16.訪問者
イザイが口を開く前にユスラの緊張が解かれた。
ふっと我に返って右手を見る。セリの骨ばった手が、ぎゅっと繋がれていたのだ。
セリはにっこり笑ってイザイに頭を下げた。
「はじめましてイザイさん。無駄足を運んでいただきありがとうございます。」
セリの挑発に一番驚いたのはユスラだった。おかげで肩の力が抜けたが、別の緊張が走る。
おそるおそるイザイを見上げると、いつも冷静沈着な彼もさすがに衝撃を受けているようだった。
「その容姿でそのようなことを…。」
イザイはユスラにどうなっているのかと問いただしたかったが、ここで聖女の器の話をするべきではないと自分を律した。
「ユスラ、我々は落ち着いた場所で話をするべきです。明日、家へうかがっても?」
「…はい。お待ちしております。」
「では、明朝10の刻に伺います。彼にも同席願いますからそのつもりで。」
イザイは露店の髪飾りを冷たく一瞥すると、無言のまま引き返していった。
コツコツと、革靴の踵が石畳に響く。この辺りでは聞き慣れない音が、ユスラの胸に楔を刺すようだった。
「大丈夫か?」
イザイが去ったあと、最初に口を開いたのはハンスだった。
「はい。少し、困惑してしまって。」
「大司教補佐って言ってたけど、んな大物がわざわざファヴェルに?一応確認するが、あんたら咎人じゃないよな。」
尋ねたものの、そうは思っていないハンスの口ぶりにユスラは少しだけ安心した。彼になら、少しだけ事情を話してもいいのかもしれない。
「神に誓って違います。私たちの生活の援助はすべてロザリオ大聖堂から出ています。定期的に教会から遣いが来るとは聞いていましたが…。」
「なるほど。金を出してるんだからお行儀よくしてろってことか。」
ハンスはそれ以上のことは聞かなかった。そんな配慮に気付く余裕もないほど、ユスラは混乱していた。
聖女の器のその後を知るためとはいえ、まさか大司教補佐が来るなんて。教会で何か動きがあったのだろうか?今更、セリを引き戻しにきたらどうしよう。
手が震えているのに、止められない。落ち着け、落ち着け。自分がしっかりしなければ、きっとセリも不安を感じてしまう。そんなユスラの背中を、ハンスが軽くポンと叩いた。
「今日はもう帰った方がいい。家まで送っていく。」
せっかく、花祭りを楽しんでいたのにこんなことになってしまっては申し訳ない。せめてハンスだけは残って楽しんでほしい。ユスラは首を横にふった。
「いえ、1人で帰れますから。」
「なら僕も帰るよ。」
セリが出店から身を乗り出したが、ハンスはそれを制止した。
「セリ、お前はここに残れ。」
「えっ、いいよ。今日は早めに店じまいしてもいいかなって思ってたし。」
事の成りゆきを見守っていたチェルシーが、ユスラにそうしなよとと声をかける。けれどハンスは頑なに首を横にふった。
「ダメだ。セリ、引き受けた仕事はきっちり最後までやり通せ。ユスラは病気やケガをしたわけじゃない。チェルシーが良くても、お前がここを放り出して帰れば周囲はよくは思わない。今のお前を見て、売り子に雇いたいと思ってるやつがそれなりにいるはずだ。この先仕事をしていくつもりがあるなら信用を稼げ。」
身ひとつで独立してから、誰にも頼らずどこにも雇われずに働いてきたハンスの言葉は重かった。
「…分かった。ユスラのこと、お願いします。」
セリは眉間に皺をよせ、それでもハンスから目をそらさずにそう言って頭を下げた。
「ありがとうございます。」
帰り道、花祭の喧騒からすっかり離れた場所までくると、ユスラはハンスに礼を述べた。
「なんだよ急に。別に、あんただけ先に帰したって、俺もこのまま家に帰るだけだ。気にすんな。」
「いえ、それだけではなくて。セリをあんなふうに導いてくださったこと、感謝しています。」
「導くって…大げさすぎるだろ。」
照れ隠しに「これだから教会育ちは」と悪づくハンスに、ユスラはふふっと笑いこぼした。さっきまでの緊張が嘘のように溶けていく。
「大げさなんかじゃありませんよ。残念ながら、私ではあんなふうに教えることができませんから。」
「いつも思うけどさ、大事にしてんだな、あいつのこと。」
「そうですね。精一杯、お守りしなければと思っています。」
「別にあいつは、んなこと願ってないと思うけど。」
「それでも、出来る限りのことはしたいのです。私の自己満足かもしれませんけれど。」
―あとのことは頼みましたよ。
聖女セレストが遺した言葉の意味を、ユスラはずっと考えてきた。
何をして、何をしなければ最善なのか。セレストがこの世を去った以上永遠にわからない。それでも、自分の全てをかけて支えると決めたのだ。
長い眠りにつく前の、すこし寂しそうなセレストの表情を思い出していると、ハンスが続けた。
「俺は?」
「え?」
「アンタにとって、俺はどんな風にうつってる?」
「えっと…とても頼りになる方で、立派な方だと、いつも感謝しています。」
「感謝、ねぇ。」
素直な気持ちを伝えたが、ハンスの表情は複雑そうだった。
「あんたとセリってさ、友達にも恋人にも夫婦にも姉弟にも見えないし。世話役って聞いてもしっくりこないし。あいつはやたらと顔がいいから、あんたはそれにつられてるのかと思えば、見てたら全然違うし。2人の関係が全然見えなくて、最初はすげぇ訳アリがきたと思ってたけど。」
「ええ、そう思われているでしょうに何も聞いてこないので、ずいぶんありがたかったです。」
「何があってここに流れ着いたのかは知らないけど、あんたたらには悪意がまったくなかったからな。
客が今何を求めて、どんなものを提供したら喜ばれるのか。そんなことばっか考えてると、どうもそういうのに敏感になってね。」
詳しい事情はしらないが、これまでのハンスの苦労を察してユスラは黙って頷いた。
「俺はあんたらのことが好きだ。この町じゃ、ポーターの仕事なんて軽くみて誰も感謝すらしない。
代わりなんていくらでもいると思ってるんだよ。金さえ払えばなんでもやる便利屋。まあ実際そうだし、取引先として対等に扱われたことはない。
けどあんたは、毎回ちゃんと感謝の気持ちを示してくれる。俺が将来船をもって商会を立ち上げたいと言った時も、笑わずすごいと言ってくれた。そういうのってさ、意外と生きてく糧になってたりするんじゃないかと思ったよ。もちろん先立つものが一番大事だけど。」
そう語るハンスの顔は優しかった。
「分かります。私たちには、飢えをしのぐためのパンとは別に、心が死なないための糧も必要なのです。私にとって、長らくそれは信仰でしたが。」
今は、どうだろうか。街をあげて熱心に聖女を信仰しているのに、聖女ではなくなったセリをあっさり切り捨てた教会に対する不信感は今も根強く残っている。それでも、住まいと生活資金を用意してもらっているのだから文句は言えない。言わないけれど、信仰は揺らぐ。
「今は?」
「わかりません。ただ、セリが穏やかに生きてくれればと思っています。」
答えはいつだってそれだけだ。セレストのために、セリのために。
取るに足らない、「予定外」だったちっぽけな自分をひとりの人間にしてくれた人に、出来ることがあるならなんでもしてあげたい。程度の差こそあれ、きっとハンスも同じなのだろう。
誰かに必要とされる、感謝される。死なないために必要なことではないが、生きていく上ではとても大事なことだ。
「あんたがセリを支えたいと思ってるように、俺はあんたを支えたいと思ってる。」
わずかに甘い雰囲気をはらんで、ハンスの声がユスラの耳の奥で震えた。
それは一体、どういう意味で?
ユスラは顔をあげてハンスを見つめたが、彼は静かに笑っているだけだった。
「ま、今はここまでだな。」
よくわからないが、彼の中では納得したのか解決したのだろう。ならば無理に問いただすこともないかと、ユスラは前を向いた。気付けば石段を登り切っていた。
「明日、俺も顔を出した方がいいか?午前中なら急ぎの配達はないから、来れるけど。」
玄関まで送り届けてくれたハンスにそう聞かれて、ユスラは少しだけ間を置いた。
「いえ、大丈夫です。ちゃんとお話してみます。なので、もしよければ次に会った時に話を聞いてもらえますか?」
「もちろん。」
「そういう方がいてくれると思えるだけで、とても心強いです。」
ふわり。花のように笑うユスラに、思わずハンスの手が伸びた。そっと頬に触れた手は、とても温かい。
「何かあれば1番に俺を頼れ。何もなくても。」
「ありがとうございます。」
名残惜しそうに手を離すと、ハンスは岬を後にした。
ユスラは手を洗うとエプロンを締め、夕食の支度にとりかかった。
セリが帰ってきたらすぐに温かいものが食べられるように。まずはきちんと食べて、よく眠り、明日に備えようと思いながら。
いつも読んでくださってありがとうございます。
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物語も折り返し地点に入りましたので、最後まで丁寧に書いていきたいと思います!
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