1.
後宮三千人。
多くの美人どころが、お茶会や3時のおやつに興じるころ。
龍驤殿1階の一室。
こんな時間から、ひとりの女性が裸でベッドに転がっている。
半裸などではない。素っ裸。
脛の中ほどから太ももの中ほど辺りの幅で、薄いシーツが載っているくらい。
この昼間から大胆なことをしている、ギリギリまだ女盛りの女性は
名を夏妃という。
皇帝陛下の側室のひとりにして、この部屋の主人である。
自室なら裸でもまぁ問題ないか。
理解を示すかは別にして。
などと思われる方もいらっしゃるだろう。
しかし。
『そこに男がいる』
としたら?
わざわざ書き立てるのだ。当然皇帝ではない。
であれば、他に後宮に立ち入れる男と言えば宦官。
生殖機能を落としてあるので問題ない。
でもないとすれば?
俄かに
『それはさすがにマズいのではないか』
と思えてこないだろうか。
だが、結論から言うと一切問題ない。
なぜならその男は同衾しているわけではなく、
女性から数メートル離れた位置で椅子に座り、
キャンバスに向かっているのだから。
そう、今ので分かるとおり。
彼はいわゆる、宮廷画家という存在である。
今も夏妃たっての希望で裸婦の美人画を描いているところ。
何もいかがわしいことはしていないのだ。
このように。
『男子禁制』
『出入りできる男は皇帝一家と宦官だけ』
と言われる後宮だが。
例外があったりするのだ。
それが画家だったり医者だったり。
ときには娯楽に雑技団を呼んだり、気晴らしに占い師と話したり。
とにかく専門性の高いもの、技術が必要なもの。
侍女や宦官だけでは賄いきれないサービス。
それらを提供できる者が、時折許しを得て後宮に立ち入るのだ。
たまに反物商とかも来る。
今筆をとっている夏妃と同じ年頃の男、
德加もそういった経緯で龍驤殿にいる。
何もやましい、いかがわしいことはない。
「さて、夏妃さま。本日はここまでといたしましょう。続きは後日」
「あら、そうなのね。お疲れさま」
夏妃が起き上がる傍ら、德加はテキパキと画材を片付ける。
「えー、毎度のことですが、キャンバスは触らない、動かさないように。
それと次回、明日の日時なのですが、少し相談が」
なんなら連絡事項も早口で捲し立てる彼に、
「德さん」
夏妃の遮るような、
いや、明確に相手の『逃げ』を遮断する声が降り掛かる。
ビクリと德加の手が止まる。
彼が鞄を拾おうとした前屈みのまま、ゆっくり顔を横へ、
夏妃の方へ向けると、
「おいでなさい」
今日の裸婦画制作はもう終わったというのに。
夏妃は服を着る素振りもなく、
ベッドの上で両腕を彼の方へ伸ばしている。
ちょうど古いメロドラマで、相手の胸へ飛び込むときのようなポーズ。
「あ、いや、その」
固まり、困惑する德加に、
「来なさい」
重ねて有無を言わせない声が投げ掛けられる。
「……はい」
彼は重い腰ならぬ上体を上げ、これまた重い足取りでベッドへ向かった。
やましいことも、いかがわしいこともない。
ただ、今から始まる。
日が夜に向かってお色直しを始めたころ。
ようやく德加のお勤めが終わった。
お互いの肌がオレンジに染まるのは、火照りか西陽か別の痕か。
「では今度こそ、お暇いたします」
「あら、つれないのね」
德加が上体を起こすと、夏妃が胸板に沿わせていた指が滑り落ちる。
彼女はなおも、うっとりした目で德加を見ている。
本来ピロートークは男の義務でもあろうが、
「つれないついでなのですが」
「何かしら」
「……」
「……」
「なんでもありません。失礼いたします」
「そう」
德加はサッと背中を向けてしまう。
そんな単純な男女の関係でもなさそうである。
彼はベッドを出て服を着ながら、
「あぁ、そうだった。忘れるところでした」
「何かしら?」
夏妃の方を振り返る。
「明日またお伺いする時間ですが。
ちょっと用事が立て込んでいるんですよ。
いつもより後ろにズラしていただけないでしょうか?」
「へぇ」
夏妃はうつ伏せになり、両手の指を組んでアゴを載せる。
「珍しいじゃない。時間を変えるだなんて。
『日の当たり方や陰が変わってしまう』
って細かいのに」
「『休みにしてくれ』
と言ったら、聞いていただけるので?」
「よく分かっているじゃないの」
「では、そういうことで」
服を着終わった德加は、今度こそ部屋をあとにした。
「くっそ……」
夜。
蝋燭だけが光源の、薄暗い自宅兼アトリエ。
德加はベッドに腰掛け呻く。
昼のとおり、彼は夏妃の情夫にされている。
いるのだ。
皇帝に相手にされなくなった妃嬪のなかで、彼のような
『外部から入ってこられる、去勢されていない男』
を密通相手にする輩が。
德加とて、うれしくなかったわけではない。
何せ一時期は皇帝のお眼鏡に適った、国中から集められた美姫なのだ。
おこぼれでもそれに預かれるのは、男の夢と言えよう。
なんならせめて裸婦画でもと、それ目的で絵を始めた画塾の同期もいた。
まずもって厳しい宮廷画家という狭き門を潜って。
本来好きな風景画を我慢し、よく分からんオッサンの肖像画を描き。
その果てにある日、夏妃の肖像画を描くことになり、
見初められ(飢えていて誰でもよかっただけかもしれないが)、
このような役得にたどり着いたときには。
栄光、達成感、優越感。さまざまなものが彼を満たした。
最初のうちは。
だが男とは愚かで身勝手なもので。
だんだんそれは重荷、憂鬱の種となっていく。
女と男で、性欲のピークとなる年齢は異なるという。
そのうえ德加はインドア。体力も優れてはいない。
抱かれない鬱憤。
生物の本能として、肉体が
『安全に妊娠出産できる最後の時間』
として急かす性欲。
後宮に押し込められ、持て余す暇。
それらをぶつけるような激しい行為を、毎日のように求められては。
保たない。
德加には画家としての才能はあれど、男の夢を無双する素質はなかった。
いや、まだ体が保っている時点で上澄みかもしれない。
それはさておき。
『今描いている肖像画が終われば解放される!』
希望を胸に、ゴールへ向かって筆を走らせる日々。
ある日、ついに大作を描き上げた彼を待っていたのは、
『夏妃さまが「また絵の依頼をしたい」とおっしゃられています』
絶望のおかわりであった。
しかも今回は『裸婦画で』という。
そんなことが数回繰り返された。
德加もただ黙って肉人形になっていたわけではない。
『こんな関係は終わりにしよう』
そう切り出したこともある。
だが返事は
『私が「無理矢理襲われた」と言えば、あなたは死刑になるでしょうね』
『そうでなくとも、宮廷画家でなくしてしまえる方法なんか、いくらでもある』
魔女の呪いであった。
結果、現在までズルズルと関係が続いている。
「なんのための後宮娼婦なんだよ」
德加は天井を仰ぐ。
それでも最悪、夏妃の性欲が衰えるまで我慢すればいいのかもしれない。
そう遠い話でもないだろう。
しかし、
德加も後宮に出入りしていれば、噂は耳に入ってくる。
『どこぞの出入り商人が貴妃を口説こうとして罰を受けた』
『祈祷師が妃嬪に手を出して死刑になった』
『ある宦官が去勢せず情夫として潜入していたことが分かり、首の方がなくなった』
など。
このまえも衛尉官が貴妃と密通して、死刑だなんだになったとか。
「『身が保たない』の意味が変わってくるよ」
德加はため息とともに視線を下ろす。
それからゆっくりと右へ。
そこには、
サイドボードの上、
ナイフが置いてある。
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