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7.

 飛燕はその文字列をまじまじと見る。

 最初は血みどろの紙を視界に入れるのも嫌そうだったのに。

 それだけ『遺書』という言葉はインパクトがありつつ、


「そりゃ突発的な飛び降りとかならともかく。切腹するくらいだったら、あるよな」


 ただひとつの正解かのような親和性を持って、存在感を放っている。


「読んでみてよ」

「えぇ!? これを!? 開くの!? 触るの!?」


 それはそれとして呪物めいている。

 さらに踏み込むことに、飛燕は強い忌避感を示すが、


「当然じゃないか。読めば大体の因果が分かるんだし」

「いや、でも、明らかに自殺で遺書もあってさ。

 オレたちの役目もう終わりじゃね? そこまでするほど手当ても出ないしさ」

「じゃ、陛下にそう報告するといいよ」

「読みますよ!」


 いつの時代も、下っ端に拒否権などないのだ。

 上役が率先して呪われてくれるのなんて、ツタンカーメンの墓荒らしくらいである。


 飛燕は丁寧に遺書を開く。

 血で貼り付いた紙が破れないようにか、単に開けたくないのか。


 やっとのことでたどり着いた内容は、


「えー、


『この度は主役と陛下の御前で演じる機会をくださり……』」


「重要そうなところだけ、かい摘んで話してよ」

「無茶言うな、ただでさえ血で読みにくいのに。自分で読め」

「嫌だよ」

「その方が見落とし少ないだろうが! ったく」


 文句を言いつつも黙読を始める飛燕。

 自分にできることは多くない自覚がある。


 だからこそ、できるサポートには取り組むつもりでいるのだ。


 誠実40パーセント、皇帝に怒られたら怖い60パーセント。


「まとめると、



『陛下の御前で舞台に立つ勇気がない。


 そんな状態のせいで失敗したらみんなに申し訳ないし、

 急にこんなことを言い出して混乱させるのも申し訳ない。


 また、そんな自分の役者としての限界に絶望したので死ぬ』



 ってことらしい」


「ふーん」


 タジの返事は淡白。

 知り合いでもなければ舞台人でもないので、当然と言えば当然だが。


 だが、同じ劇団でやってきた女性には涙を誘うものだったらしい。


「そんな……! 何も死ななくても……!

 薛吉さんと代わってもらえばよかったのに!」

「それも思ったそうだが、


『御前に立つ栄誉もそれはそれで惜しく、手放す勇気も持てなかった』


 らしい」


 一部の運動部経験者なら分かるかもしれない。


『レギュラーには選ばれたい』

『しかし試合で監督からの怒られ方が半端なくなるので、それはそれで怖い』


 という経験。


「それで切腹かぁ」


 タジの呟きに飛燕が顔を寄せ、ヒソヒソと叱る。


「おい! 劇団員の人が悲しんでるんだからな! もうちょっと心配りってのを!」

「そんなのしてたら捜査できないよ」


 しかし彼女は声を絞ることすらしない。


「あのなぁ!」


 これは一度ガチ説教か、と眉を吊り上げる飛燕に、



「だってこれ、自殺じゃないでしょ」



「えっ」


 あくまでタジは冷静に反論する。


「どういうことですか!?」

「なになにー? なんかあったのー?」


 距離でショックが変わるものでもあるまいが。

 飛燕より先に劇団員の女性や外の小鳥が反応する。


「何言ってんだよ! こんなのどう見たって!」

「君は本当に劇を理解していなかったんだな」

「劇ぃ?」


 飛燕に詰め寄られ、若干のけ反りながら。

 タジは小馬鹿にしたように、鼻からため息をつく。


「あの劇を観たら、知らなくても分かるはずだよ。


『切腹とはサムライとしての名誉を保つ死に方である』

『他の死に方と違い、特別なもの』


 ってこと」

「それがなんだってんだ?」


 タジはスッと人差し指を下へ向ける。

 そこには飛燕の手があり、遺書をつかんでいる。


「うわっ!」


 飛燕はつい血まみれの部分を握っていたことに悲鳴を上げる。

 しかしタジはお構いなし。


「その遺書にあった自殺の動機。



 そんなにメソメソしている人が、


『名誉を保って死のう』


 なんて考えるかい?」



「あー、どうだろう」

「保つ名誉も、恥も外聞もない人が。本人の中ではあったとしても、だ」


 タジはまた遺体の側にしゃがみ込む。


「そういう思考なら厠で死なない。

 もっと綺麗な場所で死ぬだろうさ」


「楽屋とかで死んだら迷惑、ってのは?

 ここなら掃除もしやすい。人への迷惑を気にしてるみたいだったしさ」

「だったら衣装着て死なないね。血で汚されたら、降板されるより迷惑だろう」

「確かに」


 彼女は遺体の下側を覗き込もうとして、髪が床に触れそうなのでやめる。


「それに、舞台での切腹の場面。

 横に刀を持った人が待機していたろう?」

「あぁ」

「切腹は即死しないんだ。

 だから長時間苦しまないよう、『介錯』といって首を落とす係がつく」

「結局斬っちゃうんじゃん」


 やはり飛燕には理解できない美学、精神性なのだろう。

 タジも怪しいものではあるが。


「名誉を保つでもなく選ぶ死に方じゃない。

 ましてや御前で舞台に立つ勇気すらない人間がね」

「それは、言えてるな」


 飛燕が両手のひらを上にして首を小さく左右へ。

 じ(・)ゅ(・)う(・)ぶ(・)ん(・)納得したようだ。

 というかあまり考える気もないので、意見を固持することもない。


「極め付けはこれさ」


 しかしタジにはまだ何かあるらしい。


 彼女が指差したのは、床に落ちている



「小刀、だな」



「うん。おそらく切腹に使ったであろう」

「それがどうしたんだ?」


 タジは遺体に直接触れないよう、人差し指を首の方へ移動する。


「見えにくいけどさ。

 彼、喉を突いた痕がある」

「マジか」


 飛燕も確認しようとするが、やはり軽くしゃがんだだけで諦める。


「あれか、


『切腹したあとに喉なんか突けるか』


 ってか」

「いや、そうじゃない」

「じゃないんかい!」


 タジの視線は遺体の手に向いているようだ。


「実際、介錯がいないときに自分でそうした例はあるらしい」

「切腹に詳しいんだな。なんか嫌だな」

「詳しいのはサムライ好きの妃嬪だ。私が知りたかったわけじゃない。

 それはどうでもいい。


 問題は小刀が床に落ちていること。

 腕がだ(・)ら(・)ん(・)としていること」


「はぁ」


 明らかに要領を得ていない飛燕。

 確かに


「そりゃ死んだらそうなるもんじゃないのか?」


 脳を使っていないような返答だが、


「じゃあ君が切腹したあと、喉を小刀で突いたとしよう。どうなる?」


 タジは気にしていない。

 期待していない?


「どうって」

「床が汚いからやらなくていいけど、うつ伏せに倒れるだろう?」

「仰向けかもよ」

「仰向けは切った腹が見苦しいから、うつ伏せになるの」

「なるのって言われてもなぁ」


 飛燕は目の前に見えない壁があると仮定したパントマイムをする。

 その壁が本来は床、という体(てい)で。


「こう?」

「腕はどうなってる?」

「腕?」


 タジは飛燕の腕をつかんで、強調するように揺らす。


「喉を突いた体勢のまま、体と床に挟まれて固定されるだろう?」

「あ、あー、確かに?」


 解説を聞いた飛燕より、タジの方が大きく頷く。


「つまりだ。ここから


『腕は真っ直ぐだ(・)ら(・)ん(・)と』

『小刀は抜けて地面に』


 って状態になろうとしたら。


『上半身を起こして、あるいはうつ伏せになるのを耐えて』

『喉に刺した小刀を抜く』


 っていう動きをしなければならないんだ。


 腹を切り、喉まで突いた人間がね」


『証明終了』というようにタジは立ち上がる。

 飛燕はしゃがんだまま、驚愕の目で彼女を見ている。


「お、オマエ」

「うん。誰かが手を加えた、と考えるのが妥当だ。


 少なくとも、ただの自殺ではないと私は考える」


 タジはいくらかのドヤを含む顔で飛燕を見下ろす。

 しかし、


「それもあるけど。



 オマエ、ちゃんと劇見てたんだな」



「……」










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