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無能な勇者恋をする  作者: ぶーたん


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第7話 霧の森の精霊と、身勝手な契約

川を渡りきった一行を待っていたのは、安息ではなくさらなる地獄だった。「本物の勇者に鍛え直す」と宣言したエリザ教官の特訓は、もはや訓練の域を超えていた。


広大な野営地では、土煙が絶えず舞い上がっている。その中心で、ルナとレオはひたすら実戦形式の模擬戦を命じられていた。本来なら天才と呼ばれる二人が、膝をつく寸前まで追い込まれるほどの高密度な訓練だ。だが、それ以上に凄惨なのは、別メニューを課されているイチカラだった。


「ほら、どうした! 足が止まっているぞイチカラ!」


エリザの手には、ただの木の棒がある。しかし、それが振るわれるたびに、大岩を砕くような重低音が響く。イチカラは剣を振るう余裕など微塵もなく、ひたすら棒で殴られまくっていた。


「あだだだだ! 痛い、痛いです教官! 死んじゃう!」

「死なない程度に手は抜いている。それより、あの巨大カエルを倒した力はどうした? 今ここで出してみろ!」


エリザの棒が、イチカラの尻、肩、脛を容赦なく叩き伏せる。イチカラは泥の中に顔から突っ込み、ミミズ腫れを作って悶絶した。その日の夜、全身の激痛と恐怖がついに限界を超えた。

(ここにいたら、魔王に会う前に教官に殺される……!)

彼は深夜、這いずるようにしてキャンプを抜け出した。逃げ込んだのは、常に深い霧が立ち込め、一度入れば二度と出られないと言われる「迷いの森」だった。


「……誰か、助けて……」


霧の奥で力尽きかけたその時、視界の端で淡い光が揺れた。霧の奥から現れたのは、透き通るような銀髪をなびかせ、背中に小さな羽を持つ、幻想的な美しさを持つ少女だった。


「……迷い子さん? ちょうどよかった。あなた、私の声が聞こえるのね」

「き、君は……? 天使、なのかな?」

「私はこの森に眠る聖剣の精霊。ねえ、お願い……私を助けてくれないかしら? 悪い魔族たちが私の本体を奪おうとしているの。私を……あなたの体の中に隠してほしいの」


少女は切実な表情でイチカラの手を取った。その人間離れした美しさに、イチカラは一瞬で心を奪われる。

「もちろんだよ! 君のような可愛い精霊さんのお願いなら、命だって懸けるよ!」


二つ返事で承諾した瞬間、少女は光となってイチカラの胸へと飛び込んだ。その途端、背中の「勇者のアザ」が激しく脈動し、拳大だったアザがさらに一回り大きく広がっていく。イチカラは自分の背中の変化など知る由もないが、全身に力がみなぎるのを感じた。


そこへ、霧を切り裂いて巨大な鎧騎士「デュラハン」が現れた。


「精霊を渡せ、無能な人間め」


デュラハンが振るう巨大な魔剣が、空気を断ち切りイチカラを襲う。

「ひいぃぃぃ!」

イチカラは無様に地面を転がり、必死に攻撃を避けた。右へ、左へ、泥にまみれて転がり続けるが、反撃の手段は何一つない。一撃かすめるだけで命が飛ぶような絶望的な力差。なすすべなく追い詰められ、背中が巨大な台座にぶつかった。


「ここまでだ。死ね」


死神の鎌のような剣が振り下ろされる直前、胸の中から少女の声が響いた。

「イチカラ! 後ろの台座にある私の本体を抜いて! 早く!」

「えっ、名前……。あ、これ!? うおおおおお!」


本来、選ばれし者しか抜けないはずの伝説の聖剣。しかし、極限の恐怖と、少女を救いたいという下心が混ざり合ったイチカラが手をかけた瞬間、聖剣は凄まじい光を放ち、軽々と引き抜かれた。


「彼女は僕が守るんだぁぁ!!」


イチカラは無意識に剣を突き出した。「失恋一閃ハートブレイク・スラッシュ!!」

閃光が走り、最強を誇ったデュラハンの巨体は鎧ごと木端微塵に粉砕された。霧さえも晴れ渡る一撃に、イチカラは勝利の余韻に浸る。


「……やったよ。君、名前はなんていうの?」

「私はノア。助けてくれてありがとう。でも……」


実体化したノアは、少し困惑した顔でイチカラの背中を見つめた。

「あなたの背中のアザ、凄まじいわね。こんなに大きいのは初めて見たわ。……よっぽど、特別な『業』を背負っているのね」

「えっ、あ、アザが? そんなに凄いことになってるの?」


アザの正体が失恋の蓄積だとは知らないノアは、ただその巨大な紋章に圧倒されていた。だが、彼女はすぐに真剣な顔に戻った。

「案内するわ。私にはずっと、再会を待ち望んでいた『運命の相手』がいるの。あなた、協力してくれるって言ったわよね?」


ノアに導かれ、森の最深部へと進むと、そこには重厚な「伝説の盾」が静かに眠っていた。

「見て、あそこに眠っているのが私の愛する『盾様』よ。私はずっと、彼と一緒にいたかったの」


なんと、聖剣の精霊ノアは、隣に安置されていた伝説の盾に熱烈に惚れていたのだ。

「さあ、私(剣)を盾様の隣に封印して! そうすれば私たちは永遠に一緒よ! お願い、イチカラ!」


可愛い顔で詰め寄られ、断れないイチカラは涙を流しながら、言われるがままに聖剣を盾の横へと突き刺し、再び封印を施した。


「……また……また『便利な人』で終わったぁぁぁぁぁぁ!!!」


森中にイチカラの悲痛な叫びが響き渡る。その背後には、般若のような形相で立つエリザ教官がいたが、絶望のどん底にいる彼はまだ、それにも気づいていなかった。


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