第36話「法案の賛成派と、もう一度話した」
お読みいただきありがとうございます。翌日、ロビイスト・藤岡がライブハウスを訪ねてきました。「許可制」「有識者委員会」「AIによる客観的評価データを参考に」——言葉は丁寧でしたが、前世のコンサルタントとして、その構造がどういうものかは直樹にはわかりました。
朝、壁のニュースパネルに法案の続報が流れていた。
「人間創作規制法案、委員会審議三日目。賛成派が社会的コスト試算を提出」。年間三兆円のコストが非効率な人間創作活動から発生している、という試算だった。直樹はその数字を見た。三兆円の根拠はどこにあるのか、記事を読んでも出てこなかった。ただ、数字があると人はそれを信じやすい。前世でコンサルタントとして働いていたとき、自分もそういう数字を使っていた。結論を先に決めて、それを支持するデータを並べる。数字は答えを出さない。人間が答えを先に持って、数字がそれを補強する。あのとき自分は悪意を持っていなかった。効率的だと思っていた。
朝食を食べて、スタジオで午前中を過ごした。三曲目の入りを練習した。直し切れなかった。その日の夕方、ライブハウスに向かった。
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約束はしていなかった。それでも男は来た。
ライブハウスの開演前の時間に、昨日と同じ若い男が現れた。今日は別の男を一人連れていた。四十代で、整った身なりをした人間だった。
「昨日は突然失礼しました。改めてご挨拶に参りました。こちらは弊社の上の者で、藤岡と申します」
若い男が紹介した。河合がカウンターから「また来たのか」と顔を出した。
「話を聞きます」と直樹は言った。椅子を四脚並べた。河合は奥に引いたが、耳はこちらに向いているとわかった。
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藤岡が名刺を差し出した。企業と行政をつなぐ立場の肩書きが書いてあった。
「法案の政策調整に関わっています。改めてご説明させてください」
「どうぞ」
「人間による商業的な創作活動に許可制を導入します。許可の審査では、社会的意義の証明が求められます。証明できた場合は継続が認められ、そうでない場合は商業活動が制限されます」
「審査基準を決めるのは誰ですか」
「有識者委員会です。ただし審査指標の骨格にはAIによる客観的評価データを参考にします」
「参考にする、というのはどういう意味ですか」
藤岡が少し間を置いた。「AIの評価モデルが出す数値を審査の参照基準として使います。それに準じた形で委員会が最終判断します」
直樹はその言葉を聞いた。「参考にする」という表現の意味がわかった。AIが高い評価を出せないものは審査を通らない、ということだ。人間の創作をAIの基準で選別する仕組みを、有識者委員会という名前で包んでいる。表面は中立に見えるが、判断の主体はAI側だ。提案書でよく使う構造だった。
「昨日の方から、御社のプラットフォームへの参加の話もありました」と直樹は言った。
「はい。移行を検討される方には、その選択肢もあります」
「法案が通る前提で、人間アーティストを先に取り込もうとしているということですか」
藤岡がわずかに間を置いた。「より多くのアーティストが活動を続けられる形を模索しています」
「法案が通れば、御社のプラットフォームに入っていない人間は商業活動ができなくなる。入れるかどうかを判断するのも御社になる。そういうことですね」
藤岡が少し目を細めた。「……おっしゃる通り、弊社が判断の一端を担う形になります」
「それを、より多くのアーティストが活動を続けられる形、と言うんですか」
藤岡はしばらく直樹を見た。答えなかった。
「収入を得ることはできなくなる、ということですか」
「より効率的な創作の形への移行をお勧めしています」
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直樹はしばらく黙った。
昨日の若い男が「弊社のプラットフォームで取り扱いたい」と言っていた意図が、今になってはっきりした。法案が通れば人間の音楽は商業的に動けなくなる。その前にプラットフォームに取り込んでおけば、AI監修付きの人間アーティストとして残せる。取り込まれなかった者は、許可審査の壁の前で止まる。どちらに転んでも、AI企業が主導権を持つ。
前世の仕事に似た構造だった。結論を先に決めて、それを支持する仕組みを整える。意図した方向に論理を組む方法は、コンサルタントとして知っていた。藤岡に悪意はないだろう。それが合理的だと思っている。問題は、合理的に見えることと、正しいことは別だ、ということだった。
「一つ確認させてください」と直樹は言った。
「どうぞ」
「昨日のライブで、最前列にいた女性が、演奏中に目を閉じていました。その反応は、御社の評価指標で数値にできますか」
藤岡がわずかに間を置いた。「生体反応の計測は技術的に可能です。ただ、それが社会的意義に直結するかどうかは別の議論になります」
「わかりました」と直樹は言った。「参考になりました」
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二人が帰った後、河合が「全部聞いてた」と言いながら出てきた。
「そうだと思っていました」
「どうするつもりだ」
「まだ決まっていません。ただ、何かしないといけないとは思っています」
「半年前、俺も同じ会社の人間がここに来た」と河合は言った。「AI音楽の体験スペースに転換しませんか、って。断った」
「なぜですか」
「嫌だった。それだけだ。理由はうまく言えない。今もここで同じことやってるから、まあ正解だったと思ってる」
ビールを二本持ってきた。直樹は受け取った。
「あの連中は悪い人間じゃないんだろうな」と河合は言った。「俺もそれはわかる。効率が良い方を選ぶのが合理的だって、そういう考え方は間違ってない。ただ、俺はここでライブをやっていたい。それだけだ」
「今日来た連中が言ってた「社会的コスト」ってやつ、それはうちの話でもあるんだよな」と河合は言った。「俺は音楽が好きで、ここで場所を作ってる。それが三兆円の内訳に入ってるかどうかはわからないけど」
「計算式次第では入っています」と直樹は言った。
「そうか」と河合は短く言った。それから「直樹がここで弾いてる限り、俺も続けるよ」とカウンターの方を向いたまま言った。
「ありがとうございます」
「そういうのはいい」と言って、グラスを拭き始めた。
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その夜、アパートに帰ってから、直樹は壁のパネルで法案の議事録を調べた。
委員会の議事録が公開されていた。賛成派の論拠は「社会コストの削減」と「文化の効率的な生産」が中心だった。反対派は「表現の自由」と「文化的多様性」を主張していた。どちらにも正しい部分がある。ただ、反対派の言葉は感情的に見えて、賛成派の数字は客観的に見える。その差が、議論の流れを決めていた。
数字に対抗するには数字が必要だ。ただ、前世でコンサルタントをしていた人間として、三兆円という試算の根拠も怪しいとわかっていた。「人間の創作活動が非効率だ」という前提を受け入れれば、コストの計算は自動的にそういう数字になる。前提が問われていない。
議事録の最後の方に、来月の審議日程が載っていた。本会議の上程が予定される前に、参考人公聴会が開かれる、と書いてあった。当事者の声を聞く機会を設けるという手続きだった。
直樹はその一行を二度読んだ。
参考人公聴会。当事者として意見を述べる場所だ。ミュージシャンがそこに立てるかどうかはわからない。ただ、立てるとしたら何を言うか、という問いが自然に浮かんだ。昨日の最前列の女性が目を閉じた。それは確かに起きた。数値にはならない。ただ、起きた事実として話すことはできる。
言えることがある、という感覚だけはあった。ただ、どこで言えばいいかは、まだわからなかった。どうすれば立てるかも。
視界の右上を確認した。70.00%。変わらない。
壁のギターを見た。明日も弾く。それだけは決まっていた。
次話:第37話「仲間がいた」
直樹が初めて、同じ側にいる人間たちと顔を合わせます。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!




