10.
昼下がり。
個人の生活リズムにもよるが、一番人が活発に動く時間と考えていいのでは。
それは妃嬪たちも変わらない。
むしろ彼女たちの生活は管理されているゆえに、規則正しさを求められる。
そのため毎朝起こされるが、起きてもすることは特にない。
そのため暇がピークになった乙女たちが、娯楽を求め彷徨う。
それが昼という時間帯である。
集まって毎日毎日変わり映えしない話題でお茶会をしたり。
手の内を知り尽くした相手と似たような展開の囲碁を打ったり。
手習いをするのも暇潰しの一環である。
さすがに昼から後娼を呼ぶ人は多くない。
いなくはない。
そんな時間に徐妃はというと。
部屋にじっと引き籠っている。
笛を吹きにも行かず、お茶会の誘いも断り。
何せ、外へ出たら。
「……」
徐妃は閉じたカーテンを少しだけ開き、隙間から外を見る。
「いない、わね」
外へ出たら、またタジとか遭遇するかもしれないのだから。
昨日のような目に遭うのはごめんである。
「ふう」
しかし徐妃とてすることがない。
笛子を吹く気にもなれない。
「英でも呼んで、双六とかしようかしら」
侍女を相手に暇潰ししようと思い立ったそのとき、
『徐妃さま』
寝室と他の部屋を分ける引き戸の向こう。
当の英の声がする。
「何かしら」
お付きだけあって気が利くのか、はたまたエスパーか。
答えは
『お客さまがいらっしゃっています』
どちらでもないらしい。
それ自体は構わないのだが、
「どなたかしら」
徐妃の表情は険しく、声は低くなる。
何せ、聞いてはいるが、言われなくとも分かるのだ。
『後宮娼婦のタジさまでございます』
「ちっ」
(やはりコイツか! またコイツか!)
とは叫ばなかっただけ、徐妃は自制が効いたと自己評価する。
部屋の外で待たせているはず。舌打ちくらいなら聞こえないだろう。
『お会いになられますか?』
「いえ、今日はちょっと気分が優れないわ。
後日出直してもらって」
『承知しました』
タジはともかく、侍女が逆らうはずもない。
タジはともかく。
「……」
英が表へ対応に戻ったのを、徐妃はこっそり追い掛ける。
自室の玄関から見えない範囲で、最大限近付くと
「ええー? そうなんですか?」
「はい。誠に申し訳ありませんが」
やはりあの女の声がする。
「お大事にと伝えてください」
「承知しました」
やはり自分が出なくてよかった、とひと息つく徐妃だが、
「じゃああなたでもいいや。ひとつお聞きしたいんですがね?」
話が変わってきた。
当然自分ではタジと話したくない。
昨日のように詰められては身が保たない。
が、自分以外が詰められてもまたマズい。
最低限隠すことや嘘のコントロールが一切できなくなってしまう。
これはこれで死活問題である。
「あのですね?」
「はいはい」
しかもタジはここに来て、急にヒソヒソ話し始めた。
何も分かっていない侍女も、なんとなく合わせて声をひそめる。
これでは会話が何も聞こえない。
気になる。
何を話しているのか。何をつかんでいるのか。何を探っているのか。
聞きたくないが、聞かずにはいられない。
徐妃がタンスの陰でモジモジしていると、
「…………生薬……」
「……漢方…………」
「!!」
聞き捨てならないキラーワードが耳に届く。
取り返しの付かないことになってからでは困る。
困るどころではない。
「タジ。私に用だと聞いたのだけれど」
「徐妃さま」
徐妃は意を決して姿を現す。
「お加減はよろしいのですか? ついさっき『具合が悪い』と」
「せっかく来たんだもの、少しぐらいはお相手しましょう」
「お心遣い感謝します」
「で、話って?」
その代わり、なるべく玄関で押し返そうとするも、
「中で落ち着いて話しましょうか」
「いえ、長話はしんどいから、ここで」
「そんな状態で立ち話なんてさせるわけにはいきません。
奥で座って話しましょう」
骨を断たせぬ代わりに、肉には噛み付かれた。
「それで、話って何かしら」
テーブルを挟み、椅子に座って向かい合うふたり。
その傍らに侍女が立っている。
「それがですね」
タジはそれを気にする様子を見せた。
徐妃はため息を噛み殺す。
「英、お茶を淹れてきてちょうだい」
「かしこまりました」
侍女が場を離れると、タジはすかさずテーブルに身を乗り出す。
「例の鄭妃への誹謗中傷なんですがね」
少し小声である。
今更何を気にしているのか、と思う徐妃だが。
薮蛇も嫌なので指摘しないでおく。
単なる回りくどいパフォーマンスの可能性もあるのだし。
「どうやら話していた人を数珠繋ぎしていくとですね?
必ずあなたの周囲に当たるんです」
「そう」
「さっきの侍女さんとか」
「それで?」
徐妃はあくまで言葉少なく、何もつかまれないよう反応する。
するとタジはさらにテーブルへ身を乗り出す。
椅子から腰が浮いて、上半身全部で被さる勢いである。
妃嬪を前にしたマナーなど一切ない。
「徐妃さまからやめるよう言っていただきたいんです」
「私に?」
「はい」
徐妃はさりげなく椅子を退いて、わずかでも距離を取る。
「言ってもいいけれど、意味はあるのかしらね。
私の周囲に流れてきた流言は堰き止められるけど。
そしたら黒幕も、結局は別の道筋から噂を広めるだけでしょう?」
するとタジは自分の椅子に戻る。
反論で叩いてやったから退いたのではない。
単純に姿勢が苦しいからであり、
「いえ、私は
そこが発生源に極めて近いと思っています」
本番に向けて体勢を整えるためである。
徐妃も意識して体を固め、体勢を崩さない。
「言葉に気を付けなさい。それは
『私の周囲は誹謗中傷する人間が多い』
『私は侍女の人間教育ができていない』
『私は友人を見る目がない』
という侮辱になりかねないわ」
「いえ、まさかそんな。そういう意図があったわけではないんですがね?
いやしかし、このまえも画家さんを誤解させて、怒らせてしまいましてね?
悪い癖だ。
ご存知です? 宮廷画家の德加さん」
「いいから早く説明をしなさい」
これはさすがに、やましいことがなくともくどい。
徐妃が遠慮なく睨み返すと、タジはズレてもいない帽子の位置をなおす。
「失礼。その失礼ついでなんですが。
そう考えると、全ての辻褄が合うんです」
「どうして」
徐妃は冷静を装って返しつつ、
(英! 早く来て! 早く! お茶なんかにいつまで時間を掛けているの!)
心の内で悲鳴を上げている。
「本当に失礼ながら、徐妃さま。
あなた、呉大人の一番弟子であらせられるでしょう?」
「……その枕詞で入るということは、そういうことよね?」
「はい。
正確には『あらせられた』。
鄭妃が現れるまでは」
(いや、お茶が来ていなくてよかった)
徐妃はテーブルの下で、震える拳を隠す。
今手元にカップがあったら、間違いなくタジの顔に中身を掛けていた。
それを知ってか知らずか、タジは余裕のまま続ける。
「今回の誹謗中傷、いえ、薬からの一連の流れは明らかに、
『笛子奏者としての鄭妃を貶める』
ことが目的です。
ですので、仮にあなたの周囲の人間、つまり
『徐妃贔屓の人間』
が、
『徐妃を一番弟子として復権させる』
ことを狙ったとすれば。
それが一番、あり得る話だとは思いませんか?」




