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タジ 〜後宮娼婦の事件簿〜  作者: 辺理可付加
死人なら口なし
37/92

5.

「どうかなされましたか?」

「あ、いえ」


 タジはズレてもいない帽子の位置をなおす。


「あまり気にしないで。お医者さま曰く、


『ただの飲み過ぎではないか』


 って」

「なるほど。お師匠さまからの


『酒は控えるように』


 という啓示であったと」

「それは……、破門もや(・)む(・)な(・)し(・)ですね」

「酒毒が魂にまで回っている……」


 などと、すぐさまくだらない話に戻るふたりだが、


「どうかしまして?」

「いえ」


 タジはまた、アゴに手を当てて考える。

 何かが気になっているようだ。


「あの」


 ついには椅子ごと鄭妃の方へ寄る。

 といっても、もともと寄り添う近さで数ミリしか移動していないのだが。


「ひとつふたつお聞きしたいんですがね。あなた」


 そこに、



「鄭妃。具合はどう?」



 第三者が入ってきた。

 その人物は


「徐妃さま」


 鄭妃が状態を起こそうとするのを、手で制する。

 タジが椅子から立ち上がり、頭を下げ、黙って立ち去ろうとすると、


「あら、あなたは確か後娼の娘(こ)ね。

 気を遣わなくていいのよ。同席を許可するわ」


 それも止める。

 さすがに椅子は譲られるが。


 畏れ多いと弁えているのか、単に会話したくないのか人見知りか。

 タジは視界に入らない壁際に行き、


『私は存在しません』


 みたいな顔で立つ。


「それで? 調子は回復したのかしら」

「はい。だいぶよくなりました」

「それはよかったわ。これ、お見舞いの果物」

「ありがとうございます」


 徐妃は部屋へ入ってきた侍女にフルーツ籠を渡すと、


「あ、そうだわ」


 パンと手を合わせる。


「あの日のお酒、いろいろ確認したんだけど。


 腐っているとか毒が入っているってことはなかったみたいだわ。


 だから、よくなったのなら体調不良がぶり返すこともないと思う。

 安心して」


「そうですか、よかったぁ」

「すぐに起き上がって、また笛子を吹けるようになるわ」


 明るい調子で励ます徐妃だが。


 鄭妃の表情はサッと曇った。


「……どうかした?」

「いえ」


 鄭妃は視線を窓の方へ向けるも、


「そうですね。一番の先輩であらせられます、徐妃さまに聞くべきかもしれません」


 また視線を相手へ戻す。


 先ほどまでの元気さは微塵も感じられらない、弱り果てた瞳だった。


「聞かせてちょうだい」

「徐妃さまは、後宮で流れている『噂』についてご存知でしょうか?」

「あ」



「『私が宴席で急な苦しみに襲われたのは、呉先生の霊がお怒りになられたからだ』



 というものです」


 場の空気が一転して重くなる。


「『私の腕前が先生の弟子として恥晒しだったために、破門されたのだ』と」


 壁になっていたタジでさえピクリと顔を上げ、帽子を深く被りなおす。

 徐妃は知る由もないが、先ほどまでの会話で


『破門もやむなし』


 という言葉が、他ならぬ鄭妃から出ていたのだ。

 なんの気ないジョークと思われていたが、


『そうして笑わないと耐えられないほどや(・)る(・)せ(・)な(・)い(・)』


 ゆえのことだとは、思ってもみなかったのだろう。


「あなた、寝込んでいたのでしょう? どこでその話を?」

「ここは1階ですから、庭で世間話をされていれば聞こえます」

「そう……」


 鄭妃はため息とも深呼吸ともつかない息を挟む。

 心理的なものか、実はまだ息が苦しいのかは分からない。


「徐妃さまは、いかが思われますか?」

「え?」


 だが、その瞳には力が籠っている。

 明るい、前向きな力ではない。

 濁った、決してよくはない力。


 彼女自身が内側から発しているというより、

 周囲の引きずり込んでくる負に染まった感じ。


「私の演奏は、そんなにも不出来だったでしょうか」

「それ、は」


「私は破門されたと見て、笛を置くべきでしょうか」


 真っ直ぐ見つめられて。

 今度は徐妃の方が目を逸らす。


 それから数秒黙っていたが、彼女は結局


「体調を崩しているから、そういうことを考えるのよ」


 目を合わせないまま、鄭妃の肩をポンポンと叩いた。

 肯定も否定もせず。


「じゃあ、ゆっくり休んで、早く顔を出せるようになってちょうだいね。

 みんな待っているわ」


 そのまま椅子から立ち上がると、そそくさと退散する。

 気まずさを一切隠さない。


 背中に返ってきた


「そうします」


 というか(・)細(・)い(・)声には、何も反応せず部屋を出た。











 そのまま廊下をずんずん進み、鄭妃の部屋から離れる。

 龍驤殿と他の建物を繋ぐ渡り廊下へ出たところでようやく、


「く、くくくく、く……」


 徐妃は欄干に両手をつき、肩を震わせる。

 大声を出せば、さすがに鄭妃のところまで聞こえるかもしれない。

 忍び笑いである。


「まさか、ここまでうまくいくとは……!」


 全てが計画どおり、いや、計画以上。



 酒に混ぜた麻黄湯。

 あれは単体であればただの漢方だが、


『他の麻黄が含まれる薬品と併用する』


 と重篤な症状が出てしまう(麻黄以外にも併用禁忌薬がある)。

 多岐に渡るが、例えば


 多量の発汗、頻脈、動悸、精神の興奮状態など。



 殺意があったわけではない。

 なので実際に鄭妃が苦しむさ(・)ま(・)を見たときは、正直驚いたし『やりすぎた』とも思ったが。


 それだけ心身を弱らせたのだろう。

 効果は覿面(てきめん)であった。


 正直、そんなにうまくいくかどうか。

 効けば儲けもの、そうでなければ嫌がらせ。


 そんな程度に考えていた



『鄭妃に笛子奏者としての自信を失わせる』

『心を折って笛を置かせる』


『自身が一番弟子の立ち場に返り咲く』



 という計画が、思った以上にす(・)ん(・)な(・)り(・)進みそうなのだから。


「若いわねぇ」


 徐妃も後宮が存在した時代の人間である。

 霊だ祟りだを『与太話(オカルト)』だと排除する価値観までは持っていない。


 だが、こうも1発で信じられては、笑ってしまうだろう。


「ふう」


 こんなところを人に見られてはマズい。

 笑うにしても胸の内へ収めるにしても、部屋へ戻った方がいい。


 徐妃が深呼吸をして顔を上げると、



 心臓が止まるかと思った。



 喉はひ(・)ゅ(・)っ(・)と鳴った。


 なぜなら2メートルほどの距離に、



「あのー」



 タジが立っていたからである。










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