14.
江貴妃の喉が引き攣る。
「そんなものがあると?
私の過去の手紙でも引っ張り出して、筆跡が似ているとでも言うつもりかしら?」
黙っているとそのまま喉が張り付きそうで。
自然と声が大きくなる。
「いいえ? 違います」
しかしタジに対しては、威嚇ほどの効果もない。
「貴妃ともなれば専門の代筆が付いているものです。
あなたも貴妃になって長いですから。
昔ならいざ知らず、筆を取らなくなって久しいはず。
発見するのは難しいでしょう」
「そうね。じゃあ証拠というのは?」
江貴妃からすれば、残された僅かな勝ち筋なのだが。
タジは『待ってました!』というように人差し指を立て、
持っている帔帛を大きく広げる。
「それが証拠?」
「はい。よくご覧ください。ここです」
彼女は掛け軸のように帔帛を持つと、生地に指で円を描く。
その内側にあるのは、
「何それ、カビ?」
「墨です」
複数の黒い点。
「そしてこちら、欄干にも」
円を描いていた指が欄干へ移動する。
そこにもポツポツ、朱塗りの中に黒い点がある。
「いったいそれが」
「思い当たらないでしょうね」
思ったとおりの反応だったのだろう。
タジが言葉を被せてくる。
「あなたのような、筆を取らなくなって久しい方はお忘れでしょう。
字を書くためにはまず墨を水で磨るわけですが。
このとき手汗なんかがすごいと、指にも墨が付くんですよ。
で、これがなかなか落ちない」
「!」
ようやく江貴妃にも、タジの言わんとしていることが分かる。
が、それは犯行時に気付くべきだったことである。
「そのくせ墨の付いた手や指でものを触ると、簡単に汚してしまうんですよね。
その結果がこれです。
殺人を犯した直後のあなたは、さぞや手汗をかいていたことでしょう。
その手でベタベタ首吊り偽装をするものだから、ほら、あちこち黒くなって。
よく見えるでしょう?
このために明るくなってからお呼びしたんです」
言われると意識して、手が湿っているのを感じる。
だがまだこれでチェックメイトではない。
「だったら何よ! それのどこが
『私が遺書を書いた証拠』
なのかしら!?
普通に本人が書いて、そのあと自殺しても同じになるわ!
バカなんじゃないの!?」
江貴妃がギュッと袖を握り込み、力いっぱい吠え返すと、
「それです」
「えっ」
タジが真っ直ぐ指差してくる。
「人が緊張したり興奮すると手汗をかくように。
あなたには癖がある」
指先がゆっくり下がり、止まった延長線上には
「あなた、よくそうやって、緊張すると袖を握られますね」
「あっ」
「だから私、侍女さんに探してもらったんです。
そして、今日のお着替えにそれを出してもらうよう頼みました」
江貴妃はおそるおそる、握った手を顔の前へ持ってくる。
それからゆっくり開くと、
「墨って、洗濯してもなかなか落ちないんですよね」
肌着の袖に、黒い指の跡が付いている。
「ちなみに、お気付きであるとは思いますが。
私が昨日お部屋にお邪魔していたのは、お呼び出しの間違いではありません。
確認したかったんです。
えぇ、あちこちにありましたよ。
戸、タンス、寝具。
あちこちに墨の跡が」
江貴妃は椅子の背もたれに体を投げる。
「そ、れは」
「それは?」
虚空を見上げる目は泳いでいる。
明らかに今考えている様子だが、あえてタジは指摘しない。
「ちょうどこのまえ、自分で手紙を書いていて……」
「なるほど。分かりました。
では誰に、いつ、どんな内容のお手紙を?
教えていただければ、必ず見つけ出します。
えぇ、あなたの名誉に関わることですから」
「それは……」
江貴妃はふうっとため息ひとつ。
今度は俯くと、首を左右へ振った。
「見つからないでしょうね」
「存在しないから」
「えぇ」
もしかしたら、もっとうまい言い逃れがあったのかもしれない。
だが江貴妃は嘘を吐き、看破された。
それが決着である。
「まさか、こんなすぐバレるなんてね」
「得てしてそういうものです」
毒気が抜けた、
というより、力尽きたのだろう。
江貴妃の声は幾分軽くなり、タジへの敵意も失せ果てている。
「いつからバレていたの? 何が原因?
事件の日に招かれていたと聞いたとき?
動機になる原因があったこと?」
もはや感想戦のターン。
相手の態度の変化に、タジも静かな所作で首を左右へ。
「弔問にいらしたときに」
これには虚脱していた江貴妃も目を見開く。
それから力なく首を振って笑う。
「ウソよ。それともなに?
『犯人は現場に戻る』
っていう?」
「いいえ」
彼女と目を合わせていたタジだが、振り返る。
そちらには特に何があるわけではないが、
昨日までは棺があった場所である。
今頃は葬儀が始まっていることだろう。
「あなた弔問にいらしたとき、閉まっていた棺の蓋を開けてしまいました。
特に取り乱した勢いがあるでもなく、自然に。
そのあとの小鳥ちゃんとの会話もしっかりしてらっしゃった」
「それが?」
「なのにそのあと、
『楼上から落ちて亡くなったと聞いた』
ということをおっしゃりました。
覚えていらっしゃいますか?」
「どうかしら。それが何か?」
「普通、飛び降り死体だと知っていて、しかも棺に蓋がしてあったら。
勝手に蓋は開けません。
マナーもありますが、
『人に見せられない状態になっている』
と考えます。
実の弟たちですら、姉の顔を見るのに
『大丈夫か』
と確認を取ったくらいです。
でもあなたは迷うことなく、恐れることなく蓋を開けた。
非常に冷静で、落ち着いた様子で。
私、あの時点で絞殺されていることまでは分かっていたので。
それで思ったんです。
『この人は飛び降りと聞かされているのに、飛び降り死体だとは思っていないんだ』
と。
それ以外の死体、ひいては死因の印象が強い理由はひとつ。
実際に絞め殺した人物だからです」
江貴妃は椅子に深く沈む。
尾てい骨が座面からはみ出しそうになっている。
「そんな、ねぇ。分からないじゃない」
「きっかけにはじゅうぶんでしたよ」
「あ、そぉ」
江貴妃は右手で額を拭って、
袖が視界に入ったらしい。
「それにしても、墨って消えないものなのね」
またひとつ、ため息をつく。
タジは苦笑いで応える。
「それでも、人を殺した罪よりはね」
──我が手を汚す 完──
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