第37話「仲間がいた」
お読みいただきありがとうございます。三田の紹介で、人間創作の関係者が集まる場所へ行きました。小説家・長谷、画家の女性、弁護士——それぞれが別の理由で続けている人間たちと、初めて顔を合わせた夜の話です。
スタジオのオーナー、三田が言ったのは練習が終わった後のことだった。
「直樹、今週の土曜日空いてるか」
「ライブはないです」
「だったらちょっと顔を出してほしい場所がある」と三田は言った。「法案のことで、人間創作の関係者が集まるらしい。ミュージシャンだけじゃなくて、画家や小説家も来るとか。弁護士も一人いるとか聞いた。難しい話をするわけじゃなくて、とにかく顔を合わせようという感じらしいけど。俺も行こうと思ってて」
直樹は少し考えた。「行きます」と言った。
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土曜の夕方、場所は三田のスタジオから歩いて五分のギャラリーだった。
小さなギャラリーだった。壁に絵が掛かっていた。人間の手で描いたものだとわかった。筆の跡が残っていた。AIが生成した画像には出ない、不均一な線の密度があった。細いところと太いところが混在していて、その揺れが絵の中に残っていた。完璧ではなかった。それでも引っかかりがあった。引っかかりがあるから、目が止まった。
中に十数人いた。三田が何人かに声をかけた。直樹は少し離れたところに立って、顔を見た。年齢がばらけていた。二十代が何人か、四十代から六十代も何人かいた。男女の比率も半々くらいだった。ミュージシャンだけでなく、絵を描く人間、文字を書く人間の顔があった。
横に立った年配の男が話しかけてきた。「初めて来たか」と言った。
「そうです」
「俺は小説を書いてる。長谷といいます。もう四十年やってる」と男は言った。背が低くて、髪が白かった。
「ミュージシャンです。直樹といいます」
「知ってる。三田から聞いた」と長谷は言った。「聞いてた範囲では、月に一回小さな箱でやってるらしいな」
「そうです」
「続けてるんだな」
「続けています」と直樹は言った。
「それだけで十分だ」と長谷は言った。それだけ言って、部屋の向こうに目をやった。
「四十年、やめなかったのはなぜですか」と直樹は聞いた。
長谷がこちらを向いた。「やめる理由がなかったから、それだけだ」と言った。「金にならなくなっても、読む人間が減っても、AIの方がうまいと言われるようになっても。やめる理由が来なかった」
「来なかった」
「こっちが探しに行かなければ、来ない」と長谷は言った。「やめないために努力する、という考え方が俺にはなかった。ただ書いていたら、四十年経っていた」
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しばらくして、全員が椅子を持ち寄った。主催者らしき女性が立った。三十代に見えた。後で画家だと知った。
「今日は特に決まった議題はありません。状況を共有して、それぞれが考えるきっかけになればと思っています」
話が始まった。
法案が委員会を通過すれば、来月には本会議に上程される見込みだという話が出た。許可審査の基準についての新しい続報も出ていた。賛成派が提出した三兆円の試算についての批判的な分析記事を読んできた人間がいて、その内容を話した。試算の根拠となる計算式には、「人間の創作活動にかかる平均時間」という数値が使われていて、その数値の出所が不明瞭だということだった。
直樹はその話を聞きながら、前夜に調べた議事録の内容と照らし合わせた。自分が感じていた疑問を、同じように感じていた人間がここにいた。
弁護士の女性が発言した。四十代で、ものの言い方が正確だった。「この法案の問題は、許可制の設計そのものにあります。審査基準がAIの評価指標に依拠している以上、その指標が測れないものは存在しないことになる。法的な問題として、それは基本的な表現の自由に抵触する可能性がある。ただし、それを証明するには当事者の証言が必要です」
「俺は続けるだけだ」と長谷が言った。静かな声だった。「書き続ける。それだけが俺にできることだ。ただ、法案が通ったら書いたものを発表する場がなくなる。それだけが問題だ」
画家の女性が「そうね」と言った。「描き続けることと、それを誰かに見せられることは別の話だから」
「見せる場所がなくなったとき、描くことに意味があるかどうかを、誰かに決められたくない」と別の人間が言った。若い女性だった。直樹は見たことのない顔だった。
直樹は話を聞きながら、ここにいる全員がそれぞれ別の理由で続けているということを確認した。長谷は「やめる理由が来なかった」と言った。画家の女性は「描くことと見せることは別の話」と言った。若い女性は「誰かに決められたくない」と言った。理由がばらけていた。それでも全員が、続けていた。前の転生でカセン村の宴のことを思い出した。あのとき直人は「目的のない時間」が苦手だと思っていた。今夜もそういう集まりに近かった。ただ今の直樹には、苦手だとは思えなかった。
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夕方から夜になった頃、誰かがギターを取り出した。若い男だった。
「一曲弾いていいか」と言った。
誰も止めなかった。弾き始めた。うまくはなかった。音がところどころ転んだ。それでも止まらなかった。一曲弾ききった。
拍手が起きた。小さな場所の拍手だった。
別の人間が「俺も」と言って次を弾いた。また別の人間が続いた。順番に弾くような流れになった。
直樹も弾いた。
自分一人でライブハウスで弾くときとは違う感覚だった。客として聞く人間がいるのではなく、同じ場所に同じように何かを作ってきた人間がいる。その前で弾くのは、別の種類の緊張だった。
弾いた後、横で聞いていた人間の顔が見えた。長谷が目を細めていた。画家の女性が頷いた。最初に弾いた若い男が少し前のめりになって聞いていた。
「さっきのはどういう曲だ」と長谷が聞いた。
「自分で書いた曲です」
「そうか」と長谷は言った。それだけだった。少し間を置いてから「書いた人間の顔が見えた」と言った。
直樹はその言葉を聞いた。前世でカールが三日目の朝、絵を持ってきたときの感覚に似ていた。意図が届いた、という感覚だった。言葉が届くのと、何かが届くのは別のことだ。
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夜が深くなって、集まりが終わった。
帰り道、三田と二人で歩いた。
「どうだった」と三田が聞いた。
「仲間がいるとわかりました」と直樹は言った。
「そうだよな。一人でやってると、自分だけが変なことをしてる気になる」
「その感覚はなかったです」と直樹は言った。「ただ、自分だけが戦っているわけではないとわかった。それは違う」
三田が「それは大事だ」と言った。
直樹は歩きながら、今夜の長谷の言葉を思い返した。「書いた人間の顔が見えた」。うまくない演奏だったが、長谷にはそれが届いていた。完璧に整ったAIの音楽には顔がない。誰かが作ったという痕跡がない。顔が見えるのは、人間が作ったものだけだ。
今夜の集まりに来た人間たちは、それぞれの形で何かを届け続けていた。法案に対抗する手段を話し合うより先に、ただ続けていた。続けることが、すでに答えになっていた。
前の転生でも、カセン村に帰ったとき、自分が動いた結果として農地が広がっていた。自分は頼んでいなかった。動いた余波が残っていた。今夜も同じ感覚があった。一人ひとりが続けることの余波が、この街のどこかに届いている。
弁護士の女性が「当事者の証言が必要だ」と言っていた。その言葉が歩きながら戻ってきた。長谷の「やめる理由が来なかった」という言葉も戻ってきた。どちらも同じことを別の言い方で言っている気がした。続けているということが、すでに一つの答えだ。それを人の前で話すことができるなら、話す意味がある。
視界の右上を確認した。70.00%。変わらない。ただ、今夜は何かが少し違った。一人ではないということが、はっきりした夜だった。
次話:第38話「下手な演奏が、子どもを泣かせた」
普通のライブの夜に、想定していなかったことが起きます。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!




