17.
「なんだと?」
于妃もよく目を凝らしてみると。
「ん、これは……」
なるほど、
薄い紙切れのようなものや、
針より細い破片のようなもの。
それらが、固まった血で塗り込められている。
「なんだ、これは」
「茶葉の破片です」
「!」
于妃の背筋が伸び、肩が跳ねる。
脳が言われている意味を、全て正しく理解したわけではない。
ただ、何かの予感が、彼女の体を貫通したのだ。
「思うに于妃さま。あなたは墨で偽の伝言を書くにあたって。
血を溜めておく硯代わりに、紅茶の茶器を使ったのでしょう。
そうであれば、不自然な『雀』の字の位置も辻褄が合う」
タジは墨をテーブルに置く。
さすがにいつまでも、血が着いたものを持っていたくはないか。
「犯行に欠かせない、犯人を示す鍵です。
せっかく書いたのに、
もしあとから広がってきた血溜まりで塗り潰されてしまったら。
全てご破算です。水の泡になってしまう」
タジは代わりにティーカップを手に取る。
ちょうど食事と一緒に出されていた茶が入っている。
「なのであなたは、血が広がりきったのを見定めてから。
安全な位置に『雀』を書く必要があった。
その間血が乾いて使えなくならないように、保管しておく容器が必要だった」
『で、それがなんの証拠になると言うんだ』
『私が邱妃を殺したという証拠に』
と、于妃は言わなかった。
なんとはなしに察していたからである。
答えというより、
『タジはそう言えるだけの何かを、すでにつかんでいるのだろう』
と。
答え合わせのように、北方女は帽子の下で笑う。
「あまりに罵倒されて気が急きましたか? 館へ着いて、すぐやろうとするから。
邱妃の遺体が発見されるまでのあいだに、
お茶を注文したのは于妃さま、あなただけです。
お分かりですね?」
ここまで言われては、さすがの于妃も、
いや、元々口下手で、上手い言い逃れなど思い付かない。
だから事前に、疑われないための計画を練ってきたのだ。
「よく、見ているんだな」
降参するしかない。
瞬間、食堂にわあっと声が響き渡る。
「タァジさぁ〜ん! 嘘でしょ!?」
と駆け寄ってくる小鳥であったり、
「今、今! 認めたわよね!?」
「本当に于妃さまが殺害なさったということですの!?」
「きゃああああ!」
口々に騒ぐ妃嬪であったり、
「于妃さま……」
「どうして、なのですか……? 信じていたのに」
憎しみや蔑みすら超えて、恐怖に震える欧陽貴妃と喜二娘のつぶやきであったり。
さまざまなものが混ざり合った音である。
だがすでにそれらは、于妃には聞こえていなかった。
敗北し、全てを失い、逆に言えば解き放たれた。
緊張も高揚もない。
彼女にとって何もかもがどうでもよくなり、ある種身軽で自由になったのだ。
そんな無重力の中で。
「くくく」
ただひとつ、于妃の心を楽しませるものがあった。
それこそ、
「いやはや。本当はね。
タジ。この仕掛けは全て、君のために用意したんだ」
全ての始まりとも言えること。
「私の計画では、差し詰め小鳥ちゃんのように
『君があの鍵を元に謎を解き、喜二娘が犯人であると導き出す』
そういう予想を立てていたんだ」
ふふふ、と笑う于妃に、抱き着いてきた小鳥の頭を撫でるタジはようやく
『なんだコイツ』
という表情で、ずっと保っていた余裕の笑みを崩している。
「でも君は、私なんかの手玉には取られなかったな。
さすがは後宮の事件を次々解決した女だ。
快刀乱麻。こちらの予想の、さらに1歩先を行くとはね」
「はぁ」
楽しげな于妃とは対照的に、タジはズレてもいない帽子の位置ばかり気にしている。
「それにしても、まさか紅茶の茶葉か。
なるほど『鷹の目』。細かいところまで、よく見ているんだな」
于妃が勝手に納得して頷いたそのとき、
「お言葉ですが」
「ん?」
ようやくタジはまともに返事をした。
相手を見ているようで見ていなかった于妃も、はっきり意識を彼女へ向ける。
そこにあるのは、『なんだコイツ』の引いた顔ではなく、
先ほどまでの余裕の表情、いや、
それは于妃の思い違い。
小バカにした笑みであった。
「『1歩先』とか『よく見ている』とかおっしゃいますがね。
私、注視するまでもなく、現場を見た瞬間あなたが犯人だと思いましたよ?」
「……なんだって?」
「もっと言うなら、あなたは
『ダイイング・メッセージが杜撰だったら見破られた』
と思っていらっしゃるでしょうが。
あんなもの視界に入るまでもなく、大体の推理は終わったんです」
「そんなバカな」
これには于妃も楽しげな雰囲気が霧散する。
さすがに衝撃が大きすぎる。
「いったいどうやって。やはり動機か? あんなに分かりやすく罵倒されていた……」
「私は、自分で言うのもなんですがね。女性にしては結構な長身なんですよ」
ちょうどタジは立っていて、于妃は座っている。
言われなくとも見下される角度によって、強く実感しているところだが。
「で、凶器となった鹿人間の青銅の像。
あれは部屋に入ってすぐの、ひときわ大きいタンスの上段。
飾り棚の中に入っていたものです」
「そうだな」
ここでタジはつま先立ちになり、手で目元に庇を作るジェスチャー。
「あの棚、私ですらこうやって背伸びしないと中身が見えない。結構な高さがあるんですよ」
「あ」
「もうお分かりですね?」
タジは于妃に微笑んだあと、密着した小鳥とも目を合わせる。
小鳥は首を真上に向け、分かっていない顔で見つめ返している。
「あの部屋もどの部屋も、他にも壺や鼎に金属製の骨董だとか。
鈍器に使えそうなものがたくさん、手を伸ばせばすぐ取れる位置に並んでいます。
なのにそれらに意識が行かず、真っ先に飾り棚の中身へ目が行く人物。
飾り棚がちょうど目線の高さに来るほど長身の人物は、
于妃さま、あなたしかいないんです。
考えるまでもなく、ね」
──リビング・メッセージ 完──
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