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無能な勇者恋をする  作者: ぶーたん


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第5話 黄金の収穫と、黒鉄の激怒

ソノサン王国の片隅、太陽が降り注ぐ広大な農園にイチカラの姿があった。

かつて纏っていた勇者学校の制服は見る影もなくボロ雑巾のようになり、代わりに頑丈な麻の服を着ている。顔には泥がこびりつき、額には汗が光っていた。イチカラは巨大な鍬を持ち上げ、太陽に向かって誇らしげな笑顔を浮かべた。


「ふぅ……いい土だ。このふかふかの土なら、今年も最高の黄金小麦が収穫できそうだぞ! これでサクラちゃんも喜んでくれるはずだ!」


すべては、農家の娘サクラのためだった。

首席勇者レオに恋路を邪魔され、リリィにフラれて傷心で彷徨っていたイチカラを拾ってくれたのがサクラである。彼女はイチカラに温かいご飯を作ってくれ、雨風をしのげる寝床を与えてくれた。

イチカラは朝早くからサクラのために働き、サクラはイチカラのために栄養満点のスープを作る。二人の間には、穏やかで温かい、まるで夫婦のような時間が流れていた。


「イチカラさん、少し休憩しませんか? お水を持ってきました」

「ありがとう、サクラちゃん。サクラちゃんがいてくれるおかげで、僕はまた歩き出せたよ」


泥だらけの顔で笑い合う二人。イチカラにとって、サクラは泥水の中で掴んだ唯一の救いであり、平和な日常そのものだった。


「イチカラさん! 肥料がなくなったから、町で買ってきてもらえますか? メモに書いておきましたので」


サクラに頼まれ、イチカラは意気揚々と町へ向かおうとしていた。彼女に頼られたという事実が、イチカラの心をこれ以上ないほど満たしていた。

メモには「アグロ・スペシャル肥料」「高級腐葉土」「特製有機石灰」と、農業のプロしか知らないような専門的な品名が書かれている。

町の肥料屋のカウンターでそのメモを突き出し、意気揚々と買い物を済ませようとした、その時だった。


「……またあんた? しかも、その格好はなんなのよ。町中が泥臭くなるじゃない」


背後からの殺気と呆れ返った声にイチカラが振り返ると、そこに仁王立ちしているのは、学校時代に実力を見込まれて異例の速さで討伐部隊にスカウトされたルナちゃんだった。


「ルナちゃん!? なんでここに!?」

「なんでって……あんた、魔王討伐はどうしたのよ! 勇者でしょうが! 学校を卒業してから音沙汰ないと思ったら、こんな所で肥料買いにふらふらしてんの!?」


ルナちゃんの怒りが爆発する。魔王の軍勢が刻一刻と迫り、世界が滅亡の危機に瀕している中、勇者が呑気に肥料を買って農作業に勤しんでいるなど、彼女にとっては正気の沙汰ではなかった。怒りのあまり、ルナちゃんの周囲の空気が振動している。


「だって……農業、楽しいし……。サクラちゃんのご飯、おいしいし……」

「この、ド無能勇者があああっ!!」


激怒したルナちゃんがイチカラの首根っこを掴んで振り回していると、そこへ優雅に歩いてくる金髪の男がいた。かつてイチカラを学校一の出来損ないと嘲笑った首席勇者、レオである。レオは学校時代から有名だったルナちゃんの顔を当然知っていたが、ルナちゃんはレオの存在をただの『うっとうしい首席』としか思っておらず、興味がなかった。


「やあ、ルナちゃん。こんなところで出会うとは運命的だね」


レオがキザな笑顔でルナちゃんに近づく。自身のカリスマ性で相手を魅了しようとする、いつものレオの行動だった。しかし、ルナちゃんは冷ややかな、虫ケラを見るような視線をレオに向けた。


「……誰? 泥まみれのイチカラと違って、やけにキザな格好してるけど。邪魔よ、どいて。あんたの顔見てる暇はないの」

「……え?」


首席の勇者である自分が蔑まれたことに、レオは驚きと同時にショックを受け、言葉を失った。これまで女性に冷たくされたことなど一度もない。その冷たくあしらわれた瞬間、レオの胸の中で、これまで感じたことのない激しい衝動が走り抜けた。


(な、なんだ……この胸の高鳴りは……? 誰もが僕の美しさに平伏し、跪く中、この女は……僕を一瞬で『無価値』と切り捨てた……! こ、これこそが真の強者……! 素晴らしい……!! 僕の愛を受け止めるにふさわしいのは、彼女しかいない……!!)


レオの表情が、驚愕から狂気じみた歓喜へと変わる。キザな笑顔は消え去り、ルナちゃんを見つめる眼差しは、獲物を狙う獣のような、しかしうっとりとしたものに変わっていた。


「とにかく、あんたは連れて帰るわ! 魔王討伐に行くわよ!」


ルナちゃんはイチカラの腕を掴み、強引に町から引きずり出そうとする。

しかし、イチカラは地面にへばりつき、必死に抵抗した。農業という平和な日常を失いたくない一心だった。


「嫌だ! 僕は農業をやるんだ! 肥料を持っていかなきゃ、サクラちゃんが困る! 肥料、肥料ォォォ!!」

「このクソ鈍間! サクラとかいう女はどうでもいいのよ! あんたにはもっと大きな使命があるでしょうが!」


二人が押し問答を繰り広げているのを、離れた場所から見ていたサクラはショックを受けて立ち尽くしていた。町に肥料を買いに行ったイチカラが、綺麗な女性と取っ組み合いの喧嘩をしているように見えたからだ。


「……イチカラさん? ……あんなに綺麗な女の子と……仲良さそうに……」


サクラの目から涙がこぼれ落ちる。イチカラが自分に見せていた優しさは、自分だけのものではなかったのか。


「……もう! イチカラさんの浮気者!!」


そう叫んで、サクラは手から肥料のメモを落とし、家の中へ走り去ってしまった。


「サ、サクラちゃん!? 待って、違うんだ! これは……その……」

「いいから行くわよ!」


ルナちゃんに引きずられながら、イチカラは落とした肥料のメモに手を伸ばし、ただただ絶叫した。


「ぎにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


黄金色の収穫を夢見た農園は、一瞬にしてイチカラの絶望の地へと変わった。

無能な勇者イチカラの旅は、新たな失恋と共にまたしても強制続行となるのであった。

そしてレオは、ルナちゃんの背中をうっとりとした表情で見つめながら、彼女を落とすべく、その足取りを追うのであった。


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