第10話 失脚
翌朝、リアは資料を抱え、父の執務室を訪れていた。
机の上には帳簿、倉庫記録、納品記録、そして昨夜見つけた書状が並んでいる。
父は黙ったまま資料へ目を通していた。
ページをめくる音だけが部屋に響く。
やがて父は深く息を吐いた。
「……信じられん」
その声は重かった。
「私もです」
リアは静かに答える。
本当なら間違いであってほしかった。
だが何度確認しても結果は変わらない。
父はゆっくり目を閉じた。
「ガレスを呼べ」
短い命令だった。
◇◇◇
一時間後、領主館の会議室には領主である父が座っていた。
さらに、リア、アル、ガレスも揃っている。
呼び出されたガレスはいつも通り落ち着いていた。
「お呼びでしょうか」
穏やかな笑みさえ浮かべている。
その姿を見て、リアの胸が痛んだ。
つい数日前まで、自分はこの人を疑うことすら考えていなかったのだから。
「座ってくれ」
父が言う。
ガレスは素直に席へ着いた。
「何か問題でもございましたか?」
リアは机の上へ資料を並べた。
「緊急対策費について調べました」
ガレスの表情は変わらない。
「ほう」
「その結果、不自然な支出が見つかりました」
死亡した人物への謝礼金。
存在しない村への支払い。
消えた物資。
1つずつ説明していく。
だがガレスは落ち着いていた。
「記録ミスでしょうな」
即座に答える。
「人数も多い。確認漏れはあり得ます」
「1件ならそうかもしれません」
リアは視線を逸らさない。
「ですが、これは1件ではありません」
「部下の不手際かもしれませんな」
ガレスは肩をすくめた。
「私も全てを確認できているわけではありませんので」
逃げ道を残した答えだった。
だがリアは準備していた。
机の上へ別の資料を置く。
倉庫記録。納品記録。備品台帳。
「騎士団へ納品されたはずの物資が消えています」
「盗難では?」
「毎年ですか?」
ガレスが黙る。
「剣も、防具も、馬具もです」
会議室が静まり返る。
それでもガレスは口を開いた。
「状況証拠ですな」
その言葉にリアは頷いた。
「ええ」
そして最後の一枚を取り出す。
「だから、これを持ってきました」
折り畳まれた書状。
ガレスの視線が初めて揺れた。
ほんの一瞬だった。
だがリアは見逃さなかった。
書状を机へ置く。
父も目を通し、顔色を変えた。
「これは……」
ガレスは何も言わない。
リアは静かに読み上げる。
「今回も予定通り北街道にて引き渡す。
騎士団への納品数は帳簿通り処理済み。
金銭はこれまでと同様、情報提供料として処理している。
次回分も同様の方法で問題ない。」
部屋の空気が凍り付いた。
「説明していただけますか」
リアが尋ねる。だが、返事はない。
「ガレス」
リアはその名を呼ぶ。
幼い頃、勉強を教えてくれた人。
父の代わりに遊んでくれた人。
優しく笑ってくれた人。
その全てが頭をよぎる。
だからこそ聞きたかった。
「これはあなたの筆跡です」
ガレスは黙ったままだ。
だが、リアは続ける。
「信じたくありませんでした。今も信じられない自分がいます。」
気付けば声が震えていた。
「何か理由があるのだと思っていました。帳簿の間違いだと。誰かに利用されているのだと。」
リアは拳を握りしめる。
「でも違った。間違っていたのは帳簿じゃない。」
ガレスがゆっくり目を閉じた。
初めて見せる沈黙だった。
「あなたがしたのは領地のためではない!」
リアの声が会議室に響く。
ガレスは視線を落としたまま動かない。
いつも穏やかに笑っていた男は、もうリアの目を見ようともしなかった。
長い沈黙が流れる。
やがてガレスが小さく口を開く。
「……お嬢様には分かりません」
掠れた声だった。
「私にも事情があったのです」
その言葉に、リアは息を呑んだ。
否定ではなかった。
言い逃れでもなかった。
それは――。
認めたということだった。
ガレスはそう言うと力なく目を閉じた。
そこにいたのは、幼い頃から慕ってきたガレスではなかった。
会議室を重い沈黙が包む。誰も口を開けない。
やがて、その沈黙を破ったのは父だった。
「事情とは何だ」
領主としての厳しい声だった。
ガレスはしばらく俯いていたが、やがて観念したように口を開く。
「5年前のことです」
リアも息を呑んだ。
「盗賊被害が急増しました」
街道は襲われ、商人は離れ、税収も減った。
領地全体が不安に包まれていた時期だ。
「私は騎士団の増強を進言しました」
「ですが予算は不足していた。兵も足りなかった。」
ガレスは自嘲気味に笑う。
「だから私は考えたのです。まずは時間を稼ごうと」
リアは眉をひそめた。
「時間を?」
「ええ」
ガレスは頷く。
「街道が完全に機能しなくなれば領地は終わる。騎士団を立て直すまでの間だけ。そのつもりでした。」
そして静かに続ける。
「盗賊へ通行料として金を渡したのです」
会議室の空気が凍り付いた。
リアは言葉を失う。
「表向きは情報提供者への謝礼金として処理しました」
「最初は少額でした。その結果、襲撃も減った。」
ガレスは拳を握る。
「私は正しいと思っていたのです」
だが――。
「盗賊は金を要求し続けました。
拒むと盗賊被害が激しくなり、渡さざるを得なくなりました」
ガレスはうつむきながらも話し続ける。
「年々金額は増えていきました。
そして、私は引き返せなくなりました。」
帳簿改ざん。架空支出。予算流用。
全てはそこから始まった。
「気付けば騎士団の予算にまで手を付けていました」
リアは目を伏せる。
だから装備が不足していたのか。
「私は領地を守ろうとしただけでした」
ガレスは震える声で言った。
「ですが結果として領地を弱らせた。
全て私の責任です」
「馬鹿者!!」
父の怒声が会議室に響いた。
リアは思わず肩を震わせる。
父がこれほど怒る姿を見たことがなかった。
「なぜ相談しなかった!なぜ一人で抱え込んだ!」
ガレスは何も言えない。
「お前は私の右腕だった!それなのに何故だ!」
父の声には怒りだけではなかった。
悔しさと悲しみが滲んでいた。
長年信頼してきた部下だったのだ。
ガレスは深く頭を下げる。
「申し訳ございません」
その一言しか出てこなかった。
◇◇◇
長い沈黙の後、父は静かに言った。
「ガレス」
「はい」
「お前にはこの領地を去ってもらう。」
父は苦渋の表情で言った。
「異存ありません」
ガレスは静かに頭を下げる。
それで終わりのはずだった。
「待ってください!」
リアが立ち上がった。
全員の視線が集まる。
「リア」
父が眉をひそめる。
だがリアは引かなかった。
「確かにガレスは間違えました。決して許されることではありません」
それでも続ける。
「でも、この人は領地のために働いてきたんです」
ガレスが目を見開いた。
「領地を支えていたのも、街道を維持してきたのも、文官たちをまとめてきたのも…」
全て事実だ。
「功績まで無かったことにはできません」
父は黙って聞いている。
「今の領地は人手不足です。ガレスの知識も経験も必要です」
リアは父を真っ直ぐ見た。
「だから――」
一度息を吸う。
「重要な役職には置けなくても、領地のために働く機会を残してください」
◇◇◇
父は腕を組み、しばらく何も言わなかった。
重い沈黙が流れる。
やがて深く息を吐いた。
「……甘いな」
苦笑にも似た声だった。
「ですが…」
リアは引かなかった。
父はそんな娘を見つめる。
そして静かに目を閉じた。
「ガレス」
「はい」
「本来ならば牢へ入れてもおかしくない罪だ」
ガレスは静かに頷く。父は言葉を続けた。
「だが、今回の件は、お前をそこまで追い詰めてしまった私にも責任がある。」
ガレスの目が揺れた。
「それに、今回の件で分かった」
父はリアを見る。
「リアよ。お前はもう、守られるだけのお嬢様ではない」
リアは目を見開いた。
「誰も気付かなかった不正を見つけ、証拠を集め、そして私の前まで持ってきた。それは、領主として必要な資質だ」
父は言葉を続ける。
「ちょうどいい機会なのかもしれん。
王都での婚約破棄騒動の後から、お前の将来をずっと考えていた。そして今回の件で決心がついた。」
父は大きく深呼吸した。
「お前を私の後継者にしようと思う。」
リアは驚きを隠せない。
そんなリアを見つめながら父は話を続ける。
「そこでだ、リアよ。この領内の全ての権限をお前に1年限定で預けようと思う。」
「つまりそれって……」
私は目を瞬きさせながら尋ねる。
「そうだ。刑罰も、領主館の人員配置も全てお前が決めなさい。」
「お父様、ありがとうございます!」
リアは深く頭を下げた。
そして、姿勢を正し、ガレスを見つめる。
「ガレス。文官長の任は解く。財務権限も全て剥奪するわ。
でも、領地再建のため、私直属の事務官となり、その知識を使って」
今度はガレスが固まり、しばらく何も言えなかった。
やがて震える声で答える。
「ですが…。」
「今度は何事も隠さずに、領民のために働くことが私からの刑罰です。」
「……もったいないお言葉です」
深く頭を下げる。
その肩は小さく震えていた。
◇◇◇
翌日、ガレス解任の噂は領地中へ広がった。
「ガレス様が?」
「信じられない」
「何かの間違いじゃ……」
領民たちは衝撃を受けた。
文官たちも動揺している。
それほどまでにガレスは慕われていた。
だが現実は変わらない。
不正は事実だった。
◇◇◇
その日の夕方、リアは一人で帳簿を開いていた。
赤字。人口流出。崩れた街道。盗賊問題。
何も解決していない。
むしろ本当の戦いはここからだった。
リアは大きく息を吐く。
「問題だらけね」
すると背後から声がした。
「今さら気付いたのですか」
呆れたような声だった。
振り返るとアルが立っていた。
さらにその後ろにはガレスもいる。
昨日まで文官長だった男。
今は全ての権限を失い、リア付きの事務官として働いている。
ガレスを完全に許したわけでもない。
だが、もう前を向くしかなかった。
リアは帳簿を閉じて立ち上がる。
「やるしかないわね」
赤字。人口流出。荒れた街道。盗賊問題。
山積みの課題を前にしても、今は一人ではない。
アルがいる。
そして、ガレスもいる。
「やれる気がしてきたわ」
領地再建。
その第一歩が、ようやく始まろうとしていた。




