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タジ 〜後宮娼婦の事件簿〜  作者: 辺理可付加
死人なら口なし
33/93

1.

 3ヶ月半ほどまえのことである。


「呉(ウー)先生!」


 当代いちの笛子(ディーズー)の名手にして、多くの妃嬪たちの師匠

 呉大人(ターレン)は死の床に着いていた。


 総白髪の御年77。大往生ではある。


 しかし昼間から起き上がれず、意識も半分ない状態。

 自然の摂理とはいえ悲しいものはある。


 そこに人間と野生の線を引くのであれば。



「先生、また来ますね」


「先生、お加減はいかがですか」


「また先生の笛子をお聞かせくださいまし」


「先生」


「先生!」



 連日変わるがわる、見舞い客が来てくれることか。



 そのなかでも、本当に毎日来てくれるのが、



「先生!」



 彼の一番弟子を自負する、徐(シュー)妃である。



「お、おぉ」


 彼女が枕元で膝を突くと、呉大人も反応する。

 もうあまり見えていないし聞こえてもいない様子だが。

 それでも反応している。


 事実、それだけの付き合いがあるのだ。

 皇帝と同年代、妃嬪方で古株に入る徐妃は、弟子のなかでも古株となる。


 かつ、笛子の腕前も相当のもの。

 他の弟子と比べても出色の出来栄え。

 技術はもちろん、数々の難曲も習得している。


 一番弟子というのは自負でありながら、自称ではないのだ。


「おお、



 鄭(ツェン)妃か……」



 彼女が現れるまでは。


「……徐ですわ、先生」



「先生!」



 唐突に割り込む第三者の声。

 徐妃が振り返ると、部屋の戸口にいるのは


「あら、徐妃さま。ごきげんよう」


 例の『彼女』が、存在だけでなく直接姿を現す。


「……ごきげんよう。遠慮していないで、近くにいらっしゃい」

「ありがとうございます」


 すると、さっきまで瀕死だった呉大人が


「鄭妃、鄭妃よ」


 震える右手を虚空へ伸ばす。


 相手の存在を求めるように。


「先生! 鄭はここにいますわ!」

「おお……!」


 その手を鄭妃も握り返す。


 呉大人が最も目を掛けた弟子。

 若い彼女とは祖父と孫以上の年齢差があり、溺愛具合もその如し。



 であれば、どれだけよかったか。



『所詮男は若い娘の方がいい』


 なら腹も立たない。

 後宮に入って以来、妃嬪として毎日のように感じることである。慣れた。


 しかし、


「鄭妃よ……オマエの笛を聞かせてくれ……」


 徐妃が『一番弟子』なら、鄭妃は呉大人の


『最高傑作』。


 徐妃からすれば、理不尽な贔屓ではなく


『真っ当に実力で敗れ、立ち場を追われた』


 のである。

 笛子奏者としての自尊心までもを失うことになる。


「はい、今すぐ」


 手に持っていた袋から笛子を取り出す鄭妃。

 用意があるということは、いつも演奏を求められるのだろう。


 徐妃にそんな覚えはない。


 彼女は笛を構える、白い指を見つめる。

 やはり若く張りのある肌に嫉妬しているのではない。


 鄭妃の、女性にしては大きな手。


 これが他の弟子より可動域の広い指運びを可能にしている。

 指自体も大きければ、穴をよりしっかりと抑えることも可能。


 ピアニストも手の大きさが演奏の難易度を変えるという。

 ラフマニノフは非常に大きかったことが記録に残っている。


 鄭妃にもこのギフトが備わっており、


 徐妃には努力で逆転することも叶わない、絶対的な差である。


 これがまた本人は


『愛らしくない』


 などと、妃嬪としてコンプレックスだとか言い出すのだが。


(この指が白ネギであったなら、噛みちぎってやりたい)


 そんな視線に気付く素振(そぶ)りもなく。

 鄭妃は呉大人の作曲にして代表曲、『盧春公(ろしゅんこう)』を演奏するのだった。






 この数日後に呉大人は没し、











「あら、ごきげんよう、徐妃さま」

「ごきげんよう」


 今現在、昼、龍驤殿の廊下にて。

 ふたりはたまたま、すれ違うところ。


「ちょうどよかったわ。あなたを探していたところなの」

「私をですか?」

「えぇ」


 徐妃が視線を向けると、彼女の侍女が帳簿を開く。

 書いてあるのは暦(こよみ)、平たく言えばスケジュール帳である。

 徐妃はそれを覗き込んで、数回頷くと鄭妃へ視線を戻す。


「もうすぐ呉先生の百ヶ日だわ。

 それで、どう?


 先生ゆかりの妃嬪で集まって、酒宴と笛子の演奏会も催そうと思っているの」


「まぁ! それは素敵ですわ!」

「でしょう?」

「ぜひやりましょう!」


 無邪気に手を取ってくる鄭妃の、その手の大きさを感じながら。


「そういうわけだから、今夜そちらの部屋にお邪魔してもいいかしら。

 いろいろ計画を詰めたいの」

「もちろんです」


 徐妃は薄く笑った。











 その夜、鄭妃の部屋にて。


「では


『ひとりずつ演奏しては、終わったら1杯飲む』


 というのはどうかしら」


 ふたりは向かい合って座り、酒を飲みながら話を進めている。


「素晴らしい演奏であれば賞賛の杯を、失敗があれば罰杯を」

「結局は飲むのですね」

「酒宴で献杯でもあるもの。飲まないと。誰でも気兼ねなく飲める理由を付けてね」

「そもそも理由がいらないのでは?」

「これが風流というものよ」

「そうなのですね」


 徐妃はそれとなく鄭妃の様子を窺う。

 なかなかの酒豪らしい。スイスイといい飲みっぷり。


(これなら……)

「ですが、それだとひとり1杯というところでしょうか?」

「何周でもすればいいのよ」

「しかし、それだと曲にもよりますが」

「いいのよ。朝までだって笛子を吹き、飲み明かしましょう。

 もちろん中座は自由にすればいいわ」

「そうですわ。それがよろしいですね」

「えぇ。あらかた決まったわね。


 ではこれからは、私たちで決起会としましょう」


 徐妃は手ずから鄭妃に酌をする。


「あ、あ、もったいないです」


 畏れ多いという態度を取る鄭妃だが。


「いいのいいの。それより当日はよろしく頼むわよ?

 なんといっても、あなたの演奏が一番の盛り上がりどころ。

 期待しているわ」


「それはもう、お任せください!」


 胸を張る鄭妃は、おそらくもう酔っているのだろう。

 徐妃の口角がわずかにヒクついたのには気付かない。






 それから1時間ほど経った。


『景気付けに』

『演奏会の成否はあなたに掛かっているから、依頼料』


 だとなんだと、言葉巧みに鄭妃にばかり飲ませた結果。


「ぐっすりね」


 徐妃は起きている一方で、鄭妃は酔い潰れ、腕を枕に眠っている。


「無礼とは言わないわ。いい子よ」


 そんな彼女を尻目に徐妃は立ち上がり、


 化粧台の方へ向かった。


 棚を漁り、手に取ったのはコンパクト。

 蓋を開けると中身は口紅である。



 徐妃は蓋を閉じ、懐にしまうと、


 代わりに取り出した、同じ見た目のコンパクトを元の場所に戻した。










お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりドキドキしていただけたら、

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よろしくお願いいたします。

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