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無能な勇者恋をする  作者: ぶーたん


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第14話 精霊の洗礼! 逆三角形への遠き道

霧が立ち込める試練の森。その中心で、丸顔の精霊・曼知漢マンチカンが、短い足を一歩前へと踏み出した。

「……さて。お前たちの魂が、勇者の器に相応しいか見極めてやろう」


曼知漢の姿が、陽炎のようにゆらりと揺れた。

「っ!? 消えた!?」

ルナが剣を構えた瞬間、曼知漢は物理的な距離を無視し、ルナの胸元を、レオの首筋を、そしてイチカラの背中を、文字通り「すうっ」と透過するように通り抜けた。


その瞬間、世界から色が消えた。

視界が歪み、イチカラが目を開けると、そこは無限に広がる真っ白な空間だった。スターや仲間の姿はなく、ただ自分一人が浮遊しているような感覚。


曼知漢の声が、どこからともなく響く。

「これより、己の『信念』を証明せよ。鏡に映るのは、お前たちの魂の最深部。その闇を越え、光を掴み取った者のみに、アザの真なる覚醒を許そう」


まず、レオの精神世界に変化が訪れた。

鏡の中に映し出されたのは、老いさらばえ、自慢の金髪も抜け落ち、醜い皺を刻んだレオ自身の姿だった。「美学」を何よりも尊ぶ彼にとって、それは死よりも恐ろしい屈辱。

しかし、レオは首筋に刻まれた不完全なアザをなぞり、不敵に笑った。

「フッ……。たとえ外見が朽ちようとも、僕の剣筋に宿る美しさは魂に刻まれている。僕は、僕であることを決してやめないよ」

その誇りが引き金となり、レオの首筋のアザが黄金の輝きと共に、鋭い逆三角形へと変形した。


続いて、ルナの試練。

そこには、一族の誇りを守れず、無様に敗北して嘲笑される彼女の姿があった。

「……私は、天才じゃない。でも、泥を啜ってでも、あいつらと一緒に前に進むって決めたのよ!」

迷いを断ち切ったルナが叫ぶと、胸元のアザが呼応するように脈動し、正当なる逆三角形へと覚醒した。


そして――最後に残ったのは、イチカラだった。


イチカラの鏡に映し出されたのは、あまりにも凄まじい「極楽浄土」だった。

「……はわわわわわ!? こ、ここは天国ですか!?」

サリナに膝枕をされ、背後からはエリザ教官が耳元で甘い言葉を囁き、イザベラさえもがメイド服で「ご主人様」と傅いている。煩悩と欲望の煮凝りのような、完璧なハーレム世界。


精神世界の俯瞰からそれを見ていた曼知漢は、勝ち誇ったように呟いた。

「フン、所詮は欲にまみれた俗物よ。この心地よい虚構の幸福に溺れ、魂を吸い尽くされて――」


「…………。違う」


不意に、鏡の中のイチカラが、真顔で呟いた。

「……え?」

曼知漢が耳を疑う。


「……これ、全部偽物だ。だって、サリナさんはこんなに優しくない。もっと冷たくて、スターとイチャイチャして、僕のことなんてゴミを見るような目で見て……。教官だって、僕の顔を見れば反射的に蹴ってくるはずだ!」


イチカラは、鼻血を垂らしながら、ハーレム美女たちを突き飛ばした。

「……僕は! 誰かに与えられた幸せなんていらない! 自分の手で、血と汗と鼻水を流して、サリナさんの信頼を勝ち取って……それで、本気で、本当に本気で結婚したいんだよぉぉぉぉ!!」


ぐにゃり、と精神世界が歪み始める。

曼知漢は驚愕した。本来、精神世界の試練は「信念」という強固な軸を持つ者だけが突破できる。だが、イチカラには信念など一ミリもない。

あるのは、底なしの、制御不能な、あまりにも巨大な「欲望」だけ。


「な、なんだこのプレッシャーは!? 信念がないから、試練のロジックが通用しない……!? 精霊である私の術が、ただの『欲情』に書き換えられていくというのか!?」


イチカラの背中のアザが、バチバチと黒い稲妻を放ちながら明滅する。

「ぬ、ぬぉぉぉぉ! 逆三角形! 逆三角形になれぇぇ! 僕の欲望を形にしろぉぉぉ!」


しかし、アザは激しく抵抗するように震え、形を変えることはなかった。

イチカラに「正統な勇者の覚悟」が欠けているためだ。だが、その代わりに、アザの周囲には禍々しい「欲望の赤」が混ざり合い、未だかつてない不安定な魔力が溢れ出す。


「……ぐ、はっ!!」

イチカラが目を見開いた瞬間、精神世界が弾け飛んだ。


元の森の広場。

首筋に逆三角形を輝かせるレオ。胸元に完成したアザを宿すルナ。

二人の覚醒をよそに、イチカラだけは、地面に突っ伏したまま動かない。その背中のアザは、元の不完全な形のままだった。


「……失敗、だな」

曼知漢が、震える足を隠しながら冷たく言い放った。

「信念を持つ者のみが、勇者の門を潜れる。お前にあるのは、底知れぬ欲望という名の泥沼だけだ。……お前は勇者にはなれん」


イチカラは、震える手で自分の背中をなぞる。覚醒したのは、ルナとレオだけ。

「……そんな……。せっかく、あんなにエロい誘惑に勝ったのに……」


イチカラの絶望に追い打ちをかけるように、森の奥から、曼知漢さえもが戦慄するほどの、不吉な笑い声が響き渡った。


「くくく……。それでいい。それでいいのだ、イチカラよ」


霧の向こうから現れたのは、実体を持たない黒い影。

魔王アスタロトの思念体だった。

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