<零の仕事>2
次の家の表札を確認し、零は郵便受けに茶封筒を投函した。
そして、隣の家の表札を確認する。
その繰り返しだ。正直言って面倒くさい。
さっきの封筒づくりも地味な作業だったが、一つ一つ入れていくのもまた地味であった。
空き家もあるからさらに困る。マンションとかアパートとかだともっと困る。
氷美には悪いが、やはり外の仕事の方が楽なような気がしてならない。
零は外の仕事の方が自分に向いていると思っている。
鋼糸を指でなでた。錆は見られない。
零は鋼糸で深くは切らない。浅く切るせいもあって、たくさん切った証拠である錆はあまり見られないのだ。
・・・鋼糸を見ていると動きたくてうずうずするので、零はおとなしく鋼糸をしまった。
仕事を再開しようとした。
が。
「・・・だぁれ・・・?」
「っ!?」
突然後ろから声をかけられ、零は心臓が止まるかと思った。
あわてて振り返ると、そこにいたのは6歳ぐらいと見える少女。
パジャマ姿で眠そうに目をこすっている。
あどけない目で零を見て、首を傾げた。
「みのりのおうちにあそびにきたの・・・?」
「みのりのおうち・・・」
零は今封筒を入れようとした家の表札を見た。
少女の口振りからすると、ここが彼女ーーみのりの家らしい。
「君、みのりちゃんっていうの?」
とりあえず零がそう確認すると、少女はぼんやりとした表情のままうなずいた。
「うん。しばさき みのりっていうの」
表札をもう一度見ると、なるほど『柴崎』さんのお宅だ。
「おにいちゃんはなんていうの?」
一人納得していると、みのりにそう訪ねられた。
「え、俺?」
突然のことだったので戸惑って聞き返すと、みのりはこくんとうなずく。
「えっと・・・零、だけど」
「れいおにいちゃん?」
「・・・・・・」
おにいちゃんって。
沈黙した零をよそに、みのりは嬉しそうににこにこ笑っている。
その笑顔はあどけなくて、つい和んでしまった。
「おにいちゃんはなにしにきたの?」
続けてみのりが聞く。
「俺は・・・お届け物ーーーって、違う!」
我に返り、零は叫んだ。
今まで感じなかったのがおかしいぐらい、たくさんの疑問が浮かんでくる。
なぜ、少女が夜中に外にいるのか。
彼女の親はなにをしているのか。
ていうか、なんで普通にはなししてんの俺。
あわてて零はみのりに聞く。
「みのりちゃん、お母さんは?」
にこにこ。
みのりは答えず、笑ったままだ。
「お父さんは?」
にこにこにこ。
「なんでこんな時間に外にいるの?」
にこにこにこにこ。
「みのりちゃぁぁぁぁぁん!」
答えは返ってこないし、みのりは笑ったまま表情を変えない。
零はとうとう頭を抱えた。
「ーーー妹になにしてんすか」
「っ!?」
デジャヴ。
零はまた後ろから声をかけられ飛び上がった。
同じパターンに内心あきれつつ振り返ると、12歳くらいの少年が。
「って、妹・・・?」
少年の言葉を復唱すると、少年は若干零のことをにらんで、そうっすよと愛想なく言った。
「みのりは俺の妹ですけど。あなた誰ですか」
目が冷たい。完全に不審者扱いだ。先に声をかけたのはみのりだが。
「おにいちゃん! おかえりなさい」
みのりが目を輝かせて少年に飛びつく。少年はそれを少し嬉しそうに受け止めた。
零が言葉もなくそれを見ていると、さっきよりも強くにらまれた。よく見ると若干顔が赤い。やっぱり恥ずかしいようだ。
「あなた誰ですか」
もう一度その質問を繰り返された。どう答えようか迷いながら零が口を開くと、それより先にみのりが口を開いた。
「れいおにいちゃんだよ!」
「ちょ・・・」
「れいおにいちゃん?」
嬉しそうなみのりと、顔がひきつった零、そして怪訝そうな顔をしている少年。
どうすればいいんだろうこの状況。
「みのり、ちょっと静かにしててくれないか」
少年がそう言ってみのりを諭す。みのりはちょっと不思議そうな顔をしたが、おとなしく従った。
「ーーーさて」
「説明をしてくださいってか?」
やっと零がまともに話すと、少年は面食らったような顔をした。
「わかってるんですね」
「まぁな」
それ以外の言葉が思い浮かばなかっただけでもあるが。
かくかくしかじか。
「・・・なるほど、それはご迷惑をおかけしました」
少年が頭を下げる。
零はそれを見て苦笑した。
「大丈夫、そんな迷惑でもなかったし」
そう言うと、少年はほっとしたように息をつく。
それにしても、と零は続けた。
「いい子だな、この子」
「え」
「さっき少ししか話してないけど、おかえりなさいとか、ちゃんと言ってる。偉いな」
「・・・そんなの、当たり前のことじゃないですか」
「そうでもないよ」
零は笑う。
そうでもない。たまにいろんな家を見るが、なにも言わずに家に帰ってきたり、送るときや出かけるとき、なんの挨拶もしない家庭が増えてきていると感じている。
「みのりちゃんーーーおまえが育てたのか?」
勘でそう聞くと、少年は顔を赤くした。
「はい、まぁ・・・」
照れ隠しみたいにみのりの頭をなでる様子は、見ていてほほえましい。
だけど、そうなのだとしたら。
兄が妹を育てる理由は、かなり限られてしまう。
「両親は?」
少年の表情が、固まった。
「いないわけじゃ、ないよな」
「・・・いますよ」
小さな答え。自信を持って言えないのは、親だと思いたくないから?
「なにしてるんだ? 大丈夫なのか?」
つい、心配になってしまった。
人の事情に関わるような質問を零はした。
うつむいた少年が、唇をかみしめている。
「あ、あなたには・・・っ」
零が気づいたときには、もう遅かった。
「あなたには、関係ないでしょう!? 数分話しただけでもう関係ある人のつもりですか? ずいぶん厚かましいですね。俺やみのりはあなたにとって赤の他人でしょう!? だったら放っておいてください。同情や心配なんて、じゃまなだけなんですよ!」
零はなにも言い返せなかった。
少年は息を切らせてみのりの手を引く。
「帰るぞ、みのり」
「え? れいおにいちゃんは?」
戸惑う妹にも、少年は怒鳴りつけた。
「いいから! ・・・早く」
見ていることしかできなかった零を一瞥し、少年はみのりの手を引いて家の中に入っていった。
しばらくの静寂。
やがて零が発した言葉は、後悔の言葉だった。
「なにしてんだろ俺・・・らしくねぇや」
とぼとぼと歩き出す。怒鳴られたことは結構ショックだった。
手紙を郵便受けに入れて、入れて、入れて。
最後氷美と合流してからも、零のテンションは低いままだった。
「どうしたのよ零? なんか怖いんだけど」
「うん・・・」
関係ないのに、深く関わりすぎたかもしれない。
こんな経験、零は初めてだった。