5 今日が昨日に、昨日が今日に
なぜ頑丈おじさんが頭を下げたのか? パート2です。
知りたい方は、急いでお読みください。
では、どうぞ。
コップの水を飲み干すと、何も言わずに金髪お姉さんが二杯目を注いでくれた。
今が時期ではないのか、この世界と日本の、例えば時差とかがあって稼ぎ時ではないのかもしれないけど、この店に閑古鳥が鳴いていることも、きっとそのせいなのだろう。
暗い話になっちゃったね、と三十おじさんは申し訳なさそうな顔をした。
その後に
「あの人はドワーフのマグマさんっていうんだ。グマ爺で通っている。若い頃はそりゃあ名のある冒険者だったんだよ」
そう教えてくれた。
(ドワーフ。冒険者)
それはやっぱりそれなわけだ。
にわかには信じられないけど、この状況はやっぱり、それなわけだ。
「モンスターがこの町を襲うのは恨みがあるからで、騎士団がモンスターと戦うのは、名目上とはいえ町人を守るためで。襲われたから襲う。襲ってくるから剣を振るって。傷つけて傷つけられて。でもその連鎖の始まりは……」
「うん。町の人が見たんだ。モンスターの子どもを拉致し虐待したのが、王国騎士団の者だったって。もちろんその時は、騎士団の鎧なんかはつけてはいなかったって話だけど、領主の背後で領主の警護をしていた騎士の中に、見つけてしまったらしいんだ。その人はその話をした夜に、モンスターに襲われて死んだんだ」
言葉が出なかった。
だれが聞いてもわかる。主犯が領主で、実行役が王国騎士団の一員だ。
それを証言すると、消される。
泣き寝入るしかない。
いや、泣き寝入るしかなかったこれまでに、サヨナラするチャンスが、この国一を決める鍛冶師大会だ。
三十おじさんは伏せたけど、いろいろ酷い目に遭ってきたのだろう。
二年は、長い。
王様はこの町の現状をどう思っているんだろうと聞きたかったけど、言わないくらいの配慮はできるし、言うほどの度胸もない。
ちっちゃな女だ。
「それならその陳情書を、さっさと王様に見せればいいじゃないかって言う人もいる。けど、考えてみなよ。そんな陳情書、大臣に握りつぶされるだけだ。だからグマ爺はお触れが出てからの一年間、いくつもの武器を造り、作る素材を集めるためにダンジョンに入って戦い、険しい山奥に入って戦い、傷つき、また命を削ってハンマーを振るった。でも、満足のいく武器はとうとう造れないまま今日になった。グマ爺は落ち込んで酒を酔うほどに飲んでいたら、ミューキー、ミ・ユ・キがドアを開けて入ってきたんだ」
「そういう状況だったんですか」
「今頃、叩いているわ。目の色を変えて。あの人、鍛冶師としても一流なのよ」
「でも、あと十日だよ。できるかな? 満足のいく武器」
鍛冶のことは知らない。
まったくと言っていいほど。
でも、頑丈おじさんが満足のいく武器ができてほしい。
鍛冶師大会で優勝できるような立派な武器が。
「ところでミューキー、いや、ミ・ユ・キ。宿は決まっているのかい? ご飯、ここで食べていかないかい。歌の代金だ。無料サービスするよ」
ご飯と聞いておじさんとおばさんの顔が浮かんで、我に返った。
とりあえずうちに帰らなくちゃ。
でもどうやって?
答えは出なかったけど反射的に立ち上がった。す
ると頭が痺れて視界に白いモヤのノイズが広がって、それが視界を埋め尽くして完全に真っ白になった直後に真っ黒になった。
目を開けると天井が見えた。
どうやらベッドの中だと、寝ぼけ眼で思った。
「何だ、夢だったのか」
呟いた。
呟いて、息を呑んだ。
天井も部屋の至る所も窓からの景色も、見知らぬものだったのだ。
覚めた頭で一つ一つ確認した。
完全に途切れる前の記憶とつながっている。
少なくとも、私の部屋では絶対にない。
ああ、ギターとトートバッグはある。
「うん?」
ギター・ケースの上に何かある。
何だろう?
近づくと何かは分かった。
紙とベルだ。
紙にはこう書かれていた。
目が覚めたらこのベルを鳴らしてね
金髪お姉さんだろう。
勝手にこの部屋を出て建物の中をうろつくのも失礼だし、何が待ち受けているのかも分からないからそんな冒険をする度胸もない。
触らぬ神に祟りなし、だ。
私は素直にベルを鳴らした。
ちょっとして近づいてきた足音は、金髪お姉さんのものだろう。
果たして、金髪お姉さんだった。
「おはよう、ミ・ユ・キ。昨日のこと、覚えてる? あなた、倒れちゃったのよ」
「昨日?」
倒れたことよりも、夢ではなかったことよりも、一日経っていたことに愕然とした。
「そう、昨日よ。どうかした?」
そりゃあどうかしてるよ。
おじさんとおばさんに無断で外泊をしたって、してしまったってことなんだから。
慌ててギター・ケースを背負いトートバッグを抱えて、部屋のドアノブを握った。
おじいさんと握手をした左手で。
私は箸と鉛筆は右なのだけど、その他のほとんどが左利きなのだ。
「お姉さん、泊めてくれてありがとうございます。でも私、帰らないと。男性の方にも面と向かって礼を言いたいんですけど、そんな状況じゃないので、失礼ではあると思うんですけど、申し訳ないんですけど、礼も言わずに帰らえていただきます。ありがとうございましたと伝えてください。では、失礼します」
頭を下げてドアノブをひねった。
ひねって部屋を出た。
出て思った。
(どうやったら帰れるんだろう?)
何がどう作用してここに来たのも分からないのだ。
絶対に私の意志ではないし。
だから帰り方がわかるはずもない。
だけど、ドアとは開けたら閉めるものだ。
何か言いかけていた金髪お姉さんが見えたけど、勢いがついたドアは閉められた。
でもそれじゃあ失礼だから
「何ですか?」
とドアを開けて訊いた。
でも金髪お姉さんはいなかった。
私の部屋がそこにあった。
「美優姫ちゃん、呼んだ?」
おばさんの声だ。
私は戻ってきたのだ。
「ううん。何でもない」
何でもなくなんかない。
でも取り繕うために私は嘘をついた。
ドアの向こうは私の部屋だ。
一歩足を踏み入れてみる。
店にはならない。
引っこめた足で、もう一度部屋の中を踏んでみる。
うん、私の部屋のままだ。
体ごと入ったら変わるのか?
恐る恐る、体を入れる。
心臓がドキドキしている。
大丈夫だ、何の変哲もない。
あっと思い、スマートフォンを見た。
四時五十四分。
三月〇日、土曜日。
私がストリート・ミュージシャン・デビューをしたその日の、帰宅してドアを開けたその時間のままだと思われる。
考えはまとまらなかったけど、とりあえず、無断外泊にならなくてよかったこと、それは安心した。
腹の虫が、暢気にも音を立てた。
無事に帰れてよかった。
もう二度とあっちに行くことはないのでしょうか?
ふふふ。
では、また。




