第18話 勇者の覚醒とシオンの祈り
アースの手記に記された真実が白日の下に晒され、悪徳貴族たちは投獄された。だが、一つの事件を解決した代償は、俺の体に重くのしかかっていた。
「……また、ここか」
目覚めたのは、見慣れた教会の天井だった。無理がたたり、俺は再び休養を余儀なくされていた。
数日が過ぎ、ようやく体力が戻ってきた俺は、鈍った体を解そうと教会の裏庭へ散歩に出た。
春の陽光が降り注ぐ生け垣の向こうから、賑やかな話し声が聞こえてくる。教会の聖女たちのようだ。聞き覚えのある話題に、俺は思わず足を止めた。
「ちょっとシオン、いい加減に勇者様とお話しなさいよ」
「そうよ。あのイチカラって子、アース様の事件を解決した英雄じゃない」
シオン。その響きに心臓が跳ねる。あの金髪の彼女のことだろうか。
「でも……私……恥ずかしくて。あんなに真っ直ぐ見つめられたら、何を話せばいいか……」
戸惑ったような、それでいて鈴を転がすような愛らしい声。
「好きなら好きって言いなよ。あの子、もうすぐ旅に出ちゃうかもしれないよ?」
「もう……分かりました。花を摘んできます、お供えの分を!」
慌ててその場を去る、金糸のような髪の残像。
木陰に隠れていた俺は、顔が火を吹くほど赤くなるのを感じた。
(あの人の名前……シオンっていうのか……)
初めて知った彼女の名前。そして、彼女が俺に対して抱いていた意外な本音。俺は舞い上がるような心地で、柄にもなく足取り軽く彼女の向かった花畑へと歩き出した。
だが、その幸福感は一瞬にして凍りついた。
突如として、空が毒々しい紫色に染まった。
どろりと重く、吐き気を催すような圧迫感。魔王の瘴気だ。
「――っ、シオン!」
嫌な予感がして走り出す。花畑の真ん中で、彼女が糸の切れた人形のように倒れ伏していた。
「シオン! しっかりしろ!」
駆け寄り、彼女を抱き起こす。だが、その白い肌はすでに紫色の斑点に蝕まれ始めていた。
教会の医師が駆けつけ、絶望的な診断を下す。
「勇者様の体であれば耐えられますが、一般の人では……この濃度の瘴気を浴びれば、三日と持ちません」
判明したのは、貴族たちのさらなる罪だった。彼らが魔王と取引していたのは、地位のためだけではない。魔王が王国を瘴気で包む際、自分たちだけが「保護」を受け、生き残るための契約だったのだ。盾となる貴族がいなくなった今、王国は魔王の直接的な脅威に晒されていた。
「俺が看病する。一秒だって、彼女のそばを離れない」
俺は自分の療養など投げ打ち、不眠不休でシオンの看病に当たった。祈るように彼女の手を握り、自分の魔力を分け与えようと必死に抗う。
二日目の夜。かろうじて意識を取り戻したシオンが、微かな力で俺の手を握り返した。
「……イチカラ……様」
「喋るな、今、薬を持ってくるから」
「いいえ……聞いてください。私のことより……自分の体のことを、一番にしてください。あなたが……あなたがいないと、世界が平和にならないから……」
シオンは弱々しく微笑むと、そのまま再び深い闇の中へと落ちていった。
「――シオンッ!!」
届かない叫び。自分の無力さへの絶望。
だがその時、シオンの祈りが俺の魂の奥底に触れた。
背中が、焼けるように熱い。
皮膚の下で何かが蠢き、激しい光を放つ。燃えるような熱量とともに、俺の全身に圧倒的な力が満ちていくのが分かった。
鏡を見ずとも確信できた。俺の背には、真の勇者だけに現れる「聖印」が刻まれていた。
俺は部屋の隅に置かれた聖剣を手に取った。
絶望は、もうない。あるのは、一刻も早く元凶を断つという、冷徹なまでの決意だけだ。
「待ってろシオン。……必ず、助ける」
イチカラは振り返ることなく教会を飛び出し、単身、瘴気の源である魔王城へと駆け出した。




