16.
「嘘でしょう!?」
「彼女が!?」
「そんな!」
「いったいどうして!」
もはや食堂を包む声は、ザワ付きではなく喧騒の域であった。
しかし、
「ち、違います! そんなわけはありません!」
喜二娘本人が声を上げると一瞬で静まり返る。
彼女の言い分を、その先のやり取りを待っている。
ここからが本番とでも言うように。
「私はやっておりません! 読み違いでしょう!」
「果たしてそうでしょうか?」
「なぜ私がそんなことをしなければならないのですか! 動機がありません!」
必死で訴える喜二娘に対し、
「今回の麻雀同好会の集まりは、欧陽貴妃さまが
『于妃さまを呼び戻し、打ち解けさせる』
目的で企画したものです」
小鳥は余裕たっぷりに言葉を紡ぐ。
タジの真似か丁寧な言葉遣いを続けているのが、そう思わせるのだろう。
「しかし邱妃さまは違いました。
集まった皆さま方の面前で、欧陽貴妃さまの目の前で。
執拗に于妃さまへ絡み、過去の行いをあげつらった。
これは明らかに欧陽貴妃さまの意向と対立し、踏みにじるもの。
著しく礼を欠いた態度であり、会は台無し、顔に泥を塗る行為でもあります」
喜二娘がグッと口を引き結ぶ。
自身の冤罪はさておき、それ自体は彼女も思っていたのだろう。
「あなたはそれが許せなかった。
何よりあれを野放しにしておいては、それこそ
『欧陽貴妃は妃嬪の無礼を咎めることすらできない』
『所詮は若く、貴妃になりたての女。実質は邱妃の格下でしかない』
と決定付けることになってしまう。
一時の泥を被る程度の話ではない、付いてまわる評価、汚名です」
「それは、そうですが……!」
「おそらくあなたは、邱妃さまのところへ行き、段取りを付けようとしたのでは?
『客人たちが見ている前で、欧陽貴妃の仲裁により于妃へ先ほどの態度を謝罪する』
主人の名誉を回復するには、これくらいの演出が必要でしょう」
欧陽貴妃はテーブルに手をついたまま立ち上がり、前傾姿勢で喜二娘を見ている。
体は震え、口は半開き、瞳孔はもっと開いている。
「しかし邱妃さまもあれほどの態度です。
にべもなく断り、口論となったことでしょう。
そうなると、凶器が鹿人間の像であったことにも納得が行きます。
最初から殺意があったなら、もっと分かりやすい『武器』を持っていったはず。
ものの弾みであったために、目に付いたアレを手に取った。
違いますか?」
「違います! 違いますっ!!」
喜二娘は金切り声で首を振る。
その動きが止まったとき、ちょうど視線の先にいたのは、
「姫さま……!」
呆然とした表情の欧陽貴妃である。
「姫さま、信じてください! 私は!」
喜二娘は胸に手を当て、必死に訴える。
一方、欧陽貴妃は
「あ、あなた、あなた、は……」
「姫さま!」
『喜二娘が犯人だと信じきっている』
というわけではないだろう。さすがに長年の信頼があるのだから。
しかし与えられた情報のショックに、頭が追い付いていない様子。
が、
「姫さま!」
それは喜二娘に『見捨てられた』と感じさせるのに、じゅうぶんであった。
まさに地獄のような光景と言えよう。
なんなら言い出した小鳥ですらバツが悪い顔で目を逸らすなか、
表情には出さず、肩をピクリと震わせもせず。
しかし内心ほくそ笑んでいる人物がいる。
(完璧だ……!
私の描いた絵図どおりだ!!)
于妃である。
(小鳥ちゃん、まさかここまでの満額回答を。
いや、書き置きの『雀』に用意のない、喜二娘の動機まで。
望外の成果だぞ!)
彼女は興奮と緊張と手汗を膝上で、服の生地とともに握り潰す。
(喜二娘には気の毒だが、私もかわいい我が身には代えられんのだよ)
他の妃嬪たちも黙りこくって、少なくとも小鳥に疑義を呈する雰囲気はない。
あとはこのまま、『推理』が『結論』となれば。
(ふふふ、いいぞ、いいぞ!)
「あ、で、でしたら飛少女さま!
『私がやった』という証拠でもございますでしょうや!?」
追い詰められ、ついには真犯人の悪あがきみたいなことを言い出した喜二娘に、
「ございます」
「えっ」
絶望的な言葉が突き付けられる。
彼女も思わず、時間が止まったような声を漏らした。
ただし。
それは
『あるはずのない証拠が出てきたから』
ではない。
「ここに」
悠々と挙手しているのが、
小鳥ではなく、
ここまで一切話に関わってきていない、
于妃の隣に座っていただけの、
タジだからである。
「えぇーっ!?」
これには小鳥も声を上げざるを得ない。
おそらく高い声に塗り潰されただけで、飛燕も郭妃も何か叫んでいた。
しかしタジは一切考慮する様子がない。ゆっくり席から立ち上がる。
挙げた手でそのまま掲げられているのは、
「タジさま、それは」
「墨……?」
筆記具の墨。
しかもそれは、おそらく。
于妃が確認しようと、見上げる目を凝らしていると、
「ですよね、于妃さま?」
「……は?」
タジの方から墨を、目の前に突き出してくる。
彼女の目を真っ直ぐ見据えて、彼女の名を呼んで。
「えぇ!?」
「どういうこと!?」
「いや、動機ならそりゃそうでしょうけど」
言語化された以上の、行動の意味。
それを読み取った妃嬪たちも、また新たにザワ付き始める。
「な、にを、言っているんだ、君は」
「こちら、ご存知のとおり邱妃さまが
『犯人の鍵を書き残す際に使用した墨』
です」
于妃の言葉に対し、タジは説明を続ける。
会話にはなっていない。
まるで
『オマエの話を取り合う意味はない』
『もう逃げられないぞ』
とでも言っているように。
だからこそ于妃も、退いてはいられない。
「その『書き置き』が! 喜二娘が犯人であると示しているんだろう!」
「あんなものはなんの参考にもなりません」
「なっ!」
一撃で切り捨てられ、于妃も目を見開く。
が、逆にタジはアゴに手をやり、1秒ほど間を開ける。
「いや、ある意味参考にはなりますか。私も例の『雀』、見ましたがね」
「だったら!」
「と同時に、
『遺体がどのように倒れていたか』
も欧陽貴妃さまにお聞きしました」
「あ?」
「すると、こうなるんですね」
タジはパントマイムを始める。
「よろしいですか? 私が邱妃さまのご遺体だとしましょう。
すると、『雀』はここ」
彼女は虚空に円を描く。
右脇腹の横。実際の位置関係とほぼズレはない。
「それがなんだ」
「皆さんもどうぞ、目の前の卓でうつ伏せになって、字でも書いてみてください。
おかしいと気付くはずです」
何人かの妃嬪が言われたとおりにするなか、タジは答えを待たずに話を進める。
「はい。普通このような状況になったとき、
こんな位置に字を書きますか?」
「う」
「脇腹の横ですよ?
死ぬ威力で殴られた人間が、肘がピッタリ肋に付く姿勢で倒れるんですか?
こんな窮屈な体勢で、文字なんか書けるんですか?
自分から見えない位置ですよ?
死に掛けの人間が『雀』なんて複雑な字を、見もせず綺麗に書けるんですか?
本人が書いたものでないことは明らかです」
妃嬪たちのリアクションは様々。
『確かに』と頷いたり、『?』と首を傾げたり。
ただ于妃だけが固まって、タジを睨んでいる。
「なるほど。だから
『あれは犯人が書いたものであり、参考にはならない』
と言うんだな?
だが、それなら『私がやった』とでも言いたげな態度の理由はなんだ!
喜二娘同様言わせてもらうが、証拠はあるのか!」
似合わず声を張り上げた啖呵に、
タジは微笑んで軽く頷き、ズレてもいない帽子の位置をなおす。
「私の右目は『鷹の目』と言われていましてね。
怪我でボヤけて見える代わりに、違和感だけが際立って見えるのです」
「それが!」
「この墨」
タジは再度、墨を于妃の眼前に突き付ける。
「よく見てください。
血の他に、何か付いているのが見えませんか?
細かい何かが」




