第6話 濁流の試練と、刻まれた烙印
ルナちゃんに強制的に引きずられ、レオがその後をうっとりとした表情で追いかけるという、奇妙な三人旅が始まった。彼らが目指すのは、大陸を分断するかの如く流れる巨大な大河「アルカディア・リバー」である。
対岸へ渡るため、彼らは岸辺に降り立ったが、そこには不穏な空気が漂っていた。停泊しているはずの渡し舟は全て繋がれたまま動く気配がなく、船頭たちは怯えて震えている。
「何やってんのよあんたたち! 勇者様が川を渡りたいって言ってんの! さっさと舟を出さないと、あんたたちを川に放り込むわよ!」
ルナちゃんが冷徹な声を上げると、船小屋の中から一人の女性が現れた。小柄で可愛らしい容姿をしているが、その眼光は鋭く、尋常ではないオーラを放っている。イチカラが地獄の訓練に叩き落とされた勇者育成学校の鬼教官、エリザである。
「……あ、エリザ教官……」
イチカラは凍りついた。学校時代、彼女のスパルタ指導で何度も死にかけたトラウマが蘇る。彼女に目をつけられたら最後、終わりのない筋トレと模擬戦が待っている。イチカラは気配を消し、一歩ずつ、音を立てずに逃げようとした。しかし、エリザはイチカラの気配を逃さなかった。一瞬でイチカラの背後に回り込み、その首根っこを掴み上げた。
「相変わらず根性なしだな、イチカラ。また逃げ出すか? 授業料をドブに捨てるような男の末路、ここで見せてやろうか?」
「ひぇぇぇっ! 殺されるぅぅぅ!!」
エリザの容赦ない言葉にイチカラが絶叫する。エリザによると、川には巨大な「バブルトード」が棲みついており、船を襲い、多くの旅人が犠牲になっているという。
「なら、イチカラ。あんたがその巨大カエルを倒してきなさい。さもなくば、この川に沈んで地獄の訓練をやり直すか、選択しなさい」
ルナちゃんは冷徹に言い放ち、そのままイチカラの背中を濁流の川へ蹴り落とした。
「ルナちゃぁぁぁん!! 僕は泳げなぃぃぃ!!」
イチカラは水面をもがき、瞬く間に濁流に飲み込まれて溺れかけた。見かねたルナちゃんは、仕方なくレオに命じた。
「レオ! あんた、さっさとイチカラを引き上げてきなさい! 邪魔よ!」
「おお、ルナさんの命令! 直ちに行こう!」
レオはキザなポーズを決めてから川へ飛び込み、なんとか息も絶え絶えのイチカラを岸へ引き上げた。
助かった……安堵したのも束の間。川の水面が大きく盛り上がった。
「ゲロォォォォォォォ!!」
上空から巨大なバブルトードが跳躍し、その巨体が生み出した凄まじい波が岸辺の三人(と教官)を襲った。濁流が彼らの服をずぶ濡れにする。
その夜。
冷え込む夜空の下、焚き火のそばで、濡れた麻の服を乾かすイチカラの背中を、エリザは厳しい目で見つめていた。その時、彼女は違和感に気づく。
通常、勇者の体にはその証として傷のようなアザがあるが、イチカラの背中のアザは、拳ほどの異常な大きさに膨れ上がっていたのだ。
「イチカラ……お前、その背中の……」
「へ? なんですかエリザ教官、背中に何か付いてます? 泥とか?」
自分の背中を見ることができないイチカラは、アザの大きさが失恋の痛みと共に変化していることに気づいていなかった。エリザが問い詰めようとしたその時、別の場所で待機していた舟小屋の方から、か細い泣き声が聞こえた。
「お願いです、どうしても渡りたいんです……今日中に向こう岸に行かないと……ダメですか……?」
そこにいたのは、一人の可愛らしい女性だった。彼女は泣きながらエリザに直談判していた。その涙を見た瞬間、イチカラの胸に電流が走る。彼女こそ、自分を守るべき存在ではないか。
「……僕が……僕が行く!! サクラちゃんとは違った形で……今度こそこの手で!!」
イチカラは焚き火で乾いたばかりの服を羽織ると、側にいたレオから無理やり剣を一本借り受けた。
「イチカラ、何を……!?」
レオの言葉も無視し、イチカラは失恋の痛みによる謎のエネルギーで強化された身体能力で、川面を走っていた。巨大カエルへと跳躍し、その剣を一閃した。
「そぉぉぉぉぉい!! 邪魔するなァァ!!」
轟音と共に、巨大カエルは真っ二つに裂け、濁流に沈んでいった。
向こう岸へ渡ったイチカラは、達成感に満ち溢れた笑顔で松明を掲げ、合図を送った。ルナちゃんたちは呆れつつも、船を出した。
(やった……! これで僕も、彼女を守る勇者に……!)
船から降りてくる可愛い女性を迎えようと駆け寄るイチカラ。しかし、女性が駆け寄った先には、別の男が待っていた。
「あなた! 無事でよかった……!」
「お待たせ。すぐに結婚式場へ向かおう」
二人は熱い抱擁を交わす。イチカラの目から、カエルの波よりも激しい涙が溢れ出た。
「……そんな……。彼女も……人のものだったなんてぇぇぇぇ!!!」
大河のほとりに、イチカラの絶望的な叫びが響き渡った。
絶叫するイチカラの元へ、エリザが静かに歩み寄る。
「……イチカラ。やはりお前は、この背中のアザの大きさに相応しい『本物の勇者』にならねばならん」
「へ?」
「私の特製メニューで、その軟弱な精神と体を徹底的に鍛え直してやる。……覚悟はいいな?」
地獄の教官の笑顔に、イチカラはさらなる絶望を感じながら、再び絶叫するのであった。




