第22話 変わり始める
街道工事が始まって数日が経った。
夕暮れの鐘が鳴る頃、その日も作業は終わりを迎えていた。
「本日分第の賃金です」
アルが布袋から銅貨を取り出し、一人ずつ手渡していく。
ロイドは受け取った銅貨を何度も見つめた。
たった数枚の銅貨。
それでも、その重みは盗んだ金とはまるで違っていた。
「……行くぞ。」
仲間へ小さく声を掛ける。
向かった先は、街の小さなパン屋だった。
店の主人は、ロイドたちの姿を見るなり表情を曇らせる。
「……何の用だ。」
警戒するのも当然だった。
つい数日前まで、彼らは街道で盗みを働いていたのだから。
ロイドは黙って銅貨を差し出した。
「パンを3つ……頼む。」
店主は一瞬だけ目を細める。
盗みに来たのではない。
ちゃんと金を払うつもりなのだ。
店主は何も言わず、焼きたてのパンを紙に包んだ。
ロイドはそれを大事そうに抱え、静かに頭を下げる。
「……ありがとう。」
その一言に、店主は少しだけ驚いた表情を浮かべていた。
◇◇◇
家へ帰ると、古びた扉が勢いよく開いた。
「お父ちゃん!」
小さな娘が飛びついてくる。
その後ろから妻も姿を現した。
「……あなた。」
妻は驚いたように立ち尽くした。
「今さら何をしに来たの……。」
声は震えていた。
「盗賊なんかになって……私たちがどんな思いで暮らしてきたと思ってるの。」
ロイドは無言で抱えていた包みを差し出す。
「……パンだ。」
娘は目を輝かせる。
「パンだ! お母ちゃん、パンだよ!」
妻も包みを見つめたまま言葉を失っていた。
「……盗みは辞めてって、あれほどお願いしたじゃない!」
「違うんだ…。働いたんだよ。」
短い一言だった。
妻は驚いたように夫を見つめる。
「働いて……?」
「ああ。街道工事だ。」
娘は何も知らず、嬉しそうにパンを抱きしめた。
「ありがとう、お父ちゃん!」
その笑顔を見た瞬間、ロイドの胸が熱くなる。
盗んだ食べ物を持ち帰った日もあった。
黒狼団になってからは、家に入ることすらできなかった。
夜中、人目を避けて食料だけを玄関へ置き、黙って立ち去る。
そんな日々だった。
久しぶりに見た娘の笑顔。
そして、愛娘からの「ありがとう」。
……これでよかったんだ。
働いて稼いだ金。
その金で買ったパン。
胸を張って家族へ渡せる。
その当たり前が、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。
ロイドは娘の頭を優しく撫でる。
もう二度と、この子の前で恥じる生き方はしたくねぇ。
◇◇◇
一方、その様子を見ていた領民たちの視線は、まだ冷たいままだった。
「あいつらが更生するわけない。」
「また隙を見て盗むさ。」
そんな声も聞こえてくる。
それでも、パン屋の主人だけはぽつりと呟いた。
「ちゃんと金を払って買っていったよ。」
その言葉に、隣にいた客は何も返さなかった。
だが、その表情から僅かな警戒が消えていた。
信頼を取り戻すには、まだ時間がかかる。
それでも、小さな変化は確かに生まれ始めていた。
◇◇◇
その頃、街道では最後の木材が橋へ固定されていた。
職人が大きく息を吐く。
「よし! 応急復旧、完了だ!」
集まっていた職人や領民から拍手が湧き上がる。
やがて、一台の荷馬車がゆっくりと橋へ進んだ。
誰もが固唾をのんで見守る。
橋は軋みながらも、その重みに耐えた。
荷馬車は無事に向こう岸へ渡り切る。
「渡れたぞ!」
歓声が響いた。
少し離れた場所で見守っていたリアは、ゆっくりと橋へ視線を向け小さく微笑む。
荷馬車は無事に向こう岸へ渡り、 商人たちが安堵したように笑っていた。
橋も、人も、少しずつでいい。一歩ずつ、前へ。
リアは夕日に染まる街道を見つめながら、小さく微笑んだ。
◇◇◇
橋の応急復旧が終わってから数日が経った。
ベルフォード領の街道には、少しずつ変化が現れ始めていた。
「商隊だ!」
見張りの声に、領民たちが街道へ目を向ける。
一台の荷馬車がゆっくりと橋を渡ってきた。
荷台にはベルフォード領で集められた羊毛が積まれている。
商人が手綱を引きながら笑った。
「予定どおり、王都まで運びます。」
リアは深く頭を下げる。
「よろしくお願いします。」
商人は力強く頷いた。
「必ず王都へ届けます。」
荷馬車は軋む橋をゆっくりと渡り、そのまま王都への街道を進んでいった。
リアはその背中を見送りながら、小さく息を吐く。
「やっと……ここまで来た。」
アルも穏やかに微笑む。
「ベルフォード領から王都へ商品が出荷されるのも、本当に久しぶりですね。」
その知らせは領内にも広がった。
「羊毛が売れるらしい。」
「また商人が来るかもしれないぞ。」
噂は少しずつ人から人へ伝わっていく。
数日経つ頃には街道には以前より多くの荷馬車が姿を見せるようになっていた。
まだ数は多くない。
それでも、止まっていた流れが少しずつ動き始めていた。
◇◇◇
街道工事も続いていた。
元黒狼団の男たちは今日も汗を流している。
そのとき、一人の男が荷車からそっと離れた。
周囲を見回し、森へ向かおうと足を向ける。
それを見つけたロイドが声を掛けた。
「どこへ行く。」
男は舌打ちする。
「逃げる。今ならまだ――」
最後まで言わせず、ロイドは首を横へ振った。
「やめとけ。」
男は睨み返す。
ロイドは少し間を置いて続ける。
「せっかく手に入れた仕事だ。」
男は黙る。
「俺たちは、ようやく働いて飯が食えるようになった。娘に胸を張って帰れるようになったんだよ。それを、自分から捨てるな。」
男は俯いたまま拳を握った。
やがて、小さく息を吐く。
「……悪かった。」
そのまま荷車の方へ戻っていく。
少し離れた場所で、その様子を見ていたレオンは驚いたように目を細めた。
「止めた……のか。」
レオンの声には、わずかな驚きが滲んでいた。
リアも静かに頷く。
「ええ。少しずつだけど……、確実に変わり始めてるわ。」
ロイドは何も言わず木材を担ぎ直した。
その背中は、数日前までの盗賊とは違って見えた。
◇◇◇
その日の夕方、街道では職人たちが新しい図面を広げていた。
アルがリアへ説明する。
「応急復旧は終わりました。次は本格的な橋と街道の修復工事に入ります。」
リアは図面を見つめる。
「ここからが本番ね。」
橋は少しずつ繋がり始めた。
そして人の心もまた、少しずつ繋がり始めていた。
ベルフォード領の再建は、ここからが本当の始まりだ。




