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17.

「なんか、すごかったね」


 融崇甫がいなくなり、麦もおとなしくなり。

 ようやく太乙殿へ戻るルートを歩いている3人。

 小鳥がポツリとつぶやいた。


「ちょっとおもしろかったかも?」


 するとタジは静かに首を振る。


「そういうことは、言ってはいけないよ」

「優しいんだ」

「そうじゃないよ。

 ただ少し、気持ちが分かるだけ」

「へぇ?」


 時刻は夕方になり始め、渡り廊下に西陽が差し込む。

 小鳥は腕を伸ばし、日除けにタジの帽子を奪う。

 タジは猫で両腕が塞がっているため、抵抗も取り返しもできない。


 もっとも大した鍔がある帽子でもない。

 最初から日除けにならない。


「タジさん猫もダメなの?」

「じゃあ今抱えてるのダメじゃん。代わるか?」


 飛兄妹がタジの腕の中を覗き込む。

 麦は今や、なんの文句もなさそうに収まっている。

 さすがは後娼、妃嬪すら虜にする手付きということか。


「シャーッ!」

「うおぁっ! 危ねぇ!」


 飛燕が伸ばした手に、素早い迎撃が繰り出される。

 単純に飛燕よりマシなだけかもしれない。


 その様子を見ながら、タジは静かに笑う。


「猫じゃないよ。私がダメなのは羊の皮」

「羊?」


 飛燕の目が驚きに見開かれる。


「でもオマエ遊牧民だろ? 人間より羊の方が多い集団じゃん」

「だから本来男だけでやる騎射をやっていたんだよ。

 羊に触れない、近寄れない。世話ができない。繕いものも厳しい。


 でも騎射なら相棒は馬。相手は狼や羊泥棒。

 羊の監視は遠巻きにしておけば平気だろう?」


「なるほどねぇ」


 最初は素直に頷いていた飛燕だが、


「あ」


 何か気付いた声を上げる。


 タジはニンマリと笑みを返す。

 その細まった目から覗く、


 鳶色の虹彩の左に対し、瞳孔が開ききって黒か赤褐色に見える右の瞳。


「それも落馬事故で目を負傷して、できなくなってしまった」


 タジの調子は、苦労話をするそれではない。

 他人の履歴書でも読み上げているくらい特別な感情はなく、


『昨日散歩してたらアゲハ蝶飛んでた』


 と同じ程度の『過去』ではあるらしい。


「すると、いよいよ全てが面倒になってね。

 まだ他に持てる役割はあったんだけどさ。

 天神(テングリ)に


『この地にオマエの居場所はない』


 と言われているような気さえした。


 それで故郷を飛び出して、とりあえず朝夏に来たってわけさ。


 ま、結局羊の担当外れてもさ。ちょっと体調崩すと、


『羊の世話した人とすれ違う』


 とか、


『処理が甘かった羊皮の服を着る』


 とかだけでクシャミと涙止まんないのさ。

 どのみちいつかは飛び出してたと思う」


 タジはニヤリと笑う。


 小鳥は対照的に目をウルウルさせている。

 飛燕のように驚いたりはしていないので、すでに聞いてはいたのだろう。

 それでも心を痛めている。感受性が豊かなのだろう。


 一方飛燕は、何も相槌を打たない。

 タジは暗い話ではないように語るが、

 彼が感情を定義するのは違うと思ったからである。



 そんな、優しいのか寂しいのか。温かいのか隙間風が吹くのか。

 よく分からない空気感で廊下を歩いていると、



「あら、タジさん?」



 一部の人には聞き覚えのあるがする。

 向かい側から歩いてきたのは、



「鄭妃さま」



 後宮随一の、笛子の名手たる妃嬪である


 との説明で思い出された方もいるだろう。


 かつてタジが解決した、徐妃による『演奏会薬物過剰投与事件』の被害者。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう。その後はいかがですか?」


 タジが笑い掛けると、鄭妃はは(・)に(・)か(・)み(・)ながら小首を傾け、


「先ほども


『私の演奏を聴きたい』


 とおっしゃってくださる方がいらっしゃいまして。

 お呼ばれしました!」


 袖の内側から笛子を取り出す。

 頬が赤いので、『自慢っぽくなるな』とは(・)に(・)か(・)ん(・)だ(・)のだと思われたが。


「それはよかった」

「はい! とても楽しかったです!」


 それにしては声が大きい。

 単に大好きな酒を召しただけかもしれない。


 タジの『よかった』も、事件から心身が立ち直ったことに関するコメントだが。

 本人は単に『腕を認めてもらってよかったね』くらいに捉えたようだ。


 まぁそれくらいが、綺麗に事件を忘れて立ち直った証拠か。


 それでホッと気が抜けたのか。


「ニァオ!」

「おっと」

「逃げた!」


 麦がタジの腕から飛び出した。

 慌てて小鳥が追い掛けようとするが、


「あらあら」


 意外にも麦はそのまま走り去らず、鄭妃の足元をくるくる回る。


「気に入られたのかな?」

「きっと他の猫の匂いがして気になったんでしょう。

 お呼ばれした先で、猫をたっぷりモフってましたから」

「猫お好きなんですね」

「大好き! 肉球の匂い嗅ぐ!」

「なんか人の言葉を使う魔性みたいなこと言い出したぞ、この人」

「まぁいいや、そのまま捕まえてください」

「肉球嗅いでいいですか!」

「いいですけど飛燕くんはさっき顔引っ掻かれましたよ」

「大丈夫です。痛くない痛くない」

「いや、痛いのは痛いって」

「そもそも抱っこできる?」


 鄭妃は特別大柄でもないし、趣味もインドア。

 対する麦は大柄の長毛種だが。


「んー、まっ♡」


 猫愛がなせる技か。軽々抱え上げる。

 そのまま腕を揺する姿は、もはや赤ん坊をあやす人ではあるが。


 鄭妃はご機嫌で、仰向けの麦の顔に顔を寄せる。


「うーん、かわいいサイベリアン(北伯猫)ちゃんですねぇ♡」


「『北伯(ペイボー)』?」


 小鳥が首を傾げてタジを見る。


「あぁ、そうか。コイツが北伯猫か」

「ねぇねぇ、そのハイホー? って何?」

「あぁ」


 小鳥に袖を引っ張られ、ようやくタジも彼女の方を見る。


「北伯は、遠い北の国が起源の猫でね」

「どのくらい?」

「私の故郷より北」

「そんなところ生き物住めるの!?」

「毛が長いでしょ」


 タジは両手が空いたのをいいことに、小鳥から帽子を取り返す。


「わざわざそんな遠いところから猫貰ったの? 猫なんて朝夏にもいるじゃん」

「いいところに気付いたね」


 それから小鳥の頭を撫でる。


「さっきの融先生を見たでしょ? 世の中には猫がダメな人がいる」

「うん」

「でもね? 体質的に無理でも、かわいくて好きって人はいる」

「私は犬の方が好き」

「それは今どうでもいい」


 しかし、所作ほど優しいわけではないらしい。


「で、長*(チャン)代のさる妃嬪にもいらっしゃったそうだ。


 猫ダメだけど大好きで、飼いたいけど諦めている妃嬪が」 *かつて朝夏にあった王朝


「かわいそうに」

「当時の皇帝もそう思った。

 だから彼が手を尽くした末手に入れたのが、北伯猫なんだ」

「どういうこと?」


 タジが麦の顎を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らす音がする。


「どうやら猫自身の体質でね。


 猫がダメな人でも、反応が出ないんだそうだ」


「神じゃん!」

「神さ。だからそれ以来、細々と飼い継がれてきたとは聞いていたけど。


 そうか、コイツがそれか。


 実物を見るのは初め、て……」


「タジさん?」


 急にタジの声がトーンダウンする。

 テンションが下がったというよりは、



「そうか、もしかしたら」



 何か考え込んでいるような。


 かと思えば、


「タジさんっ!?」


 急に、小鳥はおろか、猫や鄭妃も放置し走り出してしまう。


 小鳥も釣られて走り出し、


「え? え?」


 完全に困惑してしまう鄭妃。

 かわいそうだが、飛燕としても妹を放って置けない。


「すいません! ちょっと猫預かっといてもらって!」

「えぇ!? いいですけど!」


 せっかくふたつ返事でOKしてくれた鄭妃だが。

 おそらく3人の誰も聞き遂げることなく、走り去っていった。











「あら、タジさま。麦は」

「あとでっ」


 そのまま爆速で向かったのは太乙殿。

 それも友殿下お住まいの区画、元宿直室。






 タジが部屋へ飛び込むと、そこには案内してくれた侍女がいた。


「あら、タジさま」

「部屋の掃除は!」


 あまりの勢いに驚く侍女だが、冷静に頷く。


「いえ、まだですわ。

 いなくなっていらっしゃったので、していいものか迷っていたんですの」

「素晴らしい!」


 タジは肩で息をしていたが、ようやくホッと落ち着けたらしい。

 ベッドに近付くと、枕の側にゆっくり腰を下ろした。


 そこには、まばらに散らされた、灰色の毛。


 タジはその1本を摘み上げ、

 人が悪そうに笑った。











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