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タジ 〜後宮娼婦の事件簿〜  作者: 辺理可付加
死人なら口なし
34/92

2.

 呉大人百ヶ日、当日の朝、10時ほど。


「ゲホッ! ゴホッ!」

「大丈夫ですか?」

「大っ、丈夫よ。ゲホッ!」


 龍驤殿、鄭妃の部屋にて。


「ごめんなさいね。朝から、こんな状態で呼び出したりして」


 彼女は咳がひどい様子であった。

 その向かい側に座っているのが、


「お気になさらず。それより頼まれていたものを持ってきましたよ」



 宮中では滅多と見掛けない、北方の異民族の服。

 中性的の範囲内で女性寄りな顔立ちの女。


 タジである。



 彼女は壺を鄭妃に差し出す。


「あぁ、これです、これ」


 侍女に任せず、手ずから受け取る鄭妃。

 蓋を開けると、その中身は、


「この独特の匂い」


 乳白色の液体、

 というか乳。


 馬乳酒である。


 ここ『朝夏(チャオシア)』国ではあまり見掛けないが、タジの故郷では盛んに作られている。

 故郷自体には思い入れのない彼女だが。育った味は懐かしんで、たまに作るのだ。


「咳にはこれが効くわ」

「あまり過信はなさらないよう。『虚実』で言えば『虚証』の薬です。

 咳の原因がなんらかの感染症であるなら、大した効果はありませんよ」


 しかし鄭妃に気にした様子はない。


「でも風邪なんてものの多くは、『虚実混合証』というでしょう?」

「ですが」


 タジの目がじ(・)と(・)り(・)と細まる。


「お顔を見るに、昨夜はずいぶんとお酒を召したご様子で。迎え酒ですか?」


 すると鄭妃もさすがに目を逸らして舌を出す。


「まぁ『酒は百薬の長』と言いますから?」

「それ酒飲み以外で言っている人を見たことがありませんよ」

「御典医の先生も言っておられましたよ?」

「あの人揚げナスで無限に酒飲むんですよ」

「げっほげっほ」

「ごまかすな」


 鄭妃はジェスチャーで側にいる侍女へ指示を出す。

『柄杓と器を持ってこい』といったところ。


「でもこれは度数低いですから」

「それはそうなんですがね」



 事実、馬乳酒のアルコール度数は1とか、高くても3パーセントほど。

 タジたち北方民族も、酒よりはヨーグルトに近いものとして扱っている。

 子どもに食べさせることもあれば、食事を馬乳酒で済ませることもある。


 また、それが可能なほどビタミンやミネラルが豊富。

 栄養価が高いものでもあり、



 先ほどタジが言っていた『虚実』の『虚証』、


『体に必要なものが虚(うつろ)(足りていない)な状態』

『栄養不足や虚弱体質』


 に効果があるのである。


 逆に『実証』、


『体が充実している人が、外的要因で体調を崩している状態』

『もともと健康体だがウイルスに感染したり、暴飲暴食で胃腸を弱らせたり』


 とかには、効果がないとまでは言わないが。

 根本治療がしたいなら、必要なのは風邪薬や胃腸薬である。



 が、鄭妃はそんなことお構いなし。


「あぁー、効くぅー」

「酒飲みには酒飲ましときゃいいのか」


 要は飲みたいんだから飲む。

 しかし


『病は気から』


 を鵜呑みにするなら、飲みたいヤツは飲ませれば治るとも言えよう。

 酒飲んで元気。

 寿命は縮まる。


「これで今夜の宴席にも出られるわ」

「まだ飲むんですか」


 タジは反射的に軽くを身を乗り出してから、


『いや。違うな?』


 というようにアゴへ手をやってから、


「咳が出ているのですから、欠席なされた方がいいのでは?」


 本来あるべきツッコミを入れる。


「大丈夫ですよ。馬乳酒が効きます。ゴフッ」

「効きません。咳止め薬ではありません。人に感染(うつ)しても悪い。おやめなさい」


 すると、さっきまで言い訳ばかりしていた鄭妃の目に光が宿る。


「そうはいきません」


 決意の強さと、ある種のプライドが滲んでいる。


「今日の演奏会は、笛子の師である呉先生の百ヶ日法要なのです。

 先生には非常に目を掛けていただき、ここまでの奏者に育てていただきました。


 ですからには、出て演奏する使命があります」


 真っ直ぐで胸を打つ言葉、眼差し。

 しかし、基本的に人間性が馬乳酒より発酵しているタジには、


「その咳で笛が吹けますやら」


『そのくらい固い意志で酒も控えろ』


 くらいしか思わない。


「ではせめて、御典医に掛かるなり、薬を飲むなり」

「私、そういうの苦手で」

「子どもか。子どもが酒飲むな」


 が、一応人間の形を保っているなりには人情もある。

 それ以上無理に制止することもなく、


「おや」


 馬乳酒を飲む鄭妃の唇を見て、


「口紅、変えましたか?」


 世間話に切り替えた。











 その日の午後。

 徐妃はすでに、会場に抑えた翔鶴殿(しょうかくでん)の広間に現地入りしていた。


 企画者、ホストとして準備を取り仕切っているのである。


 といっても、早くから計画されていただけに、用意するものは揃っている。

 今はチェック・配置・チェックの段階となっている。


 しかしそれを徐妃自ら指差し確認しているのだから、偉いものである。


 やはり恩ある呉大人の百ヶ日ともなれば、心の尽くしようが違う



 などと、動機が純粋だったのであれば。



 今彼女が確認しているのは、宴の席で振る舞われる酒。


「これで全部ね?」

「はい」


 どれだけの人数が集まり、どれだけ飲むつもりなのかは知らないが。

 机の上には大量の、陶器の酒瓶がならんでいる。


「なるほど。確認するわ」

「お願いします」


 頭を下げた女官に対し、徐妃は作業に取り掛かろうとして、


「あなたは食事の方を見てきなさい。

 この季節、早くから出していると腐る食品もあるわ。

 もしかしたら担当が分かっていないかもしれない」

「承知いたしました」


 などと、言葉巧みに人払いをする。


 そうして女官の姿が見えなくなったのを確認すると、


「さて」



 徐妃は懐から、小袋を取り出す。



 中身は『麻黄湯(まおうとう)』。



 これ自体はただの漢方薬であり、効能は


『頭痛・発熱・咳etc』


 要は風邪の初期症状、その他は気になった方だけ調べていただくとして。


 繰り返しになるが、これ単体ではなんでもない粉薬なのだが。



 徐妃はそれを、酒の中へ入れる。



 そして置いてある柄杓を取り、気持ち撹拌しておく。


 袋の中身が空(から)になると、また次の小袋を取り出す。

 半歩左へ移動し、次の瓶にまた薬を入れる。



 徐妃は周囲を警戒しつつ、一連の行為を繰り返し、






「よし」


 ひととおり全ての瓶の作業を終えると、部屋を出て廊下に顔を出した。


「確認終わったわよ」

「ありがとうございます」


「問題なかったわ。



 準備はバッチリよ」










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