1.
「友親王殿下の容態が思わしくない」
ある晴れた秋の朝。
妙に背筋の伸びた老爺が、詰め所に入るなり言い放つ。
「わざわざ言うてくるとは、そんなにか」
テーブルで茶を啜りながら応えた方も、これまた老爺。
口元が完全に見えない毛量の髭は、鎖骨より下まで伸びている。
「お命に関わる可能性も、ないではない。が、全く希望がないでもない」
「確か、昨日から体調を崩されておられたのだったな。病状は?」
「流感と見る」
また別の老爺が話に加わる。
ちなみに『流感』とはインフルエンザのことである。
不治の病ではないが、死ぬときは死ぬ。
現代よりよっぽど死ぬ。
最初に話題を持ち出した男、曹立の表情は険しい。
「というわけでな。今宵、殿下にはひと晩中医師が付いている必要を認める」
そんな彼の発言、ここまでの周囲とのやり取りで察せられると思うが。
改めて明言する。
彼らは『後宮医』である。
老人ばかりなのは
『この時代の医師のスキル ≒ 年の功』
というのもあるが。
『枯れた老人なら、診察の過程で妃嬪の裸を見せても大丈夫』
という考え方もある。
実際に枯れているかはさておき。
と、読者の皆さまが
『ジジイばっかじゃねぇか!』
と思われる可能性に予防線を張ったところで。
お察しのとおり、そこは話の本筋ではない。
「なので仮眠をとっておきたいのだ。
明け方まで起きていなければならん。
夕方から日付けが変わるまでは寝たい。
誰ぞ居残って、殿下を診てくれる者はおらんか?」
なるほど、と頷く他の医師たち。
「長い残業になるが、謝礼は出る。
ワシも殿下の寝室近くに部屋を用意してもらい、そこで仮眠をとる。
患者のことで分からん情報があれば、起こして聞いてくれてかまわん」
彼らは後宮医だけあって、大京城内に住まいを与えられている。
そのせいか逆に、現代の大きい病院のような
『夜勤』
『準夜勤』
という勤務シフトがない。
またその住まいというのが、城内ながら後宮の外にある。
後宮は皇帝、皇族、妃嬪のための住まいなのだ。
いかに医者とは言え、当然と言えば当然である。
ゆえに、一度日勤を終えて外へ出てしまうと、原則翌朝の出勤まで入れない。
内部から人が呼びに来ても、一時は
『後宮三千人』
と呼ばれた規模の敷地である。
それだけの人数のラグジュアリーな住まい。
外へ出られない妃嬪たちのためのテーマパーク。
呼びに行って、医者が来る。
これだけのことに、どれだけ時間が掛かることか。
もはや城内に住まわせている意味がない。
慣習のために実利が損なわれている代表例と言えるであろう。
その結果、あらかじめ頼んでおかないと
『日勤終了後は誰もいない』
『応援要請もままならない』
という事態に陥るのだ。
「どうだ?」
この申し出に対し
「分かった。ワシが仕ろう」
いち早く手を挙げたのは、先ほどの髭が鎖骨の下まである男、
融崇甫であった。
「おぉ、やってくれるか」
「うむ。今日ならワシは、すぐ片付くのが2件ほどしかないでな。
急患がなければ昼に仮眠がとれよう。日付けが変わるまでは保たせられる」
「真か! ありがたい、よろしく頼む」
別にみんな、押し付け合いをしていたわけではない。
が、誰かが口火を切れば、続きやすいのも事実。
「であれば、ひと晩明ければまた寝ねばならんであろう。
明日の殿下とお主の患者、ワシが引き受けよう」
「おぉ!」
他の医師も協力に名乗りを上げる。
なんと素晴らしい仲間意識。
決して殿下に顔や恩を売っておこうとかではないはず。
まぁ、打算であろうが真心であろうが同じこと。
殿下の山場は夜であろうが。
曹立は
「ありがたい、皆、ありがたい! よろしく頼む!」
『一番の懸念事項が片付いた』
と言わんばかりに笑っている。
一方、融崇甫の方も
「いいってことよ。お互いさまじゃろう」
同じような表情をしていた。
「というわけで、夕方から夜半までを担当してくださる、融先生です」
「融崇甫でございます」
「よろしくお願いします」
早速向かった殿下の御座所、太乙閣。
ふたりを出迎えたのは、友親王の侍女頭と、
「では、殿下とも面通しなさりませ」
実母たる龔妃である。
すでに屋内で、だいぶ奥まで移動したのだが。
『面通し』からまた、ふた部屋ほど抜けてようやく、
「殿下。曹先生が参られましたよ」
格闘技のリングくらいなら設営できそうな、広い部屋に到着する。
「殿下、お加減はいかがですかな」
その奥に設置された、天蓋付きの大型ベッドに横たわるのは、
「先生、苦しい」
ローティーンの男の子。
真っ赤な顔で声が弱く、目もほとんど開いていない。
「大丈夫ですぞ。必ずよくなりますからな」
「うん」
「今日は夜通し医師がついております。ご安心くだされ。
こちら、私めと交代で務めまする、融先生でございます」
「融崇甫でございます」
「よろしく頼む」
さすがは殿下。苦しくとも最低限の応対を見せる。王者の徳である。
と、面通しも終わったところで。
感染しては元も子もない。
「では融先生、またのちほど」
「うむ」
しかし融崇甫は立ち去らない。
「曹先生の宿直室は、この近くに用意されるのでしたな?」
「あぁ、1階に」
「ふむふむ」
彼はアゴに手を当て、少し考えると、
「曹先生。夜中の交代が終わったら、ワシもそちらで寝ることにしましょう」
「なんですと?」
「万が一に備えて、ワシも控えておいた方がよい」
思わぬ申し出に、曹立は目を丸くする。
「それは、ありがたいが。よろしいのか?」
「殿下のためじゃ。何を惜しもう」
融崇甫がドンと胸を打つと、
「ありがとうございます!」
「友のために、なんと感謝申し上げればいいか!」
侍女頭や龔妃も彼の手を取り、深く頭を下げる。
一方で、
「麦……、麦に会わせておくれ……」
殿下は熱にうなされ上の空。
何やらつぶやいている。
「麦?」
融崇甫が首を傾げていると、
「殿下、麦が参りましたよ」
即座に侍女が抱えて部屋に入ってきたのは、
「ね、猫!」
大柄で毛が長い、灰色の愛玩動物。
「どうなさった、融先生」
後ろに隠れられた曹立が驚きの声を上げる。
「わ、ワシは猫がおると、クシャミや肌の痒みが止まらなくなって!」
「おぉ、それは大変ですな。一旦部屋から出ましょうか」
「では殿下、失礼いたします!」
面通しは終わっていたからよいものの。
慌ただしい退出となった。
「いやぁ、びっくりした」
廊下にて。
融崇甫は胸を抑えている。アレルギーの症状ではなさそうだが。
その顔を、曹立が心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですかな?」
「いや、すぐに離れたゆえ」
「そうではなく。殿下の診察や、宿直してくれるというのは。
アレは猫がおらんでも、残った毛やらなんやらで反応するのでしょう?」
「あー」
すると、
「お任せください」
着いてきていた侍女頭が1歩前へ出る。
「融先生がいらっしゃるまでのあいだに、双方の部屋を掃除しておきます。
調度品も全て取り替えておきましょう」
「真ですか」
「もちろん」
「お手間を掛けさせます」
「殿下のおんためですもの」
一時は危ぶまれた医療チーム崩壊だが。
まさしくワン・チームで乗り越える運びとなった。
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