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 夜も()けた頃、佳蓮はレインジールの随伴(エスコート)を受け、(せい)()()()く馬車に乗って白の玻璃城(リュ・シアン)に向かった。一度くらい、広域星路陣(グランディア)で転移せず、外から眺めてみたかったのだ。

 ポプラ並木の奥、夜の水面から浮かびあがるその姿は、童話に描かれたお城のように優雅で、静謐(せいひつ)で、圧倒的だった。

 星明かりと灯火を浴びた石灰岩は、青と金にしっとりと濡れ、(きら)めいている。

「うわぁ、素敵……」

 陶酔(とうすい)めいた呟きを漏らす佳蓮を、レインジールは静かに微笑しながら見ていた。

 皇城に到着してからも、佳蓮は夢見心地だった。

 茶席を設けられた温室の中央には火鉢が据えられ、暖かな火が静かに燃えている。

 硝子の天穹(てんきゅう)越しに、宝石を(ちりば)めたように(またた)く惑星状星雲(せいうん)円蓋(えんがい)からは、細い鎖に結ばれた角灯(ランタン)が幾つも吊るされ、萌えたつ緑を蜜を含んだ黄金へと染めあげている。

 (はり)には(つる)が這い、葉は月光と灯火を受けて、()(すい)から()(はく)へとゆるやかに色を変えていく。

 床に置かれた灯は絨毯に柔らかな影を落とし、そこに咲く草花は、夜そのものを吸って密やかに息づいているようだった。

 素敵な演出に胸を高鳴らせていると、(まばゆ)い装いの二人が歩み寄ってきた。

「こんばんは、流星の女神。ようこそ、月夜の宴へ」

 月桂樹の冠を(いただ)いたシリウス皇太子は、さながら真夏の夜の夢に登場する妖精王のように、慇懃(いんぎん)な仕草で一礼した。

「お招きいただき、ありがとうございます」

 佳蓮も(いき)な演出に応えて、深く膝を折って、芝居がかった挨拶を返す。

「ご機嫌よう、ハスミ様」

 つんと顎を()らし、高飛車にいい放ったのは、シリウス皇太子の婚約者――キララ・アンネ・マクランタだ。佳蓮をライバル視する急先鋒である。

 社交の華と称されるキララは、真紅の髪を片側に緩く巻いて、深緑のドレスに身を包んでいた。

「ご機嫌よう、キララ様」

 お辞儀する佳蓮を、キララは羽飾りの扇子で口元を隠し、検分するような目で眺める。

 今夜の佳蓮は、夜の(とばり)のような深い紫紺から、漆黒へと沈みゆくドレスを(まと)っていた。

 緩く巻いた髪を背に垂らし、金と青に輝く天象の装身具を星図のように飾っている。薄絹(うすぎぬ)を重ねた袖は月光を含み、身じろぐたび、微細な星屑(ほしくず)が静かに(またた)いた。

 その姿に(あら)を見つけられなかったようで、今度はレインジールに視線を移すと、キララは(ひとみ)に意地の悪い光を灯した。

「おかわいらしい紳士ですこと。後ほど、お二人のダンスも披露してくださるのかしら?」

 小馬鹿にした物言いに(ひる)むことなく、佳蓮は笑顔で応じる。

「私の小さな紳士は、とてもかわいいでしょう? 踊るのは苦手なので、誰とも踊りません。こんな私でも、レインは退屈せず傍にいてくれるんです」

 嬉しそうに語る佳蓮を、キララは扇で表情を隠しながら見つめた。

「女神の舞う姿を見られないなんて、殿方はがっかりするでしょうね」

「でしたら、私の分までキララ様が踊ってくださいませ。目の保養にさせていただきますわ」

「もう見飽きたのではなくて? たまには、私も目の保養を楽しみたいですわ」

「ご期待に沿えず申し訳ありません。本当に踊るのは苦手ですから」

 柔らかく、しかりきっぱりと辞退すると、キララは一瞬白けた顔になり、すぐに笑みを(つくろ)った。

 一見すれば和やかに笑みを浮かべる二人を、集まった人々は興味津々、賞賛のまじった眼差しで眺めている。シリウス皇太子もまた苦笑を浮かべつつ、無自覚な熱を宿した眼差しで佳蓮を見つめていた。

 佳蓮はちらりと隣の少年を盗み見る。

 こういう場面で、レインジールは一貫して柔和な笑みを崩さない。卑屈な心を()じ伏せ、堂々と顔をあげて傍にいてくれる。

「少し、足が疲れたので……休憩して参ります」

 声にしない彼の心情を(おもんばか)り、そっと注目の輪から外れるのは、いつも佳蓮の役目だった。

 人の輪を離れると、レインジールが気遣わしげな視線をよこした。

「平気だよ」

 笑みかけると、彼も安心したように笑い返した。

 社交界では今、佳蓮とキララ、そしてシリウス皇太子を巡る恋模様が格好の噂噺(うわさばなし)になっている。

 美しい女神に皇子は心を奪われ、皇子に恋するキララは、女神の美しさに嫉妬していると面白がっているのだ。

 世間では、佳蓮とキララは水と油のように相容れぬと思われているが、誤解である。少なくとも佳蓮は、キララの優雅な言葉遣いや(てん)()な所作を、お手本にしているくらいだ。

 彼女は社交に長けながら、人に(おもね)ることを良しとしない。佳蓮に対しても、不満を直接ぶつけてくる(いさぎよ)い性格をしている。

 嫉視(しっし)(わずら)わしく思う時もあるが、はっきりした物言いをするキララを、苦手に思っていても嫌いではなかった。

 それにしても、女同士のしがらみは世界を隔てても健在らしい。

 近頃は、佳蓮とキララを天秤にかけ、どちらに(くみ)するか計算する者まで現れていた。


 次の休息日である。

 繚乱(りょうらん)たる令嬢が(つど)う、キララ主催の〝春告(はるつげ)花飲(かいん)茶会〟へと佳蓮は招かれていた。

 庭園は春めいて、(つた)は芽吹き、薄桃色の薔薇は、仄かな香を陽光に溶かしている。

 噴水の水音は、冬をほどく春告げのようにやわらかく、白絹のかけられた長卓には、(はなびら)の菓子と薄青の茶器が配されていた。

 (あるじ)たるキララは、自慢の庭園に客人を迎え、薄青のティーポットを自らの手で傾けている。注がれる桃色の雫は、(はなびら)を溶かし、春を(うつわ)に落とすかのようだった。

「キララ様が、ハスミ様に敵うわけがありませんのに」

 佳蓮の隣で、先ほどから小声で不満を漏らしている令嬢は、エリという名の少女だ。

 皇都に住む叔母のもとで行儀見習をしているらしい。年の頃は一五ほど。藤色の巻き髪に、佳蓮の基準ではなかなか整った顔立ちをしている。

 美味しい紅茶を楽しみたいところだが、エリの途切れない毒舌ぶりに、佳蓮はすっかり辟易(へきえき)していた。

「……私は、キララ様のこと、結構好きですよ」

 やんわりと返すと、エリは戸惑ったように(ひとみ)(まばた)かせた。

「……そうですの?」

「はい。思ったことを隠さずおっしゃる、(いさぎよ)い方だと思います」

「まぁ……ご不快ではありませんの?」

「そう思った時は、私も言い返していますから、おあいこです。皆さんが思うほど険悪でもありませんし、案外、楽しくお喋りしていますよ」

「そうですの……」

 期待を裏切られたように、エリはどこかつまらなさそうな相槌を打った。

「ご機嫌よう、エリ様。私の噂話かしら?」

 背後からかけられた声に、エリはびくりと肩を震わせた。振り向いた先には、悠然(ゆうぜん)(たたず)むキララの姿。

「エリ様、仲良くする相手を乗り換えたのかしら? さすが、流行に敏感な方は違いますわね」

 強烈な嫌味に、エリの頬がさっと赤く染まる。

 ぴりっとした空気に、佳蓮はどうしたものかと思う一方で、堂々と割って入るキララの胆力に、感心もしていた。

「女神様、お優しいお言葉をありがとうございます。地上にいらしても、こうして暖かく見守ってくださるのですね」

 笑顔とは裏腹に、言葉には棘が潜んでいる……気がする。

 返答に迷う佳蓮を見て、キララは満足そうに笑ったかと思うと、パチリと片目を(つむ)ってみせた。

「あら? 小気味いい(たん)()は、もう在庫切れですの?」

 からかうような口調に、佳蓮はようやく肩の力を抜いた。どうやら、嫌われているわけではなさそうだ。

「……とりとめのない話です。お気を悪くなさったなら、ごめんなさい」

 その先を続けるか迷っていると、葛藤(かっとう)を見()かしたようにキララは笑った。

「ハスミ様が謝ることではありませんわ。ねぇ?」

 同意を求められたエリは、盛大に狼狽えた。その様子をたっぷり眺めてから、キララは淡々と言い放つ。

「私の茶会で、不作法は見逃せませんの。楽しくお話しできないのなら、どうぞ、お帰りになって?」

 女王然とした眼差しで、むっつりと黙りこむエリを見下ろした後、灰紫の(ひとみ)を佳蓮に向けた。

「これから、〝春林檎の微睡(まどろみ)〟を振る舞いますわ。こちらにいらっしゃる?」

 気遣いの滲む誘いに、佳蓮の胸が温かくなる。彼女がこんなに優しいとは知らなかった。

 悄気(しょげ)返って(うつむ)くエリを放っておくのもかわいそうで、佳蓮は視線を戻した。

「ありがとうございます、キララ様。後ほど、ぜひ」

 扇をパチリと(はじ)いて、そう? とキララは小首を(かし)げる。一五の少女がするには大人びた仕草だが、彼女にはよく似合っていた。

 優雅に去っていく背を見送り、佳蓮は改めてエリに向き直った。

「噂話は、ほどほどにしないといけませんね」

 やんわり(たしな)めると、

「……気にすることはありませんわ。キララ様は、はっきりした物言いをされる方ですから」

 的外れな感想を述べるエリに、佳蓮はため息を(こら)えて首を振った。

「彼女は悪くありません。自分の知らないところで、噂をされるのは、誰だっていい気分じゃありませんよ」

 控えめに釘を刺すと、エリは罰の悪そうな顔で頷いた。彼女が思うほど、キララは意地悪ではない。落ちこむエリを半ば強引に誘い、佳蓮はキララの席に着いた。

 キララはエリを一瞥(いちべつ)したが、彼女にも〝春林檎の微睡(まどろみ)〟を振る舞ってくれた。

 冷たい飲み物で、クリスタルグラスに薄紅(うすくれない)の炭酸果汁が、真珠のような気泡を連ねて踊っている。、林檎の果肉と淡桃色の(はなびら)が、うとうとと微睡(まどろみ)んでいるみたいだ。

 春らしい色彩の飲み物に、先ほどまで沈んでいたエリの(おも)()からも、ようやく影が払われた。隣の令嬢と会話を(はず)ませる様子を見て、佳蓮はようやく、気兼ねなく茶席を楽しむことができた。

 (えん)もたけなわ。

 中庭を通って、広域星路陣(グランディア)に向かって歩いていると、対面からシリウス皇太子がやってきた。

 一瞬、気づかないふりをしようか迷ったが、表情を(ほころ)ばせたシリウス皇太子に名を呼ばれ、逃げ損ねた。

「ハスミ様。これは幸運だ、偶然お会いできるとは」

「ご機嫌よう、シリウス殿下」

「茶会は、もう終わってしまいましたか?」

「ええ、帰るところです」

「それは残念。喉が渇いているのに、紅茶を飲み損ねましたよ」

 佳蓮は微笑に留め、言葉を返さなかった。

 早く会話を終わらせたい――心情を見()かしたように、シリウス皇太子は如才ない笑みを浮かべた。

「素直な方だ。帰りたいと、顔に書いてありますよ」

 図星を突かれ、佳蓮は気まずげに視線を()らした。

「おかわいらしい。レインジールが羨ましいな。貴方の傍にいられるのなら、私()星杯(せいはい)を捧げたのに」

 軽口のようでいて、どこか引っかかる言葉だった。真意を探ろうにも、心を読ませぬ鉄壁の笑みに(はば)まれた。

「……戯言(ざれごと)です。忘れてください。少し歩きませんか?」

 そう言うと、佳蓮の返事も待たずにシリウスは歩き始めた。

 仕方なく横に並んだその瞬間、間の悪いことにキララと鉢合わせた。

 シリウスを見て、ぱっと表情を明るくしたキララは、隣に佳蓮がいるのを見て笑みを消した。

「こんにちは、キララ嬢。遅くなって、すみません」

「待ちくたびれましたわ」

 差しだされた手に、シリウス皇太子は慣れた様子で指先に口づける。

 互いを美男美女と信じて疑わない二人の立ち居振る舞いは、鷹揚(おうよう)として美しかった。

 当初は視界の違和感を(ぬぐ)えなかったが、今はそうでもない。慣れもあるが、育ちの良さを物語る(てん)()な所作は、本当に美しかった。

「シリウス殿下、キララ様をお送りください。私はもう、お(いとま)いたしますから」

 (いぶか)しむキララに、佳蓮は片目を(つむ)ってみせた。

 彼女からシリウス皇太子を奪うつもりはない。うっかりにでも誘惑しないよう、邪険にしているくらいだ。

 そのやり取りを面白がるように、シリウス皇太子は二人の顔を見比べている。

 毒気を抜かれたようなキララに背を向け、佳蓮は時計塔に戻った。

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