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8.

 昼食を終えて胃も落ち着き、消化に血液を取られて眠くなる時間帯。


 特にここ、神鷹殿は先帝の妃嬪方がいらっしゃる場所。

 お年を召された方も多く、秋で日中過ごしやすい気温になったこともあって、


 ほぉら、そこの窓辺のロッキングチェアで、おばあちゃまがこっくりこっくり……



「ありえませんわ!」



 そんな空気を引き裂いたのは、


「しかし、陛下にも確認が取れました」

「何かの間違いです!」


 粛妃の寝室。

 ベッドで上体を起こした主人を庇うように立つ、侍女頭であった。


 彼女と向かい合って、椅子も貰えず突っ立っているのは、


 向かって左から飛燕、タジ、融崇甫の3人。

 小鳥は医者を恐れて着いてきていない。











 時間を少し遡る。

 タジが死体の検分をしていたときまで。


「粛妃ぃ?」


 飛燕の役目はお目付け役。自分で推理はしないものの。

 逆にタジがつかんだ情報は、仔細漏らさず知っておく必要がある。

 ゆえに知らない名前が出てくれば、追及せねばならないのだが。


「おい、その粛妃って、


 おわぁ!」


 返事をしないタジに近寄ると、


 彼女は死体の目から簪を引き抜いているところだった。


「何してんだオメェ!?」


 タジは無視してそのまま簪を抜き取る。


「げっ」


 当然ながら黄金色など見えず血でベッタリ。

 なんなら、ところどころにデコボコと何かが引っ付いている。


 それが血の塊なのか、血を纏った何かの破片なのか。

 飛燕は考えないことにした。

 どっちにしろ気分がよくはならない。


「あの」

「は、はい! あ、お、お茶……」

「お椀だけください」

「あ、へ?」


 タジはすっかり怯えてしまった宮女から器を受け取ると、桟橋の方へ。

 床板と転落防止の柵の下部の隙間から手を出し、池の水を掬う。


 別に高価でもなさそうな木製の椀だが、食器の扱いに宮女が眉を顰(しか)めるも、


「あっ、ちょっ」


 タジはお構いなしに、血まみれの簪を浸けてしまう。

 しゃがんだまま、数回ジャブジャブして雑に血を落とすと、


「血赤珊瑚のストラップ(根付け)。

 櫛は太めで、表裏で仲杜書(ヂォンドゥシュー)の『野兎絶句』が彫られている。


 間違いない」


 ブツブツ言っていたタジが立ち上がるのをひと区切り。


「その『粛妃』っていうお方は?」


 飛燕が声を掛けると、タジはようやく彼の方を振り返る。


「この櫛の持ち主だよ。


 私の記憶が確かなら、これはご懐妊の折に陛下から賜ったものだ。

 飛くん、これを持っていって、陛下に確認を取ってくれないか」


「分かった」






 そういった経緯があって、持ち主が判明し冒頭に至るのだが。


 そこまでのやり取りを、融崇甫がニヤ付きを抑えながら眺めていたこと。

 それも判明していたかは分からない。











「お妃さまが人を殺すなど、あり得ません!」

「いや、でも」

「あり得ません!」


 なのでもはや言い逃れのできない証拠が提示されているのだが。

 侍女頭は頑として譲らない。


 飛燕が『どうすっかなぁ』という目でタジを見る。

 ここまで3人サイドを代表して話していたのは彼である。


 一応武官だけあって官吏、タジより官位が高い。

 というわけで


『重要な事項は君が話せ』


 とタジに言われたのだが。


 彼女は飛燕が視線を向けると、ズレてもいない帽子の位置をなおす。

 いや、普段はなおすところ、今回は意図的にズラしている。

 横目に飛燕が映るのをシャットアウトしたかたち。


 そもそも普段は飛燕がいようと好き勝手しゃべるのがタジである。

 要は面倒なことを押し付けただけであろう。


 逆説的に、普段遠慮なく他人の地雷をモグラ叩きしてまわるタジが避けるほどのこと。

 それはやはり、


「不可能です!


 お妃さまはご覧のとおり、ご病体なのですよ!?」


 相手が相手だからだろう。

 犯人を詰める気マズさは平気だが、弱者ガードは苦手らしい。


 しかし、飛燕が言い返せないまま10秒近く経過したのを見て、


「はぁ」


 ため息ひとつ。


「よく存じております。


 粛妃さまが夢遊病を患っていらっしゃるのは」


 すると、強気だった侍女頭が「ぐむ」と黙る。

 先ほど


『病体である』


 と言いつつ具体名には言及しなかったように。

 あえて目を背けていた部分を突かれた様子である。


 対してタジも、侍女頭から視線を外す。

 見逃したのではない。


「夢遊病になられたばかりのころ。

 よく


『眠るのが怖い』


 と、夜通しの話相手にお呼びくださりましたね」


 斜め1歩前に出て、侍女頭の向こうの粛妃へ話し掛けている。


「そのときお聞かせくださいましたことも、よく覚えています。


『動いているあいだ、意識はない』

『記憶も残らない』


 と」


 そこにまた、侍女頭が横に動いて割って入る。


「あなた! まさか


『お妃さまが夢遊病で人を殺した』


 とおっしゃりたいのですか!? 無礼な!」

「それは」

「お妃さまがそのような方でないこと!

 それこそタジさまならよくご存知でしょう!


 それに殺されたのも、田妃さまだかの侍女だという話ではないですか!

 そんな方、面識もない!


 なぜお妃さまがわざわざそんな人間を殺さねばならないのです!」


 タジの返事は歯切れが悪かった。

 どうやら相手の弱者ガード以前に、仲がよいゆえのや(・)り(・)に(・)く(・)さ(・)があったらしい。


 その淀みに侍女頭がたたみ掛けると、


「誠に失礼ながら……」


 答えたのは融崇甫である。


「意識がないのです。そこに正常な判断はありません。

 粛妃さまが人を殺されるような方でないことは存じております。


 ですが無意識下の粛妃さまは、粛妃さまではない、

 なんなら人間が人間ですらない状態なのです。


 何が起きたとて、不思議ではありません」


「う、うぅ」


 たかだか後宮娼婦に何を言われても振り切れるが、医者に言われるとそうはいかない。

 人間の常である。


 体は硬直しつつ、視線は右往左往する侍女頭だが、


 その目が棚の上を捉える。


「ですが、それはあり得ません!


 確かにお妃さまは夢遊病ですが、外に出られたはずはない!」


 彼女が指差した先にあるのは、陶器のボウル。


「部屋の内鍵はあの中です!

 盆には先生のお言い付けどおり、水を入れてあります!


 もしお妃さまが動き回っても、鍵を取るときに手が濡れる! 目が覚める!

 さすればお外に出られることもない!


 夢遊病で殺しに行くなど、到底不可能です!」


 想定された反論である。

 なんならこれは、融崇甫自身が粛妃たちを導いたこと。

 下手をすれば、


『自身の犯行を、論理的に否認できない夢遊病患者のせいにする』


 という計画を、自ら破綻させることになる。



 だから、ひと手間加えておいたのだ。



「つかぬことをお聞きしますがな。



 後ろの窓は、板が見当たらんのですが」



「!」


 今度こそ侍女頭は青ざめる。

 あるいは、彼女は粛妃を庇う位置で立っていたのではなく。

 窓への視線を遮りたかったのかもしれない。


「そこからなら、外に出られそうですがな」

「それは……!」

「ワシが診察から帰るときは、板があったように思います。

 いつからそう?」


 侍女頭が狼狽えながら窓へ振り返ると、



「寝るまえはありましたが、起きたらこのように」



 静かに答えたのは、粛妃であった。


「お妃さま!」

「先生のおっしゃりたいことは分かります。


『私が夢遊病のうちに窓を開けようとして、板が外れてしまったのではないか』

『それならそのまま外に出た可能性は高く』


『私が殺人を犯すことも可能になる』


 と」

「うぅ……!」


 誰が返事をするより早く、侍女頭が顔を手で覆い、床に座り込む。

 そちらへチラリと哀れむ目を向けたあと、


 粛妃は病人とは思えない真っ直ぐな目で3人を見つめた。


「それより、簪は見つかったのですね?

 今朝方、失くしたと焦っていたところなのです。


 あれは陛下より賜りしもの。

 息子を亡くしてより、唯一あの方と私を繋いでくれるものですから」


 それは、


『もう一切自己弁護はしない。全てを受け入れる』


 そういう宣言でもあった。











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