1話 おままごと
「う〜ん……頭が痛い。飲みすぎたか……?」
伊集院 徹、30歳。職業、しがないシステムエンジニア。
昨晩はデスマーチを終えた解放感から、居酒屋で泥酔した記憶まではある。
しかし、目を開けた徹の視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井ではなく――やたらと巨大なカラフルな遊具と、広大な砂場だった。
「……は?」
声をだそうとした瞬間、自分の口から出たのは「あう?」という気の抜けた幼児の声。
驚いて自分の手を見ると、キーボードを叩きすぎてタコができた指ではなく、クリームパンのように丸々とした、ちいさな手だった。
(ヤダこれっ…かわちい!)
服を見下ろせば、鮮やかな黄色のスモックに、胸元には大きな「ひまわり」の名札。そこには丸文字でこう書かれている。
『とおる くん』
「まさか……」
徹は冷や汗を流した。これはいわゆる「異世界転生」や「過去へのタイムリープ」というやつか。しかし、なぜよりによって幼稚園児なのか。せめて高校生くらいからやり直させてほしかった。
「とおるく〜ん! 一緒におままごと しよ〜!」
背後から声をかけてきたのは、ツインテールの女児。名札には「さくら」とある。
30歳の理性が「幼児に付き合うなんて無理だ」と拒絶反応を起こすが、ここで不審な動きをして「怪しい園児」と思われるわけにはいかない。徹は必死に記憶の引き出しをあさり、園児っぽいスマイルを作った。
「うん! いいよぉ!」(裏返った声)
(三十路がこれやるのきちーぞ!)
砂場に座り直し、さくらちゃんが差し出してきたプラスチックの皿を受け取る。
皿の上には、泥で作られた割とクオリティの高い球体が乗っていた。
「はい、これお肉ね! とおるくん、これ焼いて!」
「お、おう……じゃあ、網に乗せて……」
徹は落ちていた木の枝を網に見立てて、泥の塊を転がした。その時、ふと脳裏に前世の記憶――いや、昨日の記憶がよぎる。
(待てよ。おままごととはいえ、メニューの組み立てが必要だな。肉があるなら、次は炭水化物と野菜だ。彩りを考えて、あっちの黄色い花と緑の葉っぱを添えれば、インスタ映えするワンプレートにできる…
でもこれだとビタミンが足りない……!!!
はっ…欠乏症を起こしてしまうではないか!)
気づけば、徹の職人気質(SEのロジカルシンキング)に火がついていた。
「さくらちゃん、ちょっと待っててね。今、最高のディナーコースを作るから」(イケボ)
「ディナー……こうす?」
徹は猛烈な勢いで砂を盛り、落ち葉をちぎり、小石を配置し始めた。
30歳のブレインと、幼児の器用な手先(※ただし体力はない)が融合する。
5分後。
砂場の上には、泥で作られた見事な**「ハンバーグステーキ〜シャリアピンソース風、季節の温野菜を添えて〜」**が完成していた。泥の表面を水で濡らし、絶妙なツヤ(肉汁)まで再現されている。
「できたよ。どうぞ」
「……しゅごい……」
さくらちゃんは目を輝かせて、泥のハンバーグを見つめている。
徹はフッと鼻で笑い、心の中でガッツポーズを決めた。(どうだ、これが大人の全力だ!)
「とおるくん、天才! じゃあ、次はお会計ね!」
「……え?」
さくらちゃんはどこからか拾ってきた大きな葉っぱを差し出してきた。
「はい、これ請求書! 100万円になります!」
「……っ!?」
『請求書』というワードに、徹の全神経が防衛反応を起こした。前世で何度も苦しめられた、あの忌まわしき書類。
「クッ……そう来たか!さくらはそっち系だったか! 納期は!? 支払い期日はいつだ! 締め日は今月末か!? 振込手数料はどちら持ちだ……っ!?」
「え? え? とおるくん、どうちたの……?」
突然頭を抱えてガタガタ震え出した徹を見て、さくらちゃんはドン引きしている。そして過去のトラウマと重なって徹は気を失った。
精神は30歳、身体は5歳。
徹の、長くて短い(2回目の)幼稚園生活は、まだ始まったばかりである。




