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9.

「いやしかし、人生なんて虚しいもんだなぁ」


 飛燕が両手を頭の後ろで組み、空を見上げる。

 3人は神鷹殿を出て後宮の中庭を歩いているところ。


 空は抜けるように青く秋晴れの様相だが、彼の心は晴れない。


「どうしてそう思われるのかね」

「いや、子ども亡くすわ、病気するわの果てが『殺人罪です』って。

 努力はしても報われないのに、不幸は理由もなく生えてくる。

 冷静に考えたら、割に合わない話じゃないっスか」


 吐くため息に色があったなら、それが雲となっていただろう。

 だがそれには季節がまだ秋でしかない。


「否定はせんがの。せんからこそ、負の方向で真面目に考えるのはオススメしませんぞ。

 病むだけ病んで、何も解決しませんからな。

 特に精神病患者と会ったあとなどは」

「っスか」


 言われたそばから、飛燕は後方を振り返る。

 もう粛妃の部屋の窓すら見えないが、心には映っていることだろう。



 当の粛妃はまだ連行されていない。


 皇帝陛下に簪の確認が取れた時点で、


『彼女が犯人である』


 という大筋の結論は形成されていた。



 しかし陛下自身が


『確実と言えるまでは。捕えるのは、まだ待ってやれ』


 鶴のひと声を発したのである。



 陛下も、精神を病んだゆえ神鷹殿に『隔離』した相手でも、

 いや、だからこそ気に掛かっていたのだろう。

 哀れに思ったのだろう。


『心神喪失だから罪に問うな』


 と、現代の司法じみたことまでは言わなかったが。


『疑わしきは罰せず』


 という価値観はねじ込む、彼なりの慈悲であった。

 もっと現代じみて言うなら、このまま在宅起訴にでもなるのだろう。



 飛燕など基本的に、細やかな神経はなさそうな人間である。

 彼がガラにもないことを言い出したのも、そんなやり取りがあったからだろう。


 今朝話を聞いた、人生のスパンで通りすがりの男ですらこうなのだ。


「オマエもやっぱり、そういうこと考えたりする?」


 付き合いのある相手であったなら。


 飛燕はずっと黙ったままのタジへ話を振る。


 しかし彼女は、


「……」


 数秒待っても黙ったまま。


「おーい」

「……」

「オマエは粛妃と付き合いあったんだろ?

 簪のことも、死体見たときに気付くくらいにゃ教えてもらってたわけで」


 やはり細やかな神経などあるまい。

 飛燕が黙る相手へ無遠慮に押して、ようやく


「そうだな」


 帽子の位置をなおした。粛妃の部屋でズラしてから、ようやく正常に戻る。


 しかし、帰ってきた言葉は、



「そもそも私は、粛妃が犯人だとは思わないかな」



「えっ」


 予想どおりでも期待外れでもない、ウルトラCだった。

 どうやら黙りこくっていたのは、単に思案中だっただけらしい。


「ええええええ!?」


 これには飛燕も怪訝な声をあげるし、



「先生、どうされました? 急に立ち止まって。忘れ物ですか?」

「あ、いや、ワシもちょっと衝撃で」



(何を言い出すんじゃこの女は!?)



 全て計画どおりと思って油断していた融崇甫には、不意打ちで致命傷である。

 飛燕が叫んでいなければ、彼が口から心臓を吐き出していたかもしれない。


「そりゃどうして!」


 飛燕がタジの正面に周り込む。

 彼からすれば、陛下に報告する内容が丸っと変わってしまうのだ。

 聞き捨てならない。


「ワシも気になるの。お聞かせ願いたい」


 融崇甫だって見過ごせない。


 集中する視線に、タジは自分で言い出したくせに面倒そうな顔をする。


「えーとですね」


 ズレてもいない帽子の位置をなおしてから、まずは融崇甫に視線を合わせる。


「先生。粛妃のお部屋には、鍵を沈めた水盆がありましたね?」

「うむ」

「あれは、粛妃の夢遊病対策なのだとか」

「そうじゃな。


『錠を掛けても、眠ったまま鍵を開けて出てしまう。

 であれば、鍵を取るとき手が水に触れるようにすれば目が覚める』


 というものじゃ」


 タジは下唇に右手人差し指の第二関節を添えながら、うんうんと頷く。


「それが?」


「だとすればやはり、粛妃が犯人というのは考えにくい」


(バカな)


 融崇甫としては、そうは言わせられない。


「『夢遊病で殺害に向かうまえに目が覚めるはず』


 と言いたいのかね?

 それはどうであろうな。お主も見たじゃろうに。


 窓の板が外れておったのじゃ」


 言わせないための細工を施しておいたのだ。

 先ほど目の前で指摘すらして見せた。


「寝たまま外して、そこから出ることも」



「私がしているのは、部屋を出るまえの話ではありません」



「なっ」


 しかし、彼の目論見は根本からひっくり返される。

 いや、『立っている場所から違う』と言うべきか。


「ではいったい」


「粛妃の手です」


「手?」

「あるいは服、寝具、窓枠なんかでもいい」


 飛燕は話の要領を得ず、自分の手のひらを眺めている。

 そんなところに答えがあるわけなかろう。


 一方、融崇甫はさすがにインテリか、


「あ」


 タジが言わんとしていることを理解し、ポカンと口を開ける。



「どこにも血が着いていませんでした。



 簪は被害者の眼球に、根本近くまで刺し込まれていました。

 あれだけ押し込むには、こう、握った状態ではなく。

 手のひらで、密着するくらい押し込む必要がある。


 そこまでやれば、普通は手か袖には血が着くでしょう。

 実際、被害者の頬には血が擦れた跡がありましたし」


「あー!」


 1歩遅れて飛燕も話を理解し、ポンと手を打つ。


「なのに彼女が被害者を殺害後、戻ってきた部屋には、


 どこにも血の形跡がない。


 こうなるとすれば、条件はただひとつ。


『帰ってくる途中に手を洗った』


 しかし」



「そしたら鍵の入った水盆と一緒で、目が覚めちまうってわけだ!」



 大声で人差し指を立てる飛燕に、タジは優しく微笑んで頷く。

 小学校教師のようである。


「だから粛妃が


『夢遊病のうちに人を殺した』


 としても、


『それを自分で知らない』


 ことはあり得ないのです」


「……なるほど」


 これはマズい。

 融崇甫の計画は、


『否認する能力がない粛妃に容疑を向けることで押し切ってしまう』


 というもの。このまま


『そもそも犯人は誰か』


 で捜査が始まると、被害者である韋氏の関係者を洗うターンが始まる。

 そこから彼に話が行かないとは限らない。


 融崇甫は脳をフル回転させる。


「では、粛妃は知っていてす(・)っ(・)と(・)ぼ(・)け(・)た(・)のではないか?


 確かに彼女は人がよい。

 しかし、それで素直に殺人を自白はできんであろうよ」


「動機が分かりませんねぇ」


「調べてみれば何か出てくるかもしれん。


 あぁそうだ。あの侍女頭!

 粛妃を起こしに行った際に血まみれの室内を見て、証拠を隠滅したかもしれん」


「であれば、私なら窓の板が外れているのを放置しません。

 見たところ釘が抜けていただけだったので、すぐに直せます」


 まさか自身のしたことが、ことごとく裏目に出るとは。

 融崇甫が絞り出した反論は、



「ま、忘れたのかもしれん……。人間、完璧ではなかろう……」



「……」

「……」

「……」


 さすがに彼自身、言ってから『しまった』と思った。



(これではワシが


『どうしても粛妃を犯人ということにしたいヤツ』


 みたいになってしまうではないか!)



『みたい』ではなく事実そうである。


 苦し紛れの返事より、そのあとが挙動不審になり掛けている融崇甫に対し、タジは



「……かもしれませんね」



 作りもの100パーセント。

 絶対にそう思っていない微笑みで小首を傾げた。











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