第4話 涙のサーカスと、希望の迷子花
ソノニ王国を追われるように去ったイチカラが次に流れ着いたのは、移動式サーカス団『ソノニカル・サーカス』だった。
彼の目的はただ一つ。座長の娘であり、空中ブランコの看板アイドル、ミナである。活発なポニーテールを揺らし、レオタード姿で宙を舞う彼女に、イチカラは瞬時に心を奪われた。
「見ていてミナちゃん! 僕の華麗な技が、君のハートを射抜いてみせる!」
イチカラは花形演目「空中玉乗りリンゴ刺し」に強引に志願した。巨大な玉の上でバランスを取りながら、客席の少女が掲げたリンゴを、投げた剣で次々と貫くという神業だ。
だが、本番直前。イチカラは舞台裏で見てしまった。ミナがイケメンの猛獣使いと熱い抱擁を交わしている現場を。
「……え?」
絶望が頭を白く染める。
ショーが始まっても、イチカラの足元はおぼつかない。巨大な玉の上でフラついた瞬間、投げ放った剣はリンゴを大きく逸れ、特等席でふんぞり返っていた座長の口に咥えていた葉巻を真っ二つに断ち割り、そのまま座長の襟元を背後の豪華な椅子の背もたれごと深く射抜いた。
「ひっ、ひぃぃぃ!?」
座長は椅子に縫い付けられたまま、ひっくり返って亀のようにジタバタと無様な姿を晒した。観客は大パニックだ。
ショーは大惨事となり、イチカラはその日のうちに隣国ソノサン王国の国境付近で叩き出された。
「二度とその面見せるな! この暗殺者野郎!!」
泥だらけの姿でソノサン王国の王都へ辿り着いたイチカラを待っていたのは、さらなる屈辱だった。
「おや、見覚えのある惨めな背中だと思ったら……イチカラじゃないか」
振り返ると、そこには眩いばかりの金髪をなびかせ、腰に二本の聖剣を下げた男が立っていた。かつて勇者育成学校で同期であり、圧倒的な実力で首席卒業を果たした男、レオである。
「レ、レオ……」
「ハッ、またお前か。学校一の出来損ない。あの時、お前を学校から追い出して正解だったようだな。卒業しても無能のままとは。今は乞食の修行にでも励んでいるのか?」
レオの冷ややかな嘲笑に、周囲の貴族や取り巻きの女たちがクスクスと笑い声を漏らす。
「なんだい、その目は。悔しいのか? ならば首席の僕に一太刀でも浴びせてみせろよ」
イチカラは怒りに震え、無我夢中で殴りかかった。だが、レオは一歩も動かず、優雅に足を一伸しただけだった。
「おっと」
「うわああかっ!?」
足をかけられたイチカラは、無様に派手な音を立てて泥水の中へ転倒した。顔中に泥を浴び、笑いものになるイチカラ。レオは汚いものを見るような目で一瞥し、去っていった。
「うっ、うう……ひっ、ひっ……」
イチカラは情けなさと悔しさで顔をぐしゃぐしゃにしながら、その場から逃げ出した。雨が降り出した街角を、前も見えず無我夢中で走る。
「……あうっ!?」
角を曲がったところで、誰かと激しくぶつかった。
衝撃で尻餅をついたイチカラの目の前にいたのは、同じように雨に打たれ、カゴいっぱいの花を散らして泣いている少女だった。ふんわりとしたおさげ髪が可憐な、花屋の娘リリィだった。
「ご、ごめんなさい……。あ、あなたも……泣いているの?」
「……え?」
二人は雨宿りをしながら、お互いの不幸を語り合った。イチカラが「世界で一番惨めな男だ」と自虐すると、リリィは優しく自分のハンカチで彼の顔の泥を拭った。
「そんなことないわ。あなたは……とても優しい目をしているもの」
その瞬間、イチカラの心に新しい春が訪れた。
「リリィちゃん、どうして泣いていたの? 僕にできることがあれば何でも言って!」
「実は……注文を受けている、とても高貴な方のために『幻の花・ムーンティア』を用意しなきゃいけないの。でも、あれは魔物の住む『叫びの森』にしか咲かなくて……。どうしても用意できなくて……申し訳なくて……。」
リリィの震える肩を見て、イチカラの正義感が(下心と共に)爆発した。
「僕が取ってくる! リリィちゃんの笑顔は、僕が守るんだ!」
武器も持たず、イチカラは単身で『叫びの森』へ突っ込んだ。
立ち塞がる魔物たちの爪が、イチカラの肌を切り裂く。剣も何もない。だが、リリィの優しさを思い出すたび、彼の足は前へと進んだ。
森の奥、淡く輝く『ムーンティア』を見つけたその時、巨大な森の守護者が姿を現した。
「邪魔だぁぁぁ! どけぇぇぇ!!」
限界突破。リリィの涙を止めたいという純粋な想いが、イチカラの筋肉を、神経を、極限まで加速させる。
素手で魔物の牙を受け止め、泥臭く、執念だけでその巨体をなぎ倒した。
「やった……。取ったぞ、リリィちゃん……!」
満身創痍で花屋へ戻ったイチカラ。
「リリィちゃん! ほら、花だよ!」
「ああっ! ムーンティア! ありがとう、本当にありがとうイチカラさん!」
リリィが感激してイチカラの手を取る。今度こそ報われる。そう確信した時、背後から聞き慣れた、忌々しい声が響いた。
「フッ、意外と早かったじゃないか。リリィ、用意できたようだな」
現れたのは、レオだった。リリィは目に見えて怯え、震える手でムーンティアをレオに差し出した。
「え……? なんでレオがここに?」
「ははは! まさか、出来損ないのお前が、この僕がリリィに注文しておいた花を命懸けで持ってくるなんてな! 相変わらず、無駄な努力だけは首席レベルのようだ」
実は、レオは自分自身の部屋を飾るため、あるいは自分の高貴さを誇示するために、希少なムーンティアを花屋に発注していただけだった。リリィが泣いていたのは、レオのような雲の上の存在からの「絶対的な注文」に応えられない申し訳なさと、店としての責任感からだったのだ。
イチカラが命を懸けて守ったのは、自分を嘲笑ったライバルが「日常を彩るため」だけに頼んだ、贅沢品に過ぎなかった。
「……リリィちゃん、これ、レオのために……?」
「ごめんなさい……。でも、レオ様は私たちの憧れの勇者様ですもの。こんなに素敵な花を届けてくれたイチカラさんにも感謝してるけど……やっぱり、これを受け取るのはレオ様なの」
レオはリリィの腰を優雅に抱き寄せ、当然の権利を受け取るように微笑んだ。
「ご苦労だったな、イチカラ。おかげで僕の部屋が華やかになる。リリィ、行こうか。お礼に僕の部屋でティータイムでもどうだい?」
「はい……レオ様! 喜んで!」
——パリン。
イチカラのガラスのハートが、粉々に砕け散った。
「ぎにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ソノサン王国の冷たい石畳の上で、イチカラの絶叫が虚しく響き渡る。
無能な勇者イチカラの旅は、いまだ報われる兆しすら見えないのであった。




