11.
「そうなんですか」
「はい」
德加からすれば、それしか言えない。
が、脳内の方では、
(そんなバカな!? 偽装は完璧だったはずだぞ!?
いったいどこからバレたんだ!?)
やかましいこと、このうえない。
「いったい、どうして?」
聞けばパニックを起こすかもしれない。
内心の焦りが口から出るかもしれない。
聞かない方がいいのだろう。
が、聞かずにいても落ち着かない。
どのみち何か言ってしまう気がする。
所詮いち画家に、殺人をしながら平静でいられる胆力はないのだ。
德加の反応にタジは振り返り、微笑みながら頷く。
世間話ゆえの柔らかさか、『ほら、やっぱり聞きたいでしょう?』か、
『釣れた』
か。
「犯行が20時まえだとすれば、おかしい点があるんです」
「というのは」
「私たち、最初に夏妃殺害の現場を訪れたのは事件当日の夜遅くでした」
「ご苦労さまです」
「そのときですね?
灯りを持った相方が
『暗い』
『何も見えない』
と」
「あの武官の方ですね。それが何か?」
タジは『いいですか?』とでもいうように人差し指を立てる。
「なぜそんなに暗かったのか」
「夜だからでしょう」
「はい。より正確には」
彼女は手のひらを上に向け、顔の前に持ってくると
フッと火を吹き消すようなジェスチャーをする。
「『夜なのに、部屋に灯りがなかったから』です」
その手のひらが、ギュッと握り込まれると。
タジは德加の方を振り返って笑う。
「そんな真っ暗な中で、何をしていたんでしょうね?」
本当は『さぁ?』とか、なんなら黙っていてもよかったのだろう。
が。
やましい彼は、黙ったら負けのような気がした。
「物漁りをするには暗い、ってことですか?
だから『殺した時間はそこじゃない』と。
でもそれは、犯人も灯りも持っていただけなんじゃ?」
「私が言っているのは夏妃の方です」
しかし間髪入れずにカウンターのカウンター。
「私たちが部屋に入ったときには灯りが尽きていた、としましょう。
今朝確認しました。燭台にはちゃんと蝋燭が残っていました。
犯人がわざわざ消した、ということもないでしょう。
理由がない」
「うっかり何かの弾みで消してしまったとか?」
「つけなおすと思います。
うちの相方が灯りを持ってなお『暗い』と言うほどです。
夜警もやっている衛尉官だ。名は『燕』ですが鳥目なんてこともないでしょう」
タジはひと呼吸入れると、先ほどよりゆっくり話し始める。
0.8か0.9倍速くらいか。
相手が聞き取りやすいように。
鼓膜に染み込ませるよう。
「そもそも火を着けていないんです。
侍女さんが蝋燭を交換した、というのはありませんよ。
現場を弄らないように話してありますから」
気持ちのうえではのけ反った德加。
対するタジは1歩、物理的に間合いを詰めてくる。
「彼女は何も見えない暗闇の中、灯りもつけずに何をしていたんでしょうね?」
「あ、あー」
德加は頭をフル回転させる。
反論ばかりを必死に考える時点で怪しまれそうではあるが。
そんなことを思う余裕はない。
「具合が悪くて、早めに寝ていたんじゃないですか?」
「それなんですがね。
夏妃、どうやら殺されたとき、裸だったみたいで」
「え」
なぜそれを!?
ちゃんと服を着せたはずだぞ!
と叫びそうなところをギリギリ飲み込む。
「それは、大変だな」
「具合悪いのに裸で寝る人はいません。
そもそも裸で寝る習慣はないと侍女さんもおっしゃってましたし」
「そうですか」
楽しい芸術鑑賞はどこへやら。
絵の指摘をされて喜んでいた德加はもういない。
「そう、か。じゃあ事件があった時間は違うのかもしれませんね」
「えぇ、だから大変なんです。
これで当該時刻にアリバイがあった方々も、もう一度洗い直さなければならない」
「!」
タジは意味深に笑う。
いや、德加の目にそう見えただけかもしれない。
が、
わざわざアリバイを確認済みの相手の前で、
会話の流れ的に必然性のないことを口に出したのだ。
その意味は。
ますます德加は立ち向かわざるを得なくなる。
「いや、どうだろう」
「というと?」
「でも侍女さんが入ってくる直前まで、犯人は部屋にいたわけでしょう?
だって花瓶が割れる音がしたんだ」
彼にはまだ最大の仕掛けが残されている。
土俵際徳俵いっぱい、というほども追い込まれてはいない。
「犯人は強盗なんだ。
だから殺してからずっと部屋を漁っていたんじゃないですか?
殺した時間がいつであれ、犯人がまだ現場にいるんだから。
その時間の足取りが取れている人は関係ないでしょう」
德加の返しに、タジはうんうんと頷く。
『おっしゃるとおり』というサインであれば、全然逆転成功なわけであるが、
「実はですね」
この女、ただの相槌で頷くケースが多い。
「『その時間、夏妃の部屋に犯人がいた』
これ、だいぶ怪しくなってきているんですよね」
「そこも!?」
「はい」
タジは軽く周囲を見回して、部屋の隅にあった椅子を引っ張ってくる。
アトリエに人を招いて描くときに使う、モデル用の椅子である。
彼女はそこに腰を下ろす。
(『彼女をモデルに描きたい』とは言ったが。
今、こんなかたちで座られてしまうのか)
德加の脳裏に、画家としてのやや呑気なショックが浮かぶ。
あるいは脳がオーバーフローしたのか。
「でも、花瓶の音がしたんですよね?」
「それが問題なんです」
「えっ」
タジは足を組むと、そこに肘を乗せ、頬杖のようになった拳にアゴを乗せる。
「ちなみに、侍女さんが来られる足音や悲鳴も聞こえたそうで。
間違いありませんね?」
「は、はい。それが?」
タジはアゴが乗った拳の、人差し指の代わりに小指を立てる。
「あなた方は、それ以外の音を一切聞いていらっしゃらない」
「あ」
「部屋は大変な荒れようでしてね。
タンスの棚が引き出されたり、物が散乱したり、散々でした。
なぜその物音が一切しないのか」
「それは、気付かれないために」
「漁っていたときはそうかもしれませんね。
でも、花瓶を落としたあと」
德加も椅子に座りたくなってきた。
もう立っていられないというか。
自分が立っているのか、足元が抜けてその姿勢のまま落下しているのか。
もうよく分からない。
「犯人が逃げ出す音も一切しなかった」
「それは」
「あぁ、言いたいことは分かりますよ?
『抜き足差し足』
そんなところでしょう。
しかしですよ?
花瓶が割れてから侍女さんがいらっしゃるまで、ほんの1分あるかないかです。
そんなゆっくり逃げていたら絶対、戸口か廊下で鉢合わせます。
でも侍女さん、犯人の姿は見ていないって言うんです」
「そ、そうですか」
「あなたも見ていらっしゃらないでしょう?」
「わ、私ですか?」
今度は小指ではなく人差し指で、はっきり德加が指される。
予想だにしていない展開で、彼は思わず半歩退がった。
「もしかしたら、窓から飛び降りるのは間に合ったかもしれません。
でも、そうしたら今度は、下の階のあなたたちに見えるはずなんです。
そのときちょうど、誰でもない德さん、あなたが帳を開けたんですから」
「ああ」
「でもあなたは一度もそんな話はなさらなかったし、郭妃も
『見た』
とはおっしゃらなかった。
相方の報告によると、他の参加者のみなさんも影ひとつ見なかったそうです」
「な、なるほど」
こうなってはもう、彼もひたすら最後の砦に立て籠もるしかない。
「でも、花瓶が割れたんでしょう……?」
「えぇ。そこなんですよね。明らかに状況が矛盾している。
ですがまぁ」
しかしタジは一旦無視する構えらしい。
椅子から立ち上がり、容赦なく詰めてくる。
彼が普段絵を描くときに使っている椅子を持ってくると、両肩を抑えて座らせた。
『長くなるぞ』
という合図に他ならない。
彼女はモデル用の椅子に戻ると、にっこり笑った。
「とりあえず德加さん。
怪談大会以前の時間、どこで何をしていたかお聞きしても?」




