11.
「それは、あり得るの」
融崇甫の掠れた返事は、
『相槌を最小限にとどめてボロを出さないようにしょう』
か、はたまた
『黙ってはマズいので無理矢理でも声を絞り出す』
なのか。
一方タジの方は
『今まさにノってきた』
という感じ。
「しかもその相手は顔見知り、親しい相手であることも分かります」
「なぜじゃ?」
「円卓は本来、序列がないことを表す卓ではありますが。
それでも『上座はある』とされることが多いです。
韋氏が座っていた席はそれに当たる。
これはなかなか難しいことです。
いっそ妃嬪たちのあいだであれば階級があり、序列は分かりやすい。
しかし彼女は侍女です。
『同じ身分同士での年功序列』
以外に
『仕えている妃嬪は誰か』
という要素がある」
融崇甫は医者である。
ゆえにあらゆる身分制をすっ飛ばし、誰からも一定の敬意を得られる。
これがいかに後宮医として長かろうと、妃嬪たちのパワーバランスに疎くさせる。
「侍女まで上下の取り合いか。醜いものだの」
「いえ、むしろ過剰なまでの礼儀です。
所属している『閥』がある以上、その振る舞いは主人の教育。主人の代理であり体現。
お互い下手に扱っては
『◯妃は△妃なら下に扱ってもいいと考えている』
悪くすると
『◯妃の父の◯大臣閣下は、△妃ご実家の△家を』
なんて、政治問題にすらなりかねない」
「むむ」
一方タジは、話したがりの妃嬪とピロートークするのが仕事。
キャリアの年数以上に事情通である。
「ですから待ち合わせの相手は知人、それも相当親しい相手です。
席の上下など気にしない、常に無礼講で通せる相手。
もしくは、
誰が疑問を差し挟む余地もないほど、明確に上下が付いた相手か」
(迂闊だったわい……)
ある種の専門家として生きてきた男である。
民間療法で症状を悪化させたりと、専門外の領域で火傷する連中も見てきたが。
まさに今、自身がそうなっている。
もっとも、殺人を犯す以上に迂闊なこともあるまいが。
「そやつが犯人に違いない、と」
「はい」
「いやしかし、タジくんの言うとおり待ち合わせの相手がいたとしよう。
じゃが
『待ち合わせていた人物と殺した人物は別』
というのも成り立つのではないか?」
「あり得ません」
タジは肩を竦め、大袈裟に口角を上げる。
「韋氏があの場に残っていたということは、待ち合わせ相手がまだ来ていなかった。
あるいは話し合いの最中だったことでしょう。
そこで例えば先生のおっしゃるように、粛妃が韋氏を殺害したとしましょう。
あとから来て死体を、もしくは乱入者による殺人現場を目撃して、
どうして通報しなかったんでしょう。
韋氏の遺体が発見されたのは、翌朝散歩なさっていた妃嬪によってです」
これ以上粘っては怪しい。
融崇甫自身、つい先日
『やりすぎると「自分が粛妃を犯人にしたいだけ」のようになる』
と自制したばかりである。
しかし、これ以上好きに論理を展開させては。
悪い予感が彼を焦らせる。
事実、その予感は正しいことを歴代の犯人が証明している。
「話し合いが終わったあとも、韋氏はひとりで残っていたのかもしれん。月を」
「見ている座席ではありませんね」
「何か心に来ることを言われ、座り込んでいたとか」
「であれば一層、交友関係を洗いたいところです。
そこまで踏み込んだ話題を共有できる相手は限られてくるでしょうから。
韋氏がなんらか殺害されるきっかけになるような事情・揉め事。
知っていらっしゃる可能性も高い」
しかし何を言っても返される。
先ほど肩を竦めたタジの態度が示すように。
もはや会話や議論の体を成していないほど、主導権が一方的である。
こうなってはもう、融崇甫にできることはひとつ。
「それは分かったが。
ではなぜ、交友関係をワシに聞く?
別段ワシは韋氏と友人でもなんでもない、ただの医者じゃぞ」
そもそもの問題はここなのだ。
それに比べたら、犯人を粛妃とミスリードできているかはどうでもいい。
何せ、
「ですが、韋氏が仕えていた田妃の主治医ではあられますでしょう?」
「それは」
「先生あなた、その田妃のところへ月に一度は
『定期検診』
だか
『ご機嫌伺い』
だかに出向いてらっしゃる。
他の担当している妃嬪には行っていないのに」
どれだけ『自身が被害者と繋がっているか』を知られている指標なのだから。
「それは」
「田妃が特別高齢であるとか、重い持病があるとかであれば分かりますが。
どうやらそうでもないみたいですね。
となれば、個人的に親しい関係であり、多少は事情も知っている。
そう考えてもいいと思ったのですが」
もう融崇甫は何も考えられなかった。
うまい返しなど思い付かない。
もはや彼の全神経は、手の震えを抑えるために集中している。
それでも白翡翠の玉斗が微かにココココトコトと音を立てる。
タジに聞こえていないのを祈るばかりである。
「い、いや……。あいにく、何も知らんでな。
所詮ワシは『主人の主治医』。やはり友人関係にでも聞くのが早かろう」
「ですか」
特に捻りもなく、脳死で絞り出した否定。
対するタジは、
「分かりました。ご協力ありがとうございます」
にっこり笑って、深々と頭を下げた。
「もしかしたら、またお話を伺いに来ることがあるかも分かりません。
そのときはよろしくお願いいたします」
「うむ、うむ」
どうやらこの場は乗り切れたらしい。
「では」
タジがズレてもいない帽子の位置をなおし、立ち去っていくのを眺め、
ついにその背中も見えなくなると、
「あぁ!」
融崇甫は胸で詰まっていた空気を一気に吐き出す。
それが全身の力を抜けさせたのだろう。
「おぁっ」
盆が傾き、玉斗が地面に落ちる。
せっかくの玉斗。栄光の証。酒器。
それが砂にまみれてしまう。
その光景が、怒り、悲しみ、転落の予兆、嘲笑の幻視。
複雑に彼の心を掻きむしり、
「っあぁ!!」
ついに融崇甫は怒りに任せ、盆を地面へ叩き付ける。
せっかくの絹もロールがコロコロ転がり、面にたっぷり砂を付けてしまう。
肩で息をする彼には、まだ後悔する冷静さもない。
これだけの惨状のなか。
不幸中の幸いは、玉斗が欠けていないことくらいであろうか。




