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10.

「!」


 終わらないどころではない。

 マズい方向で話が始まろうとしている。


「何かしら。つまりあなたは、


『私が犯人だ』


 と言いたいのかしら」


 江貴妃は袖を強く握って勇気を振り絞り、牽制を試みるが、


「そうなんですか?」


 ついさっき『この女には効果がない』と感じたばかりである。


「さすがに無礼よ」

「いや失礼、冗談ですよ。滅相もない」

「だとしたら後娼のくせに、閨話(ねやばなし)の才はないわね」

「精進します」


 精進されても困る。

 これ以上話が続いては苦しい。


「さすがに興が削がれたわ。今日はここまでにしてちょうだい」

「それは申し訳ありません。お詫びにこのお酒は」

「持って帰りなさい」

「承知しました」


 タジは椅子から立ち上がる。

 しかし終始、ゴシップを楽しむような笑みを崩さなかった。

 割と本気のトーンで怒られたというのに。


 やはり効いていないのか、

 効かないだけの何(・)か(・)をつかんでいるのか。


 江貴妃は思わず身震いをする。


「おや、夜風で冷えてしまわれたようですね。

 江貴妃さまもお早くお戻りください」

「言われなくてもそうするわ」


 それすらタジは見逃さない。

 ここまで来ると、追い詰められる恐怖というより不気味さが勝(まさ)る。

 江貴妃も逃げ出す、もとい帰る準備を始めると、


「お見送りは控えさせていただきますか」


 先に済ませたタジが、すでに数歩離れた位置で待っている。


「そうね。その方がいいわね。今ならお酒の席として水に流してあげるわ」

「では、失礼します」


 彼女は最後に頭を下げると


「次は楽しい話ができるよう、準備してきます」


 にっこりと笑う。

 あまり面識のない江貴妃でも、


『普段絶対にしないだろう』


 と分かるくらい完璧な、作り物の笑み。

 彼女にできるのは、せめて去り際へ


「悪いけど私、このごろ後娼は呼んでいないのよね」


『会話を自分の言葉で終わらせる』


 ことにより、


『言い合いで黙らされた』

『言い負けた』


 気分を回避するだけだった。











 飛燕の人生において、最大の激動となった1日。


 激しい悲しみと怒り、そして自身の命の危機。

 当然落ち着いて寝られるはずもなかった。


 幼い妹、小鳥のことも心配である。


『時間が惜しいので夜遅くまで捜査をする』


 という口実で後宮に泊まり、同じ部屋で寝た。

 彼女の方も最初は寝付けない様子で、なんなら押し殺した声で啜り泣いていた。


 飛燕がそっと抱き締めてやると、安心したのか、単に泣き疲れたか。

 しばらくして、ようやく寝息を立て始めた。


 彼がそれを見届け、


『こんなに悲しみ、震えている妹を置いてはいけない』


 と、改めて死ねない理由、事件を解き明かす決意を固めていると。


 気付けば、夏の日の長さは夜の短さ朝の早さ。

 窓の簾(すだれ)の隙間が、少しずつ光り始めた。


「よしっ」


 決意を新たにしたところだし、どうせ眠れないし。

 飛燕は祥鳳閣へと向かった。











 まだ空が真っ黒と薄青いのと黄色いのとで3分割なころ。

 飛燕が祥鳳閣の3階に上がると、


「何してんだコイツ」



 タジが酒壺を抱えて、床に転がっている。



 起こした方がいいのか、寝かせておいた方がいいのか。

 迷った末の結論は、


「おい、起きろ。風邪引くぞ。硬い床だと腰も悪くする」

「んむ……」


 起こしてやる方だった。


「酔って行き倒れるなんて、詩人以外がやってもし(・)ょ(・)う(・)も(・)な(・)い(・)ぞ」

「あぁ、おはよう」


 タジは起きたが、起き上がれないのか。

 壺は手放すも仰向けの大の字になっただけ。


「なーにやってんだ」

「蓋を封蝋で固めている壺は、開けると飲み切らないといけないのがね」

「それは置いといて、なんで姉さんの部屋で倒れてんだ」

「いやぁ、やっぱり貴妃の部屋は寝心地がいいね。役得役得」


 などと彼女はの(・)た(・)ま(・)う(・)が。


『鷹の目』などと呼ばれたことはない飛燕でも分かる。


 床で寝ていれば寝心地に差などありゃしないし、

 少し離れた位置にある文机。


 その上には、飛燕が貸した遺書が置いてある。


 きっと寝落ちするまで書面と睨めっこしていたのだろう。

 何か偽造の証拠となるポイントはないか、と。


 だとすれば、


(もう少し寝かせておいてやってもよかったかもな)


 と思う飛燕であった。

 なんならベッドで二度寝してくれても構わないが、


「そういえば、アレはどうだったのかな」

「アレ?」

「帔帛」

「あぁ」


 どうやら本人が起きてしまうつもりらしい。






「後宮御用達の機織(はたお)り職人や反物(たんもの)商に見せたけどさ。

 やっぱり、


『強く引っ張った傷み方をしている』


 ってさ」


 昨日、弔問のあとだったり、タジが江貴妃と会っていたあいだ。

 当然飛燕も、他人に任せっぱなしだったわけではない。


「で、その、なんだ。過去にも帔帛で首吊った人がいるらしくてさ。

 その処理に立ち会った人も、


『生地がこういう伸び方する』


 って」


 彼は彼で捜査を進めている。


「ここじゃ自殺は風物詩みたいなものだから、気にすることはないよ」

「おおぅ」

「いちいち気にしてちゃ、後宮の井戸で水は汲めない」

「ひえっ」


 かく言うタジは床に座り、飛燕から受け取った帔帛を膝の上に広げている。

 何か手掛かりを求めてチェックしているのだろう。

 しかし、いくらなんでも人が死んだ布を気にしなさすぎである。


 その状況を、飛燕は一歩退いた位置に立ち、見下ろしているのだが。


(それにしても)


 彼にとってタジの印象は


『退廃的で雑な雰囲気の、顔がいいだけの女』


 みたいなところがある。

 初めて個人を認識して顔を合わせたのが、妓楼(雲鷹閣)だから仕方ない。


 目の前で自殺の偽装を見破ってみせたことも、


『頭が冴えている』


 より初めて会ったときの


『よく分からん予言してくる謎の異民族女』

『頭がおかしい』


 という印象が勝るせいで、あまり情報の上書きに寄与していない。



 しかし、こうして帔帛を扱う姿を見ていると、


(丁寧なところ、あるんだな)


 女性の反物を扱う、心得た所作。

 しなやかな指先の動き。


 飛燕にまた違った、品のある印象を与える。


 実は彼の感心とは正反対。

 後娼として『脱がせる』ことが多いから身に付くスキルなのだが。



 だがまぁ、美しいものは美しいでいいだろう。

 卑猥な裸婦画もゴアな絵巻も、芸術であり誰かを魅了している。


 飛燕がタジの横姿を眺めていると、



「黒い」



「えっ」


 彼女はポツリとつぶやく。

 帔帛の生地は蒲公英(たんぽぽ)色なのだが。


 タジは立ち上がると、今度は欄干の方へ。

 さっきまでとは違う雰囲気に、飛燕も慌ててあとを追う。


「おい、どうしたんだ?」

「同じだ」

「何が」


 飛燕が隣に来て覗き込むと、


「こことここ」


 タジは帔帛と欄干を交互に指差す。


「おお、同じだ。布の柄じゃなかったのか」

「それは美的感覚がなさすぎる」

「ぐっ! でも、欄干の方はよく見つけたな」

「私の右目は


『怪我で瞳孔が開きっぱなし』


 って話はしたかな」


 その指が今度は右目へ。


「あぁ。それでそっちだけ視力が悪いんだっけ?」

「うん。しかもそのせいで光の量を調節できてなくて、いつも眩しい」

「なんにも見えないな」

「なんにも、ってことはないよ」


 タジが飛燕の方を向く。

 彼の顔を見るためだろうか。


 飛燕も向き合う。

 やはり左右で瞳の色が違う、ように見える。

 よく見れば虹彩自体は同じ色であるのが分かるが。


「ただ、ぼんやりと見えてね」

「『鷹の目』とは正反対っぽいな」

「うん、でもね」


 タジはもう一度欄干の方を向く。



「見えにくいから引(・)っ(・)掛(・)か(・)ら(・)な(・)い(・)


『普通のもの』


 は


『普通の景色』


 として霞んでいる。



 だからこそこの右目には、周囲に馴染まない


『違和感のあるもの』


 だけが浮かび上がる。



 もし人が私を『鷹の目』と呼ぶなら、真実はこちらにあると思っている」



 本人にしか分からない感覚だろう。

 飛燕は特に相槌を打たなかった。


 タジも欲しかったわけではないのだろう。

 特にそれ以上は掘り下げず、


「それより、遺書を読んでいて気になることがあった。


 君の事情なんだ。もうひと働きしてくれるね?」


『鷹の目』を細めて笑った。










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