2.
「タぁジさぁ~ん!」
「朝からうるさいな」
雲鷹殿。
妃嬪や『少女』たちは毎朝同じ時間に起こされる。
しかし後娼に世話を焼いてくれる侍女などいない。
よって、役目さえ果たせば、いくらでも自堕落に暮らしていいもので。
朝の9時過ぎ。
タジはまだ寝ていた。
そこに小鳥が乱入してきたわけである。
「鍵掛けてたんだけど」
「合鍵持ってる」
「身分社会が撤廃されたら、君は真っ先に逮捕されるだろうね」
「そんなに人権溢れる世界が来たら、きっと子どもは罪に問われない」
「社会舐めんな」
性格的にも、後宮娼婦という職業柄でも意外だが。
実はタジ、早起きな方である。
なんだかんだ遊牧民の生活リズムを保っているのだ。
マメなのではなく、夜型に順応する気がしなかっただけ。
その彼女がこの時間まで寝ている。
しかもソファで、いつもの服装で。
何やら夜更かしでもして、寝落ちしていたようだ。
「で、なんの用? もうひと寝入りするまで待てない用? 寝ながらじゃダメな用?」
タジは床に落ちていた帽子を被ろうと手に取って、
この様子では風呂にも入っていないのだろう。座卓の上に置く。
「ダぁメに決まってるでしょ~!」
小鳥がその帽子を手に取る。
「今日は劇団が公演に来る日だよ!? 知らないの!?」
「あー、そんな話もあったか」
「『連れてって』って約束したじゃん!」
「約束はしてない」
「おねだりしたじゃん!」
「あーはいはい、お小遣いあげるから外で遊んできなさい」
「命ずる」
「滅べ身分社会」
意外と世界を呪う言葉はフランクに吐かれる。
タジは頭を掻きながら、ようやくソファから腰を浮かす。
「来てくれないと帽子返さないからねー! 帽子質!」
「あげるよ……いくつか持ってるし……」
体を起こしたら頭へ血が行かなかったらしい。
タジの声が小さくなる。
しかし、命の次くらいには大事そうな(大事なものがあまりなさそうな)帽子である。
なんか簡単に譲られて、小鳥も少し不安になる。
メイドさんが盆でやるように、帽子を両手で胸に抱える。
「そんなに行きたくなかった……?」
するとタジは微笑んで首を左右へ振る。
寝起きゆえか、普段の3割増しでトロンとして優しい。
「何時から?」
「10時」
「お風呂だけ入ってくるから。座って待ってて」
「やったぁ! タジ姐!」
「調子いいんだから」
タジは入浴用グッズを抱え、部屋を出る直前の玄関で振り返る。
「そういえば、朝食ってどこかで食べられるかな」
「出店来てるよ」
「よし」
と、面倒見のよさを発揮するタジだったが。
「……」
「タージー姐♡」
「……」
後宮を出て鳳翔殿。
開場まで待機で集まっている人の群れの中。
タジは微塵も隠す様子がなく、ぶすっとしている。
「どうしたの~? 怒っちゃやーよ♡」
小鳥が両手の人差し指で、ピシピシピシピシ腕をつつく。
理由は単純。
「昼の部があるじゃないか。わざわざ起きなくてよかったじゃないか」
興味を示さなかったために調べず、まんまと嵌められたからである。
「帽子没収!」
「いやーん!」
小鳥が被っている帽子をタジが剥がそうとする。
それを小鳥が両手でガード。
没収するのはいいが、タジはすでに別の帽子を被っている。
取り上げたあとどうするつもりなのか。
「朝ごはん奢るからさぁ。ね?」
「食べ物で怒りは収まらないぃ~!」
要は戯れなのだろう。
小鳥は今、帽子をガードすべく両手を頭の上に乗せている。
タジは漢服の広い袖口が垂れ下がった隙間から、脇を狙ってくすぐり攻撃。
なんだかんだ仲のいい二人がキャアキャア騒いでいると、
「普通は逆じゃねぇの?
『怒りで腹は膨れない』
ってさ」
不意に声が割り込んでくる。
ふたりに近付いてきたのは、
「お兄!」
「よっ」
1章分ぶりの飛燕である。
「後娼だからって、あんまり公衆の面前で人の妹を辱めてくれるなよ」
「失礼な」
言いつつ、実兄の前で服の中に手を入れるのはマズいと思ったのだろう。
タジも小鳥の背後に立ち、ほっぺたもちもち攻撃に切り替える。
「衛尉官がこんな時間にほっつき歩いてていいの。何、解雇?」
「オマエの方が失礼だろ。今日は遅番なの。昼から」
「へぇー」
タジは視線を小鳥に落とす。
「さては午前の部にこだわったのは、お兄と一緒に劇を見るためだな~?」
「正解~!」
「オマエが『お兄』言うな。なんか嫌だ」
「それより遅番なら、いよいよ寝といた方がいいだろう」
「まぁまぁまぁ。オレもまだ若いんでね」
多くの人から愛情を徴収するのが上手な小鳥であった。
開演時刻迫り、外では多くの殿上人が詰め掛けている一方。
鳳翔殿の中。
ここは朝廷の宝物や芸術品が多く収められている、文化のライブラリ。
というわけで、文化芸術に関するものは大体備わっており、
当然、使用に耐え得る舞台も存在する。
その上で、
「よし」
軽くジャンプをしているのは薛吉である。
彼は異国のサムライの役。
慣れない袴はなんとかなるとして、
役のために下駄を履いている。
これが曲者で、彼自身安定して動けるようになるまで月単位掛かった。
だがそれも、日常生活や慣れた舞台の上での話。
屋内スポーツをしていた方ならご存知と思うが。
床のコンディションというのは会場によって大きく違う。
滑りやすいとか反発力とか。
それがこの時代の木材の床ともなれば。
学校の廊下と珪藻土マットくらい感覚が違う可能性もある。
というわけで、下駄でどこまで動けるか。
どこまで大股に歩いて大丈夫か。
絶対に転んだりできない殺陣のシーンは。
そういったことを確認しているのだ。
跳んだり走ったり、すり足気味に動いたり。
薛吉が集中しているところに、
「やぁ、動きやすそうかい?」
「……オメェも自分で確かめたんだろ?」
「そうだけど、君の意見も聞きたくて」
蔡盛が声を掛けてくる。
本来なら邪魔された怒りと午後組に対する敵愾心で、答えないところだが。
「オレは大丈夫だが、オマエは気を付けた方がいいかもな」
「どうして?」
「あくまで歩いてみての勘だが、この木材の感じ。
あるだろ? 水を弾く系統の床が」
「あー、はいはい」
「みんなが汗を垂らし始めたら、後半滑りやすくなってくるだろうな」
あえて惜しみなく伝えてやる。
なぜなら、
「そうか。じゃあ、午前の部が終わったら床掃除を徹底しよう」
「その方がいいぜ」
(どうせオマエがそれを活かすことはないからな)
薛吉の中には、演技プランとは別の計画があるのだから。




