12.
翌日の昼。後宮医の詰め所にて。
「顔色が優れんようだな」
「えっ」
融崇甫は曹立に声を掛けられた。
卓に着いてボーッと、食事の手が止まっているのを見咎められたらしい。
「睡眠不足かね」
「あぁ、いや」
「友殿下の件で、無理をさせてしまったか」
寝られていないのは事実であった。
ワンタンスープすら喉を通らないほどにダメージを受けている。
その理由を曹立は、いつぞや夜番を任せたせいだと判断したらしい。
だからこそ責任を感じて、話し掛けてきたのだろう。
「いや、まぁ、そうではない」
その勘違いは申し訳ない。
が、事実を言えるわけもない。
融崇甫は曖昧に笑って返す。
『そうではないと信じてもらおう』
と騙しに掛かるよりは、素直に
『あまり踏み込まないでくれ』
と牽制する態度で。
となると曹立も、
「そうかね。適度に休むようにな」
話をまとめてしまう。
何か家庭の事情でもあったと理解したことだろう。
これが融崇甫の計画どおりか、単に彼には演技力がなかった結果かは分からないが。
そこに、
「おう、どうしたどうした」
別の医者が混ざってくる。
「いや、融先生の具合が悪そうだという話でな」
「あぁ、朝から『心ここにあらず』といった感じだったものなぁ」
「!」
彼は含みもなく、適当に例えて言っただけだろう。
しかし融崇甫にとってはまさしく、体調不良ではなく
『どうにも心がザワ付き落ち着かない』
状態。
その理由まで見透かされたような気分になる。
が、言った本人はその様子には気付かない。
気さくに隣へ腰を下ろす。
「そういえば、以前も悩んでいることがあったな」
(まさか、林貴妃の……!?)
見透かすどころか、肉を透かして心臓までつかまれたと錯覚する融崇甫だが、
「確かあのときは、西方へ赴任した息子さんが風土病に罹ったんだったか」
「あ、あぁ、あぁ!」
さすがにそれはなかったらしい。
ホッとしたところに、優しい声が滑り込む。
「また何かあったんだったら、一度会いに行くのもいいと思うぞ。
なぁに、医者はたくさんいる。
陛下もたまの長期休暇くらい、お許しくださる」
「ふむ」
それもありかもしれない、と融崇甫の脳裏によぎる。
いっそ追い詰められるまえに逃げ出してしまうのだ。
そう。長期休暇と言わず、後宮医を辞めればいい。
そのまま息子のところへ引っ越して、町医者でもやれば……
(いや、しかし……!)
融崇甫の脳裏に、今度は若かりし日の自分と林貴妃が浮かぶ。
(あのときも同じ判断ができた……!
そうせなんだのは、後宮医というキャリアがため!
人を殺してまで手に入れたものを、ここまで守り抜いたものを!
こんなところで手放していいのか!?
先日もこれを守りたいがために、あの業突く張りを殺めたのではないのか!?)
言うなれば、そもそもことの始まりは
『過去が融崇甫を逃さず追い付いた』
とでも言うべき韋氏の暴露から。
となれば当然なのか。
また過去が彼を縛り付ける。
しかし、
「それがいいかもしれんな。何かと最近の後宮は物騒だ」
曹立が控えめに声を出す。
「妃嬪の殺害が相次いだかと思えば、ついに先日、侍女まで殺されたとか」
「!」
「そうだなぁ。そんな立ち場の人まで殺されるとなればなぁ。
いよいよオレたちも危ないかもしれないな」
「うむ。このまえは
『酒宴で薬を盛って、過剰投与を起こさせる』
という事件もあったとか。
我々は妃嬪たちの禁忌薬も既往歴も知っている。
何に巻き込まれるか分かったものではない」
「!!」
こう言われると、一気に逃げ出したくなる。
「むむむむ」
「お? どうなさった、融先生」
「普通に具合が悪かったのか?」
「いや」
頭痛が融崇甫を襲う。
食欲は失せ果て、眼前のワンタンスープの匂い、なんなら
『食べもの』
という情報だけで、吐き気すらしてくる。
「少し、外の風に当たってきますわな」
室内という閉塞感にすら耐えかねて、彼は詰め所をあとにする。
食べるかも分からないワンタンは、すでに冷めてしまっている。
今更気にすることもないだろう。
「ふう」
庭へ出た融崇甫が空を見上げると、
「……最近は抜けるような秋晴れが続いておったのに」
叢雲がやや影を帯びて斑らに灰色。
まるで彼の心のようである。
もっとも、晴れていたらいたで
『空はこんなにスッキリ青いのに、ワシの心は……』
とか難癖を付けたに違いないのだが。
前髪がある人は揺れる程度の、程よい秋風すらも。
今の融崇甫には体温を奪う、悪魔の笑う吐息でしかない。
「もう戻ろうかの」
これまた世界から拒絶され、排斥されるかのように感じた融崇甫。
すごすごと詰め所へ戻ろうとした
そのとき、
「あ、融先生」
背中に声が掛かる。
例えこの世の全てが彼を見放しても、彼女だけはどこまでも探しに来るだろう。
そう思える声。
振り返った先にいるのは、
「タジくん」
「どうも」
北方の、騎馬民族風の女。
お辞儀をすると、ズレてもいない帽子の位置をなおす。
もちろん先ほどの『探しに来る』は、悪い意味でである。
「何か、用かね」
「はい」
作りもの100パーセントの笑顔もさることながら。
それを隠そうとしない態度。
もはや『これが私の戦装束だ』とでも言わんばかり。
(むしろ何考えとるか分からんよりは、いいかもしれん)
もっとも、融崇甫は多少なりとも普段のタジを知っている。
違和感の方が勝って、気持ち悪いのだが。
「悪いが、ワシは忙しいでの。今日は相手してやれんのじゃわ」
「えー? でも今は中休みの時間では?」
「患者の資料整理などがある。推理ごっこであれば、武官の彼にでも」
「いえ、先生でなければダメなんです」
「っ」
さっきまでは妙に間延びした、相手を刺激しないよう気遣った話し方。
しかしむしろ癪に障る話し方。
それが一転、ハッキリと融崇甫を呼び止める。
(まさか、ここでトドメを刺すと? もう? バカな。そんな……)
脳をぐるぐるかき混ぜられる錯覚。
そこから飛び散った混乱が、汗となって脳天から流れ落ちる。
(ここはなんと言われても、
『ダメだ』
『付き合っている暇はない』
と押し通さねば!)
融崇甫が手汗をグッと握り込む。
それを見ていたわけでもあるまいが、合図のようにタジはひと言、
「私今日、頭痛いんですよ」




