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タジ 〜後宮娼婦の事件簿〜  作者: 辺理可付加
死人なら口なし
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8.

 翌朝。


 後宮の庭園に笛子の音が響く。

 美しいゆえに文句を言われないが、早朝である。


 夏には貴重な涼しい空気。

 本来肌でしか感じられない玲瓏(れいろう)さが、音に輪郭を与えられるような雰囲気。

 朝靄(あさもや)でも満ちていれば雰囲気が増したかもしれないが。


 ちょうど夏だけが発生しない季節である。

 秋は着実に近付いているが、まだ少し。


 だからこそ独占できるのかもしれない。


 徐妃は無人の庭を、自分だけのコンサートホールにしている。


 伴奏もなければ、自分を塗り潰す音色もない。

 天上天下、自分の音だけが受容されている。


(岩肌の窪み、松の幹、苔のひと粒まで沁みよ)


 相手が人であるのか、賞賛が返ってくるのか。

 気にするのは個人次第だが。


 少なくとも今の徐妃は、


『吹いたなら無機物すら魅了してみせる』


 そんな情熱を込めている。


 むしろ人などいない方がいいのかもしれない。

 人は純粋な音の価値以外に、他と比べたり余計な基準を持ち込むから。



 ある種、雑念が多いとも言える状態であったが。

 徐妃はミスなく1曲吹きとおす。


「ふう」


 演奏終わりの息継ぎ。

 自身の音色が染み込んだ朝の空気を取り込み、肺を清める。


 徐妃が音楽家にしか味わえない特権に身を震わせていると、



 パンパンパン、と拍手の音が割り込む。



 賞賛の表現ではあろうが。

 純粋に音として聞けば、笛とは比べものにならない雑で俗な音。


 彼女の世界がぶち壊される。

 たとえどれだけの聖人君子美男美女でも。

 人類未到たる最後の楽園には、踏み入ってはならないのだ。


 しかもそれが。


「……」


 徐妃はゆっくり振り返る。


 そこに立っているのが、



「素晴らしい演奏でございました。

 文字どおり『目が覚める』とはこのことです」



「タジ」



 この女だとしたら。


「おはようございます」

「えぇ、おはよう」


 物腰は丁寧なように見えて、無遠慮に距離を詰めてくる。

 徐妃はタジを視線で牽制してみたが、効果はない。


(このような神経で、本当に笛子の繊細さが分かるものか)


 逃げてやろうかと思った徐妃だが。

 彼女はちょうど池の縁、姜太公釣魚台のような岩の上に立っている。


 逃げられずに立ち尽くしていると、タジはもう数歩の距離。

 完璧なまでの笑顔だが、逆に朝からはカロリーが高い。


「拍手はすぐにしないこと。余韻を楽しんでから。

 演奏会のマナーよ」

「これは失礼」


 絶対に思っていない。

 徐妃の予想どおり、そもそも笛のよさが分かるかも不明だが。

 演奏会を嗜む人種でないのは確かだろう。


『まぁ私には関係ないな」


 という顔をしている。


「それで、今のはなんという曲なんですか?」

「あら、興味がおありなの」

「いや」


 タジは『ちょっと待って』というように手を挙げる。


「どうだろう。他人の演奏を聴いたらガッカリするかもしれない」


 ストレートで見え透いたお(・)べ(・)ん(・)ち(・)ゃ(・)ら(・)だが。

 なにぶん後娼だけあって顔はいい。

 徐妃も敵意がなければ騙されていたかもしれない。


「『桃下瞑目』という曲よ。今度鄭妃にでも吹いてもらいなさい」

「なるほど、『桃下瞑目』『桃下瞑目』」


 わざとらしい繰り返しがまた、除妃の神経を逆撫でする。


「それで、今度は何?」

「と言いますと?」


 相手が妙に隠すのであれば。彼女は真っ直ぐ当たることにした。


「後娼みたいな夜遅い仕事が、朝からウロウロしているとは思わないわ。

 何か理由があって出歩いているんでしょう?」

「えぇ、はい。実はそうなんです」

「で、用事があるのに道草食うわけはないし。

 私に用事があるんでしょう?」

「用事が終わった帰りかもしれませんよ?」

「そう。じゃあ私部屋に戻るわ。ごきげんよう」

「あぁちょっとお待ちください」


 徐妃が岩から降りようとすると。

 タジは道を塞ぐまではしなかったが、あとを着いてくる。


「いえ、まったくもっておっしゃるとおりなんです。

 私、あなたを探しておりました」


 ずっと着いてこられても面倒である。

 徐妃は数歩進んだ位置で立ち止まる。

 端から脱出さえすれば、逃げるのはいつでもできる。


「じゃあ回りくどい前置きはナシにして、さっさと話してちょうだい。

 後娼ごときが妃嬪の時間を取るものではないわ」

「失礼いたしました」


 タジは帽子を抑えながら頭を下げる。

 徐妃からすれば、丁寧なはずの動きにすらイラッとしてくる。

 できるかぎり動かず、話さず、呼吸だけしていてほしい。マネキンになればいい。


「今朝は徐妃さまにお願いがあって来たのです」

「お願い?」

「はい」


 思考回路が理解できない、したくもない女からの『お願い』。

 正直聞きたくないというのが徐妃の素直な感想ではあるが。


(酒宴のことを詰められるよりはマシ、か)


「いいでしょう。まずは聞くだけ聞いて差し上げるわ。検討はそれから」

「感謝します」


 しかしその認識は甘いと言わざるを得ない。

 何せ、ほぼ交流のない両者の間で話題に上がることなど、


「例の酒宴での、鄭妃の演奏のことなんですがね?」

「っ」


 これ以外に何もないのだから。


「先日の徐妃さまの態度を拝見するかぎりですね? 鄭妃さまも


『噂が流れるのもや(・)む(・)な(・)し(・)』


 くらいには失敗したかと思っていたんですが。


 これが他の参加者に聞いてみると、みなさん


『目立ったミスはなかった』

『あんな噂が立つほどじゃなかった』


 とおっしゃるんです」


「まぁ、人によるわよね」

「全員とまではいきませんが、10人以上は聞きました。信用できるかと」

「まぁ判断したのは私たちじゃなくて呉先生の霊……はまぁいいわ。

 それで『お願い』って?」


 空がようやく薄明るいくらいから『朝』という色になってくる。

 しかし徐妃には物語のような好転の兆しには感じられない。

 ただタジだけが明るく笑っている。


「徐妃さまには


『鄭妃の演奏は素晴らしかった』


 と明言していただきたいのです」


「私が?」

「はい。実際に鄭妃さまの演奏が呉大人の求める質ではなかったとしてもです。

 噂は


『呉大人が夢枕に立ってそう告げた』


 ではありません。

 ましてや霊が人に話してまわったら、そちらの方が話題になります」

「そうね」


 タジは軽く腰をかがめ、徐妃の顔を覗き込むようにして人差し指を立てる。


「つまりです。結局噂自体は


『悪意のある人間が、彼女を貶めるために流した』


 と見るべきでしょう」


「!」


 徐妃は1歩退がりかけたのを、なんとか堪える。

 距離はあるはずだが背後は池である。


「ですので、弟子たちのなかで筆頭の徐妃さまが否定してくだされば。

 噂も立ち消えると思うのです」

「なるほどね」


 徐妃は曖昧に頷く。


『噂の火元は自分だ』


 とは、口が裂けて言えはしない。


「鄭妃のためにそこまで。あなた、本当にあの娘と仲が良いのね」


 なのでそれとなく話題をズラしておく。


「はい。今回の件は彼女の名誉が掛かっていますから」

「そうね」


 締めになるカッコイイひと言も貰えたところで。


「じゃあ私は鄭妃を庇う言葉を出せばいいのね?

 それで綺麗に解決、と」


 流れで立ち去ろうとする徐妃だが、



「それが、そうでもない可能性があるんです」



「えっ」


 聞き捨てならない言葉で、漢服の裾を地面に縫い付けられる。


「どういうこと?」

「実はですね。鄭妃さま、



 一服盛られていた可能性があるんです」










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