簿へ記され始めていた。
向かいではアルが羽根ペンを走らせている。
「こちらも集計できました。」
リアは受け取った紙へ視線を落とした。
収入。支出。利益。
一つずつ確認していく。
そして最後の数字で視線が止まる。
リアは目を瞬かせた。
「……え。」
思わず声が漏れた。
リアは慌てて帳簿をもう一度めくり、計算をやり直す。
もう一度。さらにもう一度。
それでも数字は変わらない。
隣で見ていたアルが首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
リアは紙を見つめたまま、小さく呟いた。
「黒字……だわ。」
執務室が静まり返る。
わずかな金額だった。
それでも間違いなく、赤字ではない。
「本当に……、黒字だわ。」
リアは急いで会議室へ向かった。
アル、レオン、ガレスが集まる。
「皆さん、見てください。」
帳簿を机へ広げる。
「今月の収支です。」
アルは数字を追い始める。
レオンも静かに目を通す。
やがてガレスの手が止まった。
「……これは。」
リアは嬉しそうに笑う。
「黒字です。」
誰も言葉を発しなかった。
静寂だけが流れる。
ガレスは帳簿を見つめたまま、小さく息を吐く。
「久しぶりに……。」
その声は震えていた。
「久しぶりに、この数字を見ました。」
ガレスは静かに目を閉じる。
その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
ベルフォード領が豊かだった頃。
まだ領民が笑って暮らしていた頃。
あの頃には毎月見ていた数字。
それが何年もの間、赤字へ変わり続けていた。
「……戻ってきたのですね。」
誰に言うでもない呟きだった。
リアはそっと帳簿へ手を置く。
前世では、大きな会社で毎月の決算書を見ていた。
売上も利益も、何十億という数字だった。
そこでは黒字も赤字も、どこか遠い世界の出来事だった。
けれど今は違う。
この小さな黒字は、領民一人ひとりが汗を流し、橋を直し、羊毛を育て、商人が戻ってきた証だった。
数字の一つひとつに、人の暮らしがある。
リアは自然と笑みを浮かべた。
「数字って……こんなに嬉しいものだったのね。」
窓の外では、今日も市場から人々の笑い声が聞こえてくる。
あの日、誰も通らなかった街道には荷馬車が行き交い、止まっていた金も、人の心も、再び流れ始めていた。
ベルフォード領は、ようやく本来の流れを取り戻し始めていた。
次回、第2章最終話です。




