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この頃、佳蓮は夢中になっているものがあった。
庭園喫茶である。
豪華絢爛な宮廷文化にはあまり興味のない佳蓮だが、喫茶には強く惹かれた。
庭園に設えられた硝子の温室。草花を愛でながら、銀器のポッドで淹れる茶様式の優美。数百にも及ぶ、芳醇な香りの茶葉。宝石箱のように並ぶ茶葉の匣。
視覚、嗅覚、味覚、そのすべてが優雅に満たされる世界に、佳蓮はすっかり魅了された。
やがて、佳蓮の喫茶趣味は皇城を飛び越え、アディール新星皇国をも飛び越え、円環大陸全土へと広がっていく。喫茶文化は目にも彩な百花繚乱の花園として全盛期を迎えようとしていた。
これまで、喫茶は応接間や客室といった屋内で嗜むのが一般的であったが、佳蓮はとりわけ屋外での喫茶を好んだ。
硝子の温室や、金合歓の大樹の下、涼風に揺れる日傘の影で茶を楽しむ。
屋外喫茶は、宮廷文化に一大旋風を巻き起こした。
外で喫茶する習慣のなかった宮廷人にとって、佳蓮は流行の先導者だった。
佳蓮はお茶を楽しむ環境にもこだわり、お茶を飲む為だけの茶室を設けて、好みのインテリアで整えた。
異国から取り寄せた麻の香紗衣を羽織り、紅茶を飲む佳蓮の姿は、忽ち人々の憧れの的になった。
そして、庭園喫茶が誕生する。
庭園には美しい草花が植えられ、人工の池や彫像が配置された。遊歩道や生け垣を利用した、巨大な迷路も造られた。
お茶や軽食のとれる娯楽施設の多くは、郊外の風光明媚な田園地帯に建てられたが、数が増えるにつれ、互いに差別化を図るようになり、音楽団の生演奏を聴かせる庭園や、花火を打ちあげる庭園まで誕生した。
資産家の後見を受けつつも、庭園喫茶の多くは一般開放された。佳蓮の享楽的で自由な思想が浸透し、家族連れも恋人も、誰もが茶を楽しめる場となった。
社交を苦手とする佳蓮も、喫茶の招待には比較的よく応じた。
宮廷佳人達は女神の寵を競い、より美しい庭園喫茶を我先にと建てた。
当然、レインジールも例外ではない。
彼は誰よりも情熱的に庭園建築に取り組み、贅を尽くした設計図を次々と広げた。
その熱の入りように、喫茶好きの佳蓮でさえ苦笑するほどだった。
今も――
時計塔六二階の硝子温室で手紙に目を通していた佳蓮は、レインジールの広げた図面に目を留め、思わず笑みを漏らした。
「……また造るの?」
「はい。今度は、楡の森林に造ろうと思うのですが、いかがでしょう?」
「素敵だと思うけど……レイン、忙しいでしょう?」
躊躇う佳蓮に、レインジールは柔らかな微笑を浮かべた。
「我が喜びです。佳蓮の為に、造りたいのです」
「うわぁ、レインが無駄遣いしてる! 貧乏になっちゃう」
茶化す佳蓮を見て、レインジールは笑った。
「メビウス家の資産をいかほどとお思いですか? ほんの一部を解放しているに過ぎませんよ」
「うん。でも、もう充分だからね。最近、湖水の傍に素敵な庭園を造ったばかりでしょ」
レインジールは楽しそうにしているが、佳蓮は半ば本気で心配していた。なにせ湯水のように資金を使っているのだ。
「無理はしないでほしいけど……レインの造る紅茶庭園が一番好き。特に、ルルーシュナ紅茶庭園。あそこ以上に素敵な庭園はないと思う。また連れていってね」
月照に濡れる夜の紅茶庭園を想い浮かべながら、佳蓮は陶酔に吐息を漏らした。
「もちろんです。気に入ってくださって、嬉しい」
レインジールは花が綻ぶように笑った。
後の建築史に金字塔の如く名を連ねる四大紅茶庭園の一つ、ルルーシュナ紅茶庭園は、長く一般公開されずに秘されることになる。造らせたレインジールが、佳蓮しか招き入れなかったのだ。
女神の訪れがない日には、硬く施錠されて誰も入ることができない紅茶庭園は、まさにこの世の楽園なのだろうと人々は夢を膨らませた。
「それにしても、こんなに喫茶文化が流行るとは思わなかったなぁ」
手にしていた招待状の束から手を離すと、佳蓮は頬杖をついた。
「マクランタ家と、シリウス殿下からも届いていますよ。マクランタ家は〝春告の花飲茶会〟、シリウス殿下は深夜に〝月夜の宴〟を催すそうです」
「へぇ……楽しそう。両方、出席で返事しておいてくれる? 他は欠席で」
「判りました」
どことなく沈んだ声を聞いて、佳蓮は端正な顔を覗きこんだ。
「出席しない方がいい?」
「……そのような不敬は。ただ、私を介せば佳蓮の返事が良いと見抜かれているのが、少し癪ではあります」
「はは、レインの判断を仰いでいるって、バレてるんだね。私に送るより、レインに打診した方が確実だもん」
「……殿下は魅力的ですから、佳蓮もお気に召しているのではありませんか?」
「お茶会に興味があるだけだよ。殿下は関係ない」
つまらなそうにしているレインジールの額を、佳蓮は人差し指でつついた。
「私にとって、レインほどの美男子はいないよ」
照れたように視線を泳がせるレインジールに、佳蓮はほほえんだ。
出会った頃より、背も伸びて、天使のように愛らしい顔は少しシャープになった。あともう少しすれば、誰もが……佳蓮がびっくりするほどの、目の醒めるような美少年になるだろう。
会話が途切れると、レインジールは侍従を呼び、布にくるまれた箱を持ってこさせた。
「これをどうぞ」
テーブルに置かれたそれを左右から眺めて、佳蓮は首を傾げた。布を捲り、目を瞠った。
宝箱のような、真鍮装飾が施された飴色の茶葉の匣だ。
「わぁ、素敵!」
骨董古雅な外見はどこか日本風で、ひと目で佳蓮は気にいった。
「ありがとう、レイン! 大切にするね」
満面の笑みを見て、レインジールは、ほっとしたような顔をした。
「喜んでいただけてよかった」
はにかむ端正な顔が、さらりと流れた前髪に半分隠れる。
最近、レインジールは前髪で顔を隠すようになった。もともと容姿に関しては自己肯定感が低かったけれど、最近はその傾向が、いっそう強まっているように見える。
「前髪伸びたよね。 切らないの?」
顔を覗きこみながら、そう提案すると、レインジールは恥じ入るように視線を伏せた。
「せっかく綺麗な顔をしているのに、隠すなんて勿体ないよ」
「……そんな風におっしゃってくださるのは、佳蓮だけです」
麗しい顔に、似つかわしくない自嘲の色が仄かに滲んだ。
以前なら、賞賛を浴び慣れた者の見せる余裕だと思っただろう。
今なら判る。彼は自分の姿を恥じているのだ。佳蓮を独り占めしたいと思う一方で、隣に並ぶことを恐れている。
そんな風に自分を卑下する必要などないのに、と佳蓮は複雑なジレンマに駆られた。
「誰が何と言おうと、私にとってレインは天使なの。綺麗な青い瞳が隠れてしまって、寂しいな」
前髪をそっとかき分けると、レインジールは陶然とした表情で佳蓮を見つめた。
「佳蓮……」
「……お互い、生まれてくる世界を間違えちゃったね」
もし、彼が地球に生まれていたら、薔薇色の人生を歩めただろう。佳蓮も最初からこの世界に生まれていれば、あんなにも辛い思いをせずに済んだのに。
「いいえ、間違えておりません。今生でなければ、佳蓮にお会いすることは叶いませんでした」
一切の躊躇なく言い切るレインジールの顔を見て、佳蓮は言葉に詰まった。
「貴方にめぐり逢えた奇蹟を、毎日毎晩、天に感謝しています」
「……ありがとう。私も、レインに会えて良かった」
感極まったように瞳を潤ませる少年の頬を、佳蓮は、そっと両手で包みこんだ。
「……あれ、泣いちゃった?」
「泣いていませんっ」
額にかかる前髪を手でよけて、そっと唇を落とすと、レインジールの目元に朱が散った。
「佳蓮……」
「後で前髪を切ってあげる。私、結構上手なんだよ」
レインジールは顔を伏せたまま額を手で押さえると、小さく頷いた。




