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15.

 薛吉は心臓が跳ねたのか止まったのかすら分からない。

 確かにこの下駄は、蔡盛が厠に履いてきたものを拝借している。


 しかし図星を悟られるわけにもいかない。

 ショックが喉から飛び出そうなのを堪え、別の言葉を吐く。


「やめといた方がいいんじゃないか?


 いや、これは親切心で言っているんだ。

 オレと蔡盛は身長も足の大きさも大差ない。


 使っている下駄も同じ大きさなんだ。

 そこで見分けようったって無駄だよ」


「ご心配なく」


「そもそも厠へ行くのに、衣装の下駄を履くもんかね」


「私の予想が正しければ」


「……」


 これ以上は言葉を重ねる方が、


『渡したくない理由があって時間稼ぎをしている』


 と思われかねない。


 薛吉は渋々下駄を脱ぎ、タジヘ渡す。


「そういえばみなさん、覚えていらっしゃいますか?」


 タジは下駄の裏を見ながら頷いている。


「何を」

「座長さんがお怒りだったでしょう?


『舞台が砂まみれになっている』

『砂を落とさず上がったヤツがいる』」


「それがなんだよ」


 薛吉が噛み付いた瞬間、


 タジは下駄の裏を周囲に見えるようにする。


 そこには、


「!」



 白、黄、黒。


 歯に細かい砂が付いている。



「なっ……?」

「私の右目は光に弱く、すぐ白飛びするんですが。

 その代わり、なお主張する『違和感』だけが残って見えるんですよ。


 これも予行演習にお邪魔しているあいだ、歩かれた際にチラッと見えました」


 タジも改めて下駄の歯を覗き込む。


「みなさん


『草鞋の繊維に砂が入り込んだ』


 と思ってらっしゃいましたが。

 いや、事実そういう方もいらっしゃったかもしれませんが。


 実際は薛吉さんだったんですねぇ」


「どうして……」


 思ってもみなかった事実に、薛吉は頭が追い付かない。

 幸いなのは周囲も同様であることくらいか。

 濡れ衣となった団員たちも睨んでこない。


「お気持ちは分かります。

 下駄は草鞋と違って板材。

 砂が付いたり挟まったりはしないはずですからね」


 ただタジだけが、全てを理解している。


「ではなぜ砂が付いたのか。その理由をお見せいたしましょう」


 彼女が宣言した瞬間、


「よいしょ」


 舞台袖の奥から、バケツを持った小鳥が現れる。

 隣には飛燕もいる。


 彼女はタジの前にバケツを置く。

 中には水が入っているようだ。


「いいですか? まずはこちら、遺体が履いていた、血染めの下駄」


 タジが持っている下駄を入れ替え、片足分だけ手に持つ。


 すると飛燕が懐から火折子(ひだねづつ)を取り出した。

 中から火種を出すと、ふっと息を吹き掛け強火にし、


「えっ」



 下駄の歯に載せる。



「屋内だぞ! 何してんだ!」


 周囲の困惑もどこ吹く風。

 というか熱くないのか。


 タジは平然と、数秒火を見つめていたが、


 ついにポロッと火をバケツの中へ落とす。


「はい、ご覧ください」


 それから薛吉だけでなく、場の全員に見えるよう。

 下駄の歯を前方へ向け、ゆっくり右から左へ動かす。


「いかがですか?」

「いかがって」

「焦げて真っ黒だ」


 答えたのはお殿さま役で舞台に出ているはずの座長。

 いつの間にか、劇団の全員が集結している。


「はい。焦げるだけなんです」


 タジは満足そうに頷く。


「いくら生木ではないとはいえ。そんな簡単に着火はしません。

 艶出しの油が塗ってあっても、とっくに削れてなくなっています」


 タジは下駄を箱の上に戻し、


「続いて、ついさっきまで薛吉さんが履いていた方」


 もう一方に持ち替える。また片足分。

 下駄の歯を上にすると、そこにまた飛燕が火種を


 今度は強火にすらせず載せる。



 瞬間、



「きゃあっ!」



 叫んだのは誰か。



「うわああ!? なんだなんだ!?」



 薛吉も声を上げてのけ反る。


 それもそのはず、



 松明にも負けない火力の火炎が立ち昇っている。



 事前に聞いていたであろう小鳥すら、口元を両手で覆っている。


 不敵なタジの微笑みも、薛吉からは隠れて見えないほど。


 しかしこれはさすがに、即座に下駄ごとバケツへ落とされる。


「今のはいったい、どういうことなんだ!?」


 座長が叫ぶと、タジは静かに答える。



「松脂(松香)です」



「松香……」


 薛吉の呆然としたつぶやきに、タジは微笑み返す。


「よくご存知ですよね? あなたが楽屋で小鳥に説明してくださっていた、アレですよ?」


 薛吉がは(・)っ(・)とした表情になる。


「松には大量の油分が含まれていまして。『松明(ソンミン)』なんて言葉があるでしょう?

 松香はその樹脂なので、これまたよく燃えるんですよ」


 しかしタジは自分が語るのに夢中というか。

 もはや相手を置き去りにする勢い。


「なぜこんなものを劇団が所有しているのか。はい、そこのあなた」

「私!?」


 タジは急にヒロイン役の女性を手で指す。

 女性は驚いていたが、役者である。

 アドリブに対応する反射神経がある。


「大道具なんかを作るときの、接着剤に使います」

「そのとおり。薛吉さんが小鳥にご説明くださった、そのままですね」


 タジは残ったもう片方の、松脂付きの下駄を手に取る。


「ではなぜそれが下駄の歯に付着しているのか。

 ご存知の方も多いことでしょう」


「滑り止めだ」


 答えたのは座長。タジは満足そうに頷く。


「はい。西洋の劇団なんかは、このネバネバをさらに加工して靴底に付けるとか。

 ロジンと言うのだそうです」


 タジは松脂を指でつつく。

 今はくっ付いて糸を引くようなことはない。


「下駄は靴より立ったり歩いたりが不安定になる履き物です。

 今回の劇の殺陣といった、激しい動きには致命的に向いていない。


 そこで蔡盛さんは、せめてもの踏ん張りを利きやすくするため。

 下駄の歯に滑り止めとして松香を塗ったのでしょう」


 松脂が指にくっ付くことはないが。


 代わりに砂が剥がれて、パラパラとバケツの中へ落ちていく。


「ただ、そこの方がおっしゃってくださったように、これ自体は接着剤です。

 塗りすぎては床にくっ付いたりと、逆に支障が出てしまう。


 だから蔡盛さんは、この下駄を履いて厠に行ったんです。


 ちゃんと動けるか確認するために。

 道中で余分な松香が落ちるように。


 その結果、下駄の裏には砂が付き、


 蔡盛さんを殺した犯人が履き物を交換した際、これを履くことになったのです」


 全員の視線が薛吉に集まる。


 その圧で腹から押し出されるように。

 彼は掠れた声で、反論を絞り出す。


「や……それが、蔡盛の下駄だとは限らないだろう……!

 オレが、自分の下駄に……」


「あり得ません。


 下駄に松香を塗った本人なら、草鞋を履いた演者さんたちと同じ。

 舞台へ上がるまえに、砂が付いていないか確認します。

 付いていたら落とすし、取れなければ楽屋にあった予備を使います。



 でもあなた、砂にまったく無警戒で舞台上に撒き散らすし。

 座長がお怒りのときも、心当たりがない顔をなさっていた。


 さっき私が燃やしたときだって、『なんだなんだ』と驚いてらっしゃった。



 この下駄に松香が塗ってあることを、ちっとも知らなかったじゃないですか。



 あなたが持ち主でないことは明白です。


 それとも劇団のみなさん、どなたか勝手に松香をお塗りに?」


 タジはたっぷり10秒ほど時間を取った。


 しかし、その間(かん)誰も言葉を発することはなかった。

『私が塗った』という団員の名乗りも、


 薛吉の反論も。


 タジは鼻から深呼吸をし、ズレてもいない帽子の位置をなおすと、


「以上です。まだ何かございますか」


 一転、締めくくりとして静かに付け足した。


 その後また訪れた沈黙は、『言葉がない』というより。


 劇団員全員が、薛吉の言葉を待っている雰囲気だった。


 しかし彼に言えることなどない。

 それもみんな分かっている。


 突き刺さる空気の中、薛吉が絞り出した言葉は



「午後の部は……、やらせてもらえるんだろうか」



 やはり反論ではない、別の話題だった。

 団員たちが困惑でざわ付くなか、タジはひとり呆れたように笑う。


「それは陛下がお許しになるか、団員のみなさんが


『あなたと一緒に舞台に立ってもいい』


 と思ってくださるか次第ですから。

 とても私には分かりませんが」


『少なくとも、私はもう興味がないよ』


 とでも言うように。

 タジは鼻から息を抜く。



「やるなら午後の部の切腹も、や(・)っ(・)た(・)フ(・)リ(・)でお願いしますよ」











             ──殺しの実演 完──









お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりドキドキしていただけたら、

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よろしくお願いいたします。

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