12.
夕方になるまえにタジは後宮へ戻ってきた。
場所は自室ではなく夏妃の部屋。
彼女が部屋に入ると、飛燕が椅子に座っている。
キャンバスがあった位置の辺り、德加が裸婦画を描くのに使っていたもの。
化粧台の椅子には小鳥が座っている。
化粧をしているわけではない。
「タジさんおかえり~」
「ただいま」
「どうだった?」
「うん」
タジは何やら、大量のロールを抱えている。
「德氏に怪談大会以前のアリバイはなかったよ。
どころか頼まれた絵を描くために、夏妃に会っている。密室でね」
すると両膝に両肘を乗せて前傾姿勢だった飛燕も背筋を伸ばす。
「こっちも侍女さんがようやくゲロってくれたよ。
『直接見たわけじゃないが、夏妃と德はおそらく肉体関係にあった』」
「まっ!」
「『德が来た日は寝具の洗浄を頼まれることがある』
『体液のような染みが付着していたこともある』
ってよ」
「いや~ん!」
「……」
「それと、一度だけ酔った夏妃に愚痴られたことがあるらしい。
『あの男、私を捨てようというのよ』
って」
「ドロドロ!」
「……」
いちいち変な相の手を入れてくる小鳥を、飛燕はじっと睨む。
「なんでまたオマエいるんだよ」
「いちゃ悪いの?」
「教育に悪いだろ」
「そうやって適切な性教育から遠ざけるから、いざというとき困る羽目になるんだよ」
「何目線なんだよ。そもそも教育受けるために後宮にいるんだろ。
サボってたら適切なの受けれてねぇじゃねぇか」
「まぁまぁまぁ」
兄妹喧嘩というほどでもないが。
タジが仲裁に入る。
「陛下のお許しはあるからね」
「え、マジ?」
彼女は飛燕の耳元に顔を寄せ、囁く。
「姉を亡くしたんだ。陛下はとても気を遣っている。小鳥にも、亡き飛貴妃にも」
「あー」
「君がまた後宮へ派遣されたのも、あの子が親族に会える機会を作るためさ」
「そうか」
「私はそれに巻き込まれていい迷惑だよ」
「いい話だったのに……」
という飛家のホームドラマ的展開が終わったところで。
飛燕が席を譲り、タジがそこに座る。
「『あの男』というのは、陛下ではないだろうね。
ここ数年、陛下の寵愛は飛貴妃に注がれていた。
通われなくなって久しいはずだから、今更
『捨てようというのよ』
って段階じゃない
となると、あり得るのは俄然德氏だ」
「さすが姉さん、オレたちにヒントを残してくれている」
「モテすぎて二次災害を生み出しているとも言える」
「オマエなぁ」
『そんなことより』という感じで、タジはロールを床に置き腕を組む。
「お互いの聴取をまとめると、德氏には
『アリバイがなく』
『動機はある』
『犯行に及ぶ理由のある者が』
『犯行が可能な状態にあった』」
飛燕は腰に手を当てる。
「9割決まったようなもんかもしれねぇが、しかし」
「うん。
『やった証拠』
はない」
大人がふたりして『うーむ』と悩んでいると、
「ねーねー。でさ、その巻いてある紙は何?」
小鳥がタジの持ってきたロールを指でつつく。
別に余計な口を挟んでいるのではなく、彼女なりに気を遣ったのだろう。
行き詰まった空気を変えたいだとか。
「あー、これはね。德氏が持っていた夏妃の裸婦画全集ってとこかな。
無理矢理もらってきた」
「はえー」
「そうだったそうだった。これも
『遺族に渡せるものでもないから、自分が引き取ることになった』
って言っていた。
けど明らかに目が泳いでいてね。侍女さんに裏取っといてよ」
「分かった」
飛燕が頷く一方、
「へー、見ていい?」
小鳥はロールをひとつ手に取る。
やっぱり好奇心で口を挟んだだけかもしれない。
「ダメだ! オマエにはまだ早い!」
それを兄が素早く取り上げる。
「なんでよー!」
「教育に悪い!」
「裸婦画を春画扱いしている人、初めて見た」
「女なんだから女の裸の絵ぇ見てどうこうならないんだが!?」
「ダメなものはダメ!」
「なんでもいいけど、なんかの証拠になるかもしれないから丁寧に扱ってね」
まぁこれも兄妹の戯れと思えば、陛下の差配どおりか。
タジも1枚裸婦画を手に取って広げる。
「なんだこれ」
裸でこちらに背を向け、タンスに寄り掛かる夏妃の姿が描かれている。
構図がマニアック。
翌朝。
德加の家の庭から煙が昇っている。
家に放火して焼身自殺、とかではないので安心してほしい。
ただ、庭で縄を燃やしているのだ。
昨日のことで、タジに喉元まで迫られていることは実感した。
だから証拠になりそうな、犯行に使用したものは処分することにしたのだ。
特に今後は『どうやって自分が花瓶を割ったか』が争点になる。
德加はそう感じていた。
だから花瓶の引き倒しに使用した縄を、最優先で焼却処分している。
場合によっては、犯行の日に着ていた服も燃やさなければならない。
注意は払って脱いでいたが、血痕が見つかりでもすればおしまいである。
德加は焚き火の前、椅子に座ったままアトリエの方を振り返る。
最悪、愛用の画材たちも手放さなければならないだろうか。
「はぁ」
命より大事な商売道具。
彼は憂鬱になっている。
が、『命より大事』と言いつつ
『命懸けの不貞行為の解消』
を優先した結果である。
なんとも言えない。
德加は俯き、両手で顔を覆う。
(私が何をしたというんだ)
殺人をしたのだが、彼が言いたいのはそこではない。
『なぜ情夫にされたりと、殺人をしなければならない状態まで追い込まれなければならないのか』
である。
『世の中どうしようもない理不尽もあるんだよ。強いて言うなら神さまが悪い』
などと言ったら、彼は怒るだろうか。
そのまま德加がじっとしていると、
「あのー、目に煙でもお入りに?」
上から声が降ってきた。
当然、恨むべき神さまとやらではない。
なんならまだ、そちらの方がマシなくらいの。
彼はゆっくり顔を上げる。
黒煙を挟んで立っているのは、
「タジさん」
スモーク演出のせいで、悪魔みたいに見える。




