ロストプラネットIII(Lost Planet III) 第一章 第二節 鳴いたって始まらない、なら楽しむまでさ
彼は大声を上げた。だが、大人の耳に届いたのは、元気いっぱいの雛鳥の鳴き声にすぎなかった。
「お腹が空いたのね? 待ってて、今何か持ってきてあげるから」
そう言うと、彼女は一瞬だけ視界から外れ、まだ少し羽毛が残る両腕で慌ただしく容器を抱えて戻ってきた。
目の前の鳥人間は、トングのような器具を器用に使うと、器の中で奇妙にうごめく『何か』を素早く俺の口へと放り込んできた。
『な、なんだこれ!? 生臭っ……!?』
彼が器の中を覗き込むと――。
『虫じゃねえか!! 俺に虫を食わせたのかよ!?』
目の前に広がる、色とりどりでウネウネと身体をくねらせる虫のフルコースに、猛烈な不快感が込み上げる。
(なんで俺がこんな場所にいるんだ? まさか、夢でも見てるのか……?)
そう思考を巡らせていた、まさにその時。母親である鳥人間が、再びトングで大きな虫を容赦なくつまみ上げ、彼の口へとねじ込んできた。
――その瞬間、彼はまたしても意識を失った。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
再び目を覚ますと、部屋の様子が変わっていた。ただ、今度は周りを見渡すと、見るからにぐったりとした同族的鳥人間たちが、いくつもの金属製のベッドに横たわっている。
すると間もなく、先ほどまで俺の母親だと思っていた鳥人間が、俺が目を覚ましたことに気づいた。彼女は嬉しそうに俺を抱きしめ、声を弾ませる。
「本当によかった……! ごめんね、お母さんが気づかなかったせいで、喉を詰まらせちゃって」
彼女はそう語りながら、嬉しさのあまり涙をこぼしていた。
(いや、俺は喉を詰まらせて死にかけたわけじゃなくて、あの虫にビビって気絶しただけなんだけど……) 心の中でそうツッコミを入れつつも、彼女が心から自分を心配して涙を流す姿を見ていると、なんだか妙な罪悪感が湧いてくる。
「お医者様にも、ご飯はちゃんと細かく刻んであげるように言われちゃった。だからお母さんね、今度はさっきよりもっと食べやすいものを用意したのよ」
彼女はそう言いながら――今度は灰色のドロドロとした泥状のものを差し出してきた。
『なんだこれ……あの生臭い虫より、さらにエグい臭いが漂ってきてるんだけど!?』
俺が心の中で戦慄していると、母親を名乗る鳥人間は、容赦なくその器の中身をスプーンで掬い上げた。
「ほーら、お腹ペコペコでしょ?」
満面の笑みでそう言うやいなや――彼女はスプーンに載った『未知の物体』を、俺の口へと一気にねじ込んできた。
『これ、は……!? どこかで嗅いだことのある臭い……ッ!?』
そう思った瞬間――俺の思考回路はまたしてもそこでシャットダウンした。
『え? ここって、俺が最後に気を失った場所だよな……一体、どれだけの時間意識を失ってたんだ?』
そんな疑問を抱きながら、再びあたりを見渡してみる。
すると、心なしかベッドに寝かされている隣の同族たちの数が減っていることに気がついた。
「ああ、我が子よ!! お母さんの寿命を縮める気!? まさか食べ物アレルギーだったなんて……あんたが急に倒れた時、お母さん、心臓が止まるかと思ったんだから!」
今度ばかりは、目の前で母親を自称する鳥人間が、本当にボロボロと大粒の涙を流しながら訴えかけてきた。
『何が起きたのかはさっぱり分からねえけど……とにかく、驚かせて悪かったな……』
「さっきお医者様に、植物性の食べ物に変えるように勧められたの。これなら今度こそ大丈夫なはずよね……?」
目の前でそう呟く自稱・母親の鳥人間は、今度はペットボトルのような素材で作られた容器を取り出した。
それを器へと移し替えると、今度は壊れ物を扱うかのように、慎重にスプーンで食べ物を掬って俺の目の前へと差し出してきた。
「ほら、まずは少しだけ食べてみて……」
彼女の手にあるスプーンが――不安げに小刻みに震えている。
それを見た俺はなんだか申し訳ない気持ちになり、恐る恐るその食べ物の匂いを嗅いでみた。
『……今回は、なんだか甘くていい匂いがするな』
そう判断した俺は、思い切って大きく口を開け、目の前にある黄色のドロドロとした食べ物をぱくりと飲み込んだ。
『なんだこれ!? めっちゃ甘い……けど、嫌いじゃないな~!』
俺が心の中でそんな感想を抱いていると、どうやらアレルギー反応などの異常が出ないことを確認したらしい鳥人間の母親は、心底ホッとした表情を浮かべた。
そして安心したように――ボトルに入った食べ物を残さず器へと移し替え、一匙一匙、優しく俺の口へと運び始めた。
『ふぅ……食った食った、もうお腹いっぱいだ』
自分の毛むくじゃらな身体を見つめながら――ジャックスは思索にふけり始めた。
(俺は一体、どうしちまったんだ? それにしても、すべてがリアルすぎる。明らかに夢なんかじゃない。ってことは、まさか俺……)
ジャックスの脳裏に、ふと『転生』という二文字がよぎった。
それは以前、曲作りのスランプに陥っていた時期、アイリが思考の刺激になればと貸してくれた、オカルトめいたエセ科学の本で目にした知識だった。
【人は死後、その魂はエネルギーの形態となって宇宙へと回帰する。そして不規則に、魂というエネルギーを受け入れる隙間のある肉体を探し出し、そこへと宿るのだ。魂が漂流する時間が長すぎれば、そのエネルギーは時間の経過とともに霧散してしまう。いわゆる『活仏の転生』とは、精神を鍛錬し、意志を強化することによって自らの魂のエネルギーの散逸を防ぎ、意志を保ったまま新たな転生を果たす行為に他ならない――】
(これって、マジの話だったのか……? でも、俺は苦行僧みたいな修行なんてしてねえぞ。ただ、全力で音楽に打ち込んでいただけだろ……)
そんなことを考えていると、急に猛烈な眠気が襲ってきて、思わずあくびが漏れた。
「あら、もう眠くなっちゃったのね。ゆっくりお休みなさい」
鳥人間の母はそう優しく囁くと――愛おしそうに我が子の身体をそっと撫でた。
ジャックスもまた、抗いきれない重い睡魔に身を委ね、再び深い眠りへと落ちていった。
*
「ちょっと! 隊長!」
突然、聞き覚えのある女性の声が俺を呼んだ。ジャックスはゆっくりと目をこすりながら、気怠げな声で応じる。
「なんだよ……アイリ。せっかく気持ちよく寝てたのに、急に大声出すなよ……」
ジャックスは眠たげな視線を――ベーシストのアイリへと向けた。
「もうすぐ俺たちの出番だってのに、ずいぶんと余裕じゃん……」
呆れ顔のアイリを見つめるジャックスの耳に――楽屋の外から地鳴りのようなコールが飛び込んできた。
『麻痺爆音! 麻痺爆音! 麻痺爆音!』
そうだ、思い出した。俺は今、世界ツアーの前哨戦となる、あのバカでかい大ステージの舞台裏に立っているんだ。
「そういや、いつの間にか寝落ちしちまってたみたいだな。アイリ、起こしてくれてサンキュー」
彼は一気に気合を入れ直すと、横たわっていたソファから跳ね起きた。
これまでずっと苦楽を共にしてきたギターを背負う。
メンバー全員で準備室を飛び出すと、鼓膜を震わせる観客の地鳴りのような大歓声と、頭上から降り注ぐ眩いステージライト、そして興奮の坩堝と化したファンたちの姿が視界に飛び込んできた。
彼は、喉が張り裂けんばかりに大声を張り上げた――。
「待たせたな! 野郎ども――今から俺の歌を聴けぇ!!」
彼の叫びに応じるように、観客たちが今まで以上の大歓声を上げた――。
その、瞬間。 世界のすべてが、ピタリと静止した。
(な、なんだ……!? まさかこれ、やっぱり夢なのか?)
困惑した彼は首を巡らせ、周囲の仲間の様子を確認しようとした。
しかし、この世界は彼一人を残して、まるで動画を一時停止したかのように完全にフリーズしている。そして――。
「嫌だ、ふざけんなよ!! 俺の歌をまだ誰にも届けられてねえのに、こんなところで終わってたまるかよ!!!」
「いいえ……この世界は、あなたの歌声を必要としています」
静寂に包まれた空間に、突如として一人の女性の声が響き渡った。
ジャックスが声の主を探して、時が止まった観客の中に視線をやると――一人の女性がそこに立っていた。
彼女は神話の羽衣のようにひらひらと漂うようなマントを身に纏い、その上には万華鏡のように怪しく変化する色彩を反射させている。
それはまるで、ブラックホールが時空を歪め、光の波長を変調させているかのように、奇妙な色合いを放っていた。
フードからは顔の下半分だけが覗いており、いかにも『謎の人物』といった雰囲気を漂わせている。
「あんた、一体誰だ……? それに、さっきの言葉はどういう意味だよ?」
静止した空間に――謎の人物かな足音だけが響き渡る。
彼女はジャックスの目の前まで歩みを進めると、淡々とこう告げた。
「すべては、因果の巡り合わせなのです……」
彼女がそう言い終えた瞬間、夢の世界は霧散し、ジャックスはゆっくりと目を覚ました。
*
どれほどの時間眠っていたのだろうか。彼は自分の毛むくじゃらな身体を見つめた。
周囲の環境は、先ほどまでのあの重苦しい雰囲気の場所ではないようだ。どうやら家のような場所に戻ってきたらしく、自分は犬や猫が使うような布製のペットハウスの中にいる。
その入り口からは暖かな陽的光が差し込んでおり、やがて近づいてくる足音が聞こえてきた。
「あら、うちの可愛い坊やが目を覚ましたみたいね。お母さんに見せてちょうだい」
鳥人間の母はそう言うと、ペットハウスの中にそっと手を入れ、ジャックスを両手で優しく包み込むようにして外へと連れ出した。
そして、まだ幼体の姿であるジャックスの身体に、自分の頬をスリスリと優しく寄せあててきた――。
『くすすったいって! やめろよ、羽毛が当たってめちゃくちゃ痒いんだよ!』
ジャックスは必死に声を上げた。
しかし、鳥人間のははの耳に届いたのは、やはり相変わらずの愛くるしい「ピピッ、ピピィ」という雛鳥の鳴き声だけだった。ははは嬉しそうに目を細め――さらに愛おしそうに声を弾ませる。
「よかった、こんなに元気ならお母さんも一安心だわ。お腹空いたでしょ? そこで待っててね、今すぐご飯の準備をしてあげるから」
そう言うと、鳥人間の母はジャックスを、柔らかい布が敷き詰められたペット用ベッドのような特製のスペースへとそっと降ろした。
そして、バタバタと慌ただしく台所らしき場所へと料理を作りに行ってしまった。
『改めてこんな景色を見せられたら、これが夢だなんて口が裂けても言えねえよな……』
ジャックスの瞳に映っていたのは、窓らしき開口部の向こうに広がる景色だった。
そこには、現代の高層ビル並みに太く巨大な樹木が立ち並ぶ『巨樹の森』が広がっていた。
そして――自分たちと同じようにこの樹上で暮らす住人もかなり多いようだ。あたりを見渡せば、母を自称する存在と同族である鳥人間たちが、背中の翼を羽ばたかせながらあちこちを飛び交っている。
「はい、お待たせ。今回はちゃんとお医者様の言う通り、しばらくは植物性のゴハンにするからね。母さん、あんたがまた病院に担ぎ込まれるところなんて、もう二度と見たくないんだから」
苦笑いを浮かべながら、鳥人間の母は手にした皿を俺の目の前へと差し出した。
そして、ジャックスが興味津々に外の景色を眺めていることに気づくと、言葉を続ける。
「今更になっちゃったけど……この世界へようこそ。今日からあんたの名前は『レト』よ。ようこそレト、私のかわいい子……」
――こうして、この世界でレトの、新たなる人生が幕を開けた。




