2.
その日も于妃は柄にもない、いつもの大袈裟なフェイントを入れた。
まず数回は牌のすり替えをせずにフェイントのフェイント。
同卓の目が釣られるのは確認済み。
誰も左手は見ていない、バレるはずはない運びだった
はずなのに。
『お待ちなさいな』
『え』
『袖。その左袖よ。手牌の端を覆って、何やらモゾモゾ動いていらしたわ。
ちょっと捲って見せなさいな』
邱妃が見咎めたのである。
彼女は于妃と対照的に、当時の東洋系女性にしても小柄であった。
またその日は守庚申に備えてたっぷり睡眠をとったのだが。
そのせいで首を寝違えてしまうアクシデントがあった。
そのため、いちいち振りかぶられた腕を見上げていては首が痛い。
途中からチラ見で追うに留めていた結果、
周辺視野で于妃の詐術を捉えたのである。
『なんということをしているの! 恥を知りなさい!』
邱妃は于妃を激しく叱責した。
当然と言えば当然ではある。
が、今までボコボコにされてきたフラストレーションもあったのだろう。
『邱妃さま、もうそのくらいで』
『いいえ! このように卑怯な真似を!
妃嬪たる者の品格が、いえ、人間としての品性がない!
同席するのも穢らわしいわ!』
もはや叱責を超えて面罵である。
そういえば、噂ではあるが。
邱妃と于妃は後宮のほぼ同期で歳も近い。
が、小柄で愛らしい邱妃と、恵まれた体格の于妃。
女性としての魅力は個人の価値観であり答えなどないが、
『どちらがより頑丈な世継ぎを産めそうか』
両者のあいだで、皇帝の寵愛には差があったらしい。
それで邱妃は于妃に対し、日頃から敵意に近い感情があったとか。
邱妃の怒りがどこまで妥当で、イカサマに対する純粋な怒りだったかはさておき。
逆に激しい罵倒が周囲を冷静にさせたか。
麻雀愛好会の面々は、むしろ于妃をフォローしたほど。
全会一致で『除名だ』『追放だ』『二度と同じ卓を囲むな』とまでは言われなかった。
が、その後、何食わぬ顔で集まりに顔を出せるかと言われれば。
面の皮が防弾チョッキでもなければ、まず厳しい。
以来、于妃は麻雀に誘われても参加することはなく、
邱妃との会話も、当時の
『去りなさい!』
が最後のままとなっている。
以上がことのあらましである。
加えて
『欧陽貴妃も麻雀愛好会のメンバーである』
ことも踏まえると。
彼女が于妃を誘いたい理由も読めてくる。
「それと紅葉狩りに、なんの関係が?」
が、あえて于妃は聞いておくことにした。
欧陽貴妃のような手合いは、なんでも全部話させた方がスッキリする。
彼女なりの気遣いである。
「その紅葉狩りに、麻雀愛好会のみんなで参りましょう! それから」
「まずお座りになるといい」
「あ、はい」
話を聞くということは、説得次第で応じてもらえるチャンス。
思わず前のめりの欧陽貴妃だったが。
腰を下ろすと一転、紅茶を口にする。
「最後の青紅葉を惜しみながら、麻雀大会と洒落込むのです。
季節牌も、4枚とも夏にしまして」
「そこに私を」
「えぇ」
麻雀の件で問題となった于妃を、麻雀の会に参加させる。
言うなればこれは、禊の場を与えてくれているのだろう。
『ここでイカサマをしなければ、周囲も足を洗ったと認識する』
と。
また、于妃に伝えてくれている。
『あなたを麻雀に呼ぶということは、みな全て水に流すつもりで待っている』
とも。
「いかがでしょう」
「そうだな……」
正直に言えば、
(余計なお世話だな)
于妃は特にメリットを感じなかった。
確かに麻雀は好きだが、禁断症状を覚えるほどではない。
そもそも、麻雀愛好会に戻れなければ一生麻雀ができないわけでもなし。
何より、明確に自身を嫌っている相手がいる場所へ出向くなど。
とても気乗りするものではない。
きっかけは自業自得であるとはいえ。
この朝夏において、下手な武人よりメンツと名声で生きているのが後宮の妃嬪たち。
誰もが理解しているからこそ、
『相手のプライドを再起不能にまで叩き潰す』
のは御法度。修復不可能な対立の合図である。
そこを踏みにじった于妃のいる場になど……。
本来なら即座に断っている内容である。
しかし、
「そういえば、欧陽氏もこのまえ貴妃になられたのでしたな」
欧陽貴妃とてそれを理解しているはず。
それを押して話を持ってくるのは、ただお人好しなばかりではない。
そもそも貴妃とは、皇帝の妻たる妃嬪のなかで、皇后に次ぐ第二位の階級である。
側室に絞れば最高位。
それだけに、本作に多く登場する『◯◯妃』とは格が違う。
その席は限られた狭き門であり、歴代皇帝どころか
『歴代朝夏王朝』
においても、
『基本ひとりかふたり』
『どんなに多くても5人を超えた例はない』
というのが慣習になっている。
なので、非常に栄誉な立場ではあるが、
同時に権力とその影響、責任が伴う。
他の妃嬪たちより上位であるがゆえに、
『彼女らをまとめ、嫉妬と諍い多き後宮の和を保つ』
リーダーを務めなければならないのだ。
しかし皆さまご存知のとおり。
その限られた貴妃のうち、
飛貴妃は殺害され、この世にいない。
犯人であった江貴妃も、南西は雲山へ遠流となっている。
いかに元より少人数制とはいえ、これではさすがに数が足りていない。
しかもそのすぐあと、徐妃による『笛子演奏会事件』が発生した。
皇帝はこれを、
『貴妃を欠いたことによる、後宮統制の綻び』
と見ているとか。
そう。あなたも于妃もお察しのとおり。
このかわいそうな新任貴妃は、
『後宮における人間関係の問題を解決せよ』
というプレッシャーを掛けられているのだ。
その実績作りとして、まずは自身の派閥とも言える麻雀愛好会から治める。
そういう意図があっての、今回のお誘いなのだろう。
そう考えると、
「いいでしょう。
貴妃になられた祝いにも参上せず、大変失礼を致した。
今回の紅葉狩りに供奉することで、遅ればせながら代わりとさせていただく」
「まぁ! よかった!」
断るのは忍びない。
苦労している後輩を助けるのも、先輩の務めだろう。
「ありがとうございます! ありがとうございます! あぁ、本当によかった!」
于妃の手を取り、満面の笑みで上下に振る欧陽貴妃。
その向こうでは喜二娘が頭を下げている。
しかし、
「では、よろしくお願いする」
于妃もイカサマをする程度には、お人好しとは言えない人間である。
(だったらそれはそれで、私の利になるよう使わせていただくだけだ)
彼女の脳が、邪悪な計画へと動き始める。
と、その脳裏に、
(あぁ。そういえば、麻雀愛好会といえば)
何度か世話になった顔が浮かぶ。
そう、左右で目の色が違うように見える、異民族の格好をした、
最近『次々と事件を解決した』とか話題の……




