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7.

 夏の名残りの小鳥ゼミが大量発生する少しまえ。


 太乙殿。

 臨時の宿直室にて、久々に枕を高くして寝た融崇甫だったが。

 その幕切れは


『叩き起こされる』


 というものだった。


 すわ寝過ごしたかと思ったが、まだ詰所へ出勤する時刻ではない。

 さすれば


「もしや殿下のご容態が!?」


 と起こしてきた相手の肩をつかめば、


「あ、いえ」


 そもそも友殿下の周囲で見掛けた侍女ではない。


「急で申し訳ありませんが、先生に来ていただきたいのです」

「ワシに」

「曹先生は手が放せませんし、他の先生方はまだ参られていませんし」

「ほう」


 つまり『寝ている人間を起こしてでも』という緊急事態のようだが。


(『来ていただきたい』、か)


 融崇甫は寝起きの頭で相手の発言を反芻(はんすう)する。


 こうやって呼び出されることは、長いキャリアの中で100は超える。


 何気ない言葉である。

 実際、なんの含みもない場合も多い。


 が、言葉遣いを教育されている、インテリ揃いの宮女たち。

 半分くらいの確率で、彼女らが


『診ていただきたい』


 とは言わなかった理由が存在するパターンもある。


 とまで考えたところで、


(あぁ、そういえば)


 寝起きの頭が回り始めた彼は、ようやく心当たりにたどり着く。

 なんなら彼が誰より最初に思い当たるべき出来事に。


 起こしに来た侍女は、眉をひそめた顔を寄せてくる。

 声はヒソヒソ、『迂闊に話すのはは(・)ば(・)か(・)ら(・)れ(・)る(・)』といった様子で。



「睡蓮池にて、ご遺体が発見されました」











 というわけで融崇甫は今、睡蓮池の榭にいる。


 目の前にいるのは当然、



 昨日の晩から、1歩も動かず座ったままの韋氏。



 が、冷たいのは、秋の夜長をずっと外で過ごしたせいではないだろうし、


「大丈夫ですか?」

「やはり秋用の上着を用意せねばな」


 融崇甫が身震いしたのも、朝が冷え込む季節なばかりではないだろう。


「暑いお茶をご用意いたしました」

「おぉ、これは助かる」


 さすがは後宮で妃嬪を相手にする宮女たち。非常に気が利く。

 融崇甫は素焼きの椀で緑茶を飲みながら、韋氏をぼんやり眺めて立ち尽くす。


 目を離したいが、離せない。


 別にホラー映画のように襲い掛かってくることはないだろう。

 検死は済ませたし、見開いた目も彼を見ていない。


 それでも、左目に突き刺さったままの、黄金の簪。

 光を反射するさまは韋氏の目が光ったかのようである。


『寒いのだし、そんな妄想で背筋を震わせるなら、さっさと帰ればいい』


 そう思われる方もいらっしゃるだろう。

 しかし、そうできない理由がある。


 それは、



「おはようございます、先生」



 不意に背後から声が掛けられる。

 彼もよく知る声である。


「おはようタジくん」


 融崇甫が振り返ると、そこには北方の騎馬民族の格好をした女がいる。

 寒い地域に住んでいる民だけあって、温かそう。


「まさか君が、現場の検分をするとはの」

「自分が一番びっくりです。ゲンナリでもある」

「災難じゃの」

「災難と言えば、あとで首と右腕診てください。破壊されました」

「どういうことなの」


 世間話はそこそこにして。

 そう長い時間顔を合わせない。

 タジが隣で立ち止まり、並んで死体を見る。


 と、


「あ、あ、あ、あーっ!!」


 また背後から声。

 今度も融崇甫に向けられたものであり、

 殺人現場には場違いな子ども。


 融崇甫が思わず振り返ると、


「おや」


 サッと小鳥が飛燕の後ろに隠れる。


「どうしたどうした。オマエ人見知りなんかするのか」


 飛燕の困惑をよそに小鳥は吠える。


「シャーッ! 悪魔の手先!」

「せめて鳥っぽく威嚇しなよ」


 タジのよく分からないツッコミはさておき。

 飛燕が警戒の目で融崇甫を見る。

 歳の離れた妹がいる兄は、知らない人をとりあえずロリコン警戒するようにできている。


「この人は融崇甫先生。ご典医さんだよ」


 誤解を解いたのはタジ。


「なんだ、ただの医者嫌(ぎら)いかよ。失礼なこと言うな」


 飛燕も安心して、小鳥を後ろから出そうとする。


「シャーッ!」


 セミだったり猫だったり忙しい鳥はさておき。


「そちらの男性は?」

「衛尉官の飛燕くんです。捜査補助をしてくれます。たまに」

「なんだその言い方」

「それで武官が後宮におるのじゃな」


 飛燕はふたりの会話を眺めている。


「なんか、そちらの先生と結構面識ある感じ?」

「そりゃね。

 後娼は一番妃嬪と触れ合う仕事だから。

 病気とか移したら大問題。


 君たちは健康診断とか年1回かもしれないけど、私たちは毎月ある。

 顔見知りなんてもんじゃない」

「へぇー、


 健康診断なんてあるんだな」


「衛尉官の福利厚生……」


 そんな飛燕の悲哀はさておき。

 タジは死体の方へ振り返る。


「さて、先生。検死結果は?」


 融崇甫が寒空の下待たされていた理由。

 捜査員に業務連絡をしなければならないためである。

 もっとも、


「特に説明することもないの。見てのとおりじゃて。

 被害者は死亡。死因は金属製の簪が、おそらく脳まで到達しておる」


 この時代のレベルである。

 鑑識だ科捜研だの科学・医療技術などない。


『死んでますね』以外に、まともに報告することはない。


「どう見ても病死ではないの。自殺か他殺か、はたまた事故か」

「瞼(まぶた)が開いた状態で、簪が直接眼球に行っています。

 人間の本能として無理がある。自殺ではないでしょう」

「では他殺か事故か」

「事故で目に簪が刺さるなら、


『どこかから飛んできた』


 か、


『相当運の悪い転び方をした』


 か」


 タジは周囲を見回す。


「前者は……ここは水上に突き出て、岸から遠い。

 狙いもせず、弾みで飛んだ物体が来る距離じゃない。


 後者なら、椅子に座って死んでいるわけはない。


 他殺でしょう」


「ふむ」


 タジがスラスラ語るのを、融崇甫は静かに聞いている。

 本来なら報告が終わった時点で立ち去っていいのだが。



(なるほど。この一瞬でここまで。


 素人娘ながら、捜査に呼ばれるだけのことはあるらしい)



 冷静に相槌を打つフリをして、相手の実力を測っているのだった。


 もっとも、分かったところでではある。

 彼の犯行はもう完了しており、ここからできることもないし、


『相手が強い』


 と後悔したとて、なかったことにもならない。



 が、一方で。


 相手の捜査能力が高いことが、有利に働く場合もあるらしい。


 融崇甫の心理など知る由もなく、死体に近付き検分していたタジは、


「あ」


 さらにまた、何かに気付いたらしい。


「「どうした?」」


 融崇甫と飛燕の訪ねる声がハモり、小鳥がニヤリと兄を見るも。


 タジは釣られて振り返ることもなく、死体の顔を覗き込んだままつぶやく。


「この簪、



 粛妃の……」











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