5.
麻雀愛好会のメンバーは現在、昼食まで思い思いの時間を過ごしている。
庭を散策したり、書斎を覗かせてもらったり、撞球に興じたり。
ひと足先に紅葉狩りを開始する人まではいないが。
そのころ、2階にある一室『清淵』では。
「まさか本当に来るとはね」
ひとり部屋なのに、ふたりの女性が向き合っていた。
片や件の小さな丸テーブルの座に着いている。
邱妃である。
もうひとりはドアから部屋に1歩入ったところ。
「そう約束したからな」
長身、于妃である。
彼女は答えながら、チラリと右側を見る。
自身もひとり部屋だったが、どうやら設えは同じらしい。
上部がガラスキャビネットのタンスがある。
が、中身は頭部が鹿で体が人間のブロンズ像。
郭妃の部屋は螺鈿細工の丸平皿だったので、置いてあるものは違うようだ。
(よかった)
ブロンズ像には四角い台座が付いており、厚さは5センチ前後ある。
(アレなら使える)
于妃が胸を撫で下ろしているあいだに。
「でも絶対逃げると思っていたわ。イカサマをするような人間だから」
邱妃は先ほどの焼き回しをする。
今度はギャラリーがおらず、自身の完全有利と踏んだか。
だが于妃にはもう聞こえていない。
別のことで頭がいっぱいであるし、
こうすると決めたときから、もう相手が人間に見えてこない。
せいぜいうるさい野良の小型犬である。
「だからこそ、誠意を見せて信頼を取り戻したい」
「ふん。どうかしら。今まで散々イカサマを繰り返してきたんでしょう?
1回の謝罪で、改心したものだか」
一方的に罵倒できる気持ちよさ、というのもあろうが。
「私も回数を重ねさせてもらってこそ、信頼が戻ると思っているよ」
「大体、考え方がお粗末なのよね」
邱妃としては、そもそも于妃が嫌いなのだ。
「『牌を隠し持っていたのとすり替える』?
1枚切れの残りを誰かが暗刻してても、あなた分からないじゃない。
四帰一だってちょくちょく見る役よ。
あなた全然麻雀が分かっていない。
ま、そんな程度の腕だからイカサマとかするんでしょうけど」
自分より背が高くて、陛下の寵愛を受けて、
目障り。
「視線誘導もひどいネタだったけど、よく今までバレなかったものだわ。運だけじゃない」
だからイカサマしようがしまいが、自分の生活範囲に戻ってきてほしくない。
「そんな雑な人間がねぇ」
ゆえに執拗に攻撃して、
『いい加減しつこい!』
と怒らせたいのだろう。
ビンタの1発も引き出せればなおよし。
大手を振って
『皆さん! コイツは反省なんかしていません! やっぱり追放しましょう!』
という方向に持っていける。
(体格が小さいのは愛らしいものだが。器が小さいのは醜いばかりだな)
于妃からすれば、そんなことはお見通しである。
相手の心理を読み、乗らないのが麻雀の極意。
「そのあたりも、誠実であれば解決できると信じている」
キャンキャン吠えるのを、適当な相槌でいなしつつ。
窓辺へ移動し、遠い目で外を眺めるフリをする。
「そう。じゃあ早速、土下座でもなんでもしてもらって……」
「おや?」
「はい?」
唐突な于妃の言葉に、思わず邱妃も話を切る。
「どうしたのよ」
「アレは、なんだろう」
于妃は窓から長身を乗り出さんばかりに、外を眺めている。
「なんの話よ」
「いや、庭の、植え込みの陰だ。誰と誰だ? 何をしている?」
「ふん?」
于妃の言葉に、邱妃も窓へ近付いてくる。
『誰と誰』
『陰でこっそり何かをしている』
妃嬪なら誰しも、同じ妃嬪の噂やスキャンダルが大好き。
「私にも見せなさいよ」
その種になりそうなシチュエーションなど、見ない手はない。
小柄な体を活かし、于妃の脇から潜り込んで窓の外を見る。
「ほら、あそこだ、あそこ」
「はぁ? どこよ。どれよ」
彼女が外へ夢中になっている隙に、
于妃はそっと離れ、ガラスキャビネットのところまで退がる。
そして中から、鹿人間のブロンズ像を取り出した。
ずっと袖の中で隠し持っていたティーポットと入れ替える。
「何よ、誰もいないじゃない」
邱妃がようやく首を引っ込めると、于妃は部屋の中央で後ろ手を組んで立っている。
「すまない。見間違いだったかもしれない」
「あるいはあなたの図体が大きすぎて、見ているのがバレたのかもね」
于妃は鼻からため息を抜きつつ、部屋の中央へ歩いてくる。
また椅子に座るのか、はたまた
『于妃が土下座をしたら、後頭部を踏んでやろうと近付いている』
は邪推か。
しかし、いずれも于妃からすれば、どうでもいいことである。
何せ、
「邱氏」
「何よ」
どちらにせよ、それが果たされることはないのだから。
「このたびは……」
謝罪だろうと思って邱妃が足を止め、目を合わせてきたところ。
于妃は後ろ手に隠していたブロンズ像を大きく振りかぶり、
長い腕の遠心力を活かして、台座の角を思い切り、
邱妃の脳天へ叩き付ける。
「ぎっ」
邱妃の断末魔は奥歯で噛み潰され、妙な音になるだけ。
それ以上何も言葉が続くことはなく、彼女はうつ伏せで床に倒れた。
「やっ、た……」
逆に于妃から漏れ出たのは、感慨深いのか呆然としているのか分からない声。
しかしここからが本番なのだ。
彼女は鹿人間像を床に置くと、ガラスキャビネットからティーポットを取る。
もう動かなくなった邱妃の頭を持ち上げると、
滝のように流れ出る血を、アゴのあたりからポットで受け止める。
見る見るうちに水深1センチほどの血液が溜まる。
于妃はポットの蓋を閉めると、邱妃の頭を床に下ろす。
残りの血は床へ流れ出るに任せた。
生成り色の生地と蓮池を表現した刺繍が、赤潮に汚染されていく。
そこに足跡を付けないよう回り込みながら。
于妃はタンスの引き出しを開ける。
取り出したのは、墨、硯、筆、紙。
手紙を書くセットである。
于妃はそれらを丸テーブルの上に並べた。
何分待ったか。30分も待ってはいないと思う。
「こんなところか」
于妃はしゃがんで、邱妃を見下ろしながらつぶやく。
より正確には、
絨毯に広がった血の染みを見ている。
大きな水溜まりはようやく版図の拡大を終えたようである。
縁は動かなくなり、液体も乾き始めている。
「さて」
于妃は遺体の右手を取ると、レターセットの墨を握らせ、
その先端を、ポットの中の血に浸す。
こちらは床に流れたものと違い、まだ水分を保っている。
インク壺と同じ原理である。
それから、邱妃の小柄ゆえに短い腕が届く範囲。
かつカーペットの血の池に浸されていない箇所へ持っていき、墨を滑らせる。
いわゆる、ダイイング・メッセージである。
于妃は蓮の花弁と葉の上に、赤で
『雀』
と書き記し、
丸テーブルを倒した。
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