4.
しかし、捜査といっても、事件は後宮で起きたのだ。
外でウロウロしていては何も進まない。
そこで飛燕には特別に、後宮へ立ち入る権利が与えられた。
与えられたのだが……。
「キッツいなぁ」
飛燕は今、渡り廊下を歩いている。
人口の川に差し掛かると、餌を求めて鯉が集まる。
川筋を目で追うと、先には池と庭園。
苔が美しい岩に立つ鷺は、おそらく魚を狙っている。
野生か放し飼いかは彼の知るべくもない。
とだけ聞けば、夢物語の世界へ来られたようにも思えるが。
後宮といえば皇帝とその家族の住まいにしてプライベート空間。
下々が一生触れることのない、触れてはいけない聖域なのである。
またある種、国家機密の塊でもある。
普通なら飛燕のごとき者は近付くだけで逮捕、侵入すれば死罪の世界。
ラグジュアリー空間とか以前の問題であり、ただの竜宮城ではないのだ。
とても観光地気分で歩き回れるものではない。
それだけでも緊張で吐きそうだというのに
橋を渡った先の部屋から、若い女性が出てきて向かってくる。
「こんにちは」
「あ、に、にーはおはおまー」
「はい?」
(今すれ違った人、めっちゃいい匂いした! 甘い香り!)
ときに『後宮三千人』と謳われる規模の女性たち。
その全てが皇帝の側室、つまりは若くて美人どころばかり。
男子禁制、女性の園。
そこに普段女っ気のない暮らしぶりな、若い武官が放り込まれたら。
(い、いかん! オレ、爆発する! 早く目的地へ着いてくれ! 解放してくれ!)
念のため言っておくと、下ネタではなくメンタルの話である。
というのはさておき、
(怖い! 帰りたい!)
限界には違いない。
しかし犯人を見つけないと土に還る。
背に腹は代えられない。
挙動不審、周囲に訝しげな目でジロジロ見られつつ。
飛燕が最初に向かったのは、
「小鳥!」
「お兄!」
瑞鶴殿。
ここには年の離れた妹である、飛小鳥がいる。
飛燕が部屋に入ると、小鳥は真っ赤に泣き腫らしているところだった。
床に直で女子座りである。
「お姉ちゃんが! お姉ちゃんが!」
「分かっている! 小鳥! 小鳥!」
胸に飛び込んできた妹を抱き締めてやると。
ここまで何が何やらで頭が追い付いていなかった飛燕にも、
『姉を喪った』
その実感が湧いてくる。
「お姉ちゃんが! お姉ちゃん!」
「姉さん! 姉さん……!」
やがて大の男でも妹の体重を支えきれなくなり、
ふたりしてまた床に座り込み、時間を忘れてただただ泣いた。
「無駄に時間を浪費してしまった」
「ひどくない?」
ひとしきり泣いて、泣き止んで。
本当はまだ泣いていたい、泣き足りない気もするが泣き止んで。
ようやくふたりは会話に入る。
「いや、悪い。でも実際、時間がないんだ」
「死体腐っちゃうから?」
「オマエの方がひどくないか?」
小鳥はベッドに腰掛け、脚をプラプラさせている。
御前裁判のことを知らないから、話の全体像が見えていないのだ。
重ねて時間がもったいない気もするが、必要なことだろう。
飛燕は椅子に軽く座りなおし、かくかくしかじかする。
「はぁ!? 何それひどくない!?
いや、ひどいというレベルではない!
『酷』ではなく『非道』!
齢13の少女の語彙では、筆舌に尽くしがたい!」
「いや、たぶん衛府の誰より語彙力あるよ」
さすが
『将来美人になるのが確定だから、今のうちから教育しておく』
枠で後宮に入っている、というのはさておき。
「だからオレは3日で、姉さんを陥れた犯人を探さなけりゃならない」
「うむ」
「それだけじゃない」
飛燕は小鳥の隣に移動し、腰を下ろす。
「いいか小鳥。
『姉さんの自殺にかこつけてあんな遺書を作った』
それだけでも許せないがな。
そもそも姉さんに自殺する理由があったとは思えない」
「それって!?」
「しーっ」
思わず声を上げた小鳥に、飛燕は人差し指を立てる。
その瞳に暗い炎が宿る。
「あぁ。確定じゃないから大きな声では言えないがな。
遺書を偽造したヤツを見つけたとき、
おそらくソイツが姉さんを殺した犯人でもある。
逆も然りだ」
小鳥の、一旦落ち着きを取り戻した体がまた震え始める。
だが今の飛燕にはやはり、ケアしてやる余裕はない。
「そのためにも
『あの手紙を書いたのは姉さんじゃない』
って証拠を手に入れないといけないんだ。
オマエ、姉さんからの手紙とか持ってないか?
筆跡を見比べたら一発だと思うんだ」
「あ、あー」
残酷だと分かってはいるが。
飛燕は捜査のために借りた遺書を小鳥に見せる。
しかし期待に反して返事は煮え切らない。
持っていないのかと思いきや、
「お兄は知らないかもしれないけど。
お姉ちゃんみたいな身分になると、字のキレイな代筆さんを使うんだよ。
筆跡見ても意味ないよ」
「な……! そん、な……!?」
あまりのショックと高級マットレスの反発力で、飛燕はバランスを崩す。
ちょうど尻餅をついたような体勢に。
何せ彼からすれば、これが勝ち確の切り札だったのだから。
そして、初手から切り札で行って空振ってしまったなら。
「お、オレは、オレはどうすれば」
「元気出してお兄」
「うん……」
お先真っ暗やら、妹の存外あっさりした励ましに余計凹むやら。
しかし小鳥も、何も飛燕の方は死んでもいいと思っているわけではない。
ただ冷静なだけだ。
「落ち着いてお兄。
『手紙を書いたのがお姉ちゃんじゃない』
って証明するのが難しいならさ。
お兄が言ったんじゃん。
『お姉ちゃんを殺した犯人が、遺書を偽造した可能性が高い』
って」
だが人差し指を立てて振る仕草は子どもっぽいか。
あるいは初等教育で言い聞かせる教師か。
「だったらそっちから進めるしかない。
『殺人であることの立証』
『犯人の逮捕』
『供述を引き出す、あるいは御前裁判で自白させる』
これしかない」
「オマエ」
「ん」
「語彙力あるなぁ」
「今そこ!?」
脳が溶け始めている飛燕だが、このままでは首ごと脳を失ってしまう。
すぐに体勢を戻し、相手の両肩をつかむ。
「じゃ、じゃあ小鳥! オマエ犯人に心当たりはないか!? 動機がありそうなヤツ!」
しかし、
「なんとも言えない」
「え」
ここでも返事は歯切れが悪い。
「お姉ちゃんが人に恨まれるような人じゃないのはお兄も知ってるでしょ?」
「もちろん!」
「でも嫉妬は無限に買う」
「おぅん」
そこは自慢の姉であるがゆえにそう。
しかしそうなると、
「3日で後宮の人間全てを調べ尽くせっていうのか!?
そっちの方が、無理があるだろ! そもそも何人いるんだよ」
どちらを選んでも痛し痒し。
絶望の袋小路をもう一度味わったにすぎない。
飛燕が頭を抱えると、
「まぁまぁまぁ、お兄」
「なんだよ」
なおも妙に余裕そうな小鳥の声がする。
なんならむふーっとした笑みすら浮かべている。
人の緊急事態に、100点満点のクソガキスマイルである。
「はっきり言って、私たちじゃ限度があるよ」
「当たりまえだ。泰岳府君でもなけりゃ不可能だ」
「うん。でもね、裁きの神はさすがに呼べないけど」
小鳥は膝を抱き寄せ、体育座りのようになり、
両膝に頬を乗せるようにして飛燕に笑い掛ける。
「私、知ってるんだぁ」
今度は優しく。
「何を。犯人か?」
だとすれば、小鳥すなわち希望の女神となるところだが。
それは首を左右に振られる。
そのまま彼女は静かに告げる。
「いい? お兄ちゃん。後宮にはね。
全てを見通す『鷹の目』がいるの」




