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第32話「それぞれが、自分の場所で散った」

お読みいただきありがとうございます。戊辰の戦が近づく中、師とカールに動くよう言いました。幕末が終わる夜の話です。

時が経つにつれ、京都の空気が変わった。


 師が回復してから一年以上が経っていた。直之介は書生として師の傍に残り続けた。カールとの交流も続いた。絵と身振りで始まった会話は、一年以上かけてだいぶ複雑な内容を伝えられるようになっていた。直之介が片言のオランダ語を覚え、カールが片言の日本語を覚えた。言語として成立しているとは言い難かったが、三人で机を囲むと医術の話が進んだ。


 その一方で、街から人が減っていた。


 外国人の姿が少なくなった。政変の気配が色濃くなってから、多くの者が京都を離れた。新選組の隊士が路地を歩く数も変わった。沖田と顔を合わせる機会が減った。屯所に行くと、土方がいつもより目を細くして直之介を見た。「来るな」とは言わなかった。ただ、緊張が漂っていた。


 直之介はその変化を確認しながら、日々を続けていた。師の診療は続いていた。カールも来ていた。来るたびに絵と身振りと片言の言葉で話した。ただ、カールの目に不安が混じるようになっていた。街の空気を、カールも感じていた。


 前世の知識では、この先に何が来るかわかっていた。来るとわかっていても、止める手段がなかった。個人が歴史を変えることはできない。できることは、目の前の人間の安全を考えることだけだった。それが直之介にとっての、この時代との向き合い方だった。


---


 戊辰の戦が近づいたとき、師が直之介を呼んだ。


「カール殿が動けないでいる」と師は言った。「西へ行ける手配があるが、一人では難しい。お前、連れて行ってくれるか」


「師も一緒に行きますか」


「行く。ただし俺たちだけでは道中が心もとない。お前が護衛として一緒に来てくれれば、と思っていた」


 直之介は少し考えた。師とカールを連れて、敵対勢力の視線をかいくぐって西へ向かう。師の足取りと、カールの土地勘のなさを考えると、夜明け前に出て裏道を通るしかない。問題は、追われた場合の対応だった。


「行けます。ただ、途中で俺が離れる可能性があります」


「なぜ」


殿しんがりを務めないといけない場面が来たときです」とすぐに言った。「そのときは止まらないで先に行ってください。目的地まで行けば安全なはずです」


 師がしばらく直之介を見た。何か言いたそうな顔だったが、言わなかった。「……わかった」と言った。


 カールに伝えるのが難しかった。殿を務めるかもしれない、という内容は、身振りと絵では伝えにくい。代わりに「先に行け」「止まるな」という二点だけを、繰り返し練習した。カールが頷いた。わかっている、という顔だった。わかっている上で嫌がっている顔でもあった。それでも頷いた。


---


 出発は夜明け前だった。


 三人で西へ向かった。師は足が遅い。カールは土地勘がない。直之介が二人を引きながら、裏道を選んで進んだ。人通りがある大路は避けた。暗い路地の方が目立たない。師が息を切らすたびに少し歩調を緩め、カールが方向を見失いそうになるたびに腕を引いた。


 夜明けの光が遠くに見え始めた頃、後ろから足音が増えた。


 複数いる。足が速い。追ってきていた。


 数は五人だった。道を知っている動き方だった。偶然ではない。誰かが動きを把握していた。こちらの出発を知っていたか、あるいは夜明け前の出立自体が怪しまれていたか。どちらにせよ、今は動くしかなかった。


「先に行ってください。止まらないで」


 師が一瞬だけ振り返った。その顔を直之介は見た。何かを言いたそうだった。言わなかった。師が前を向いて歩き始めた。カールが振り向いた。直之介と目が合った。カールが何かを言いかけた。言葉は出なかった。直之介は軽く頷いた。カールが頷き返した。二人は歩き続けた。


「先に行ってください」と直之介は言った。「止まらないで」


「直之介」と師が言った。


「止まらないで」と繰り返した。


 師が一瞬止まって、それから歩き始めた。カールが振り向いた。直之介と目が合った。カールが何かを言いかけた。言葉は出なかった。直之介は軽く頷いた。カールが頷き返した。二人は歩き続けた。


 直之介は振り返って、後ろに立った。


---


 五人が来た。


 直之介は動いた。


 一人目が刀を抜いた。入れ替わった。崩れた。二人目が来た。体が先に動いていた。考えていなかった。三人目が側面から来た。かわした。四人目が打ちかかってきた。受け流した。脇に入れた。倒れた。五人目が止まった。


 直之介は息を整えた。五人が地面に転がっていた。


 ただ、後ろ足を踏み外した瞬間に何かが来た。気づかなかった六人目がいた。腹に衝撃があった。膝が折れた。


 地面についた。


 遠ざかる二つの背中が見えた。師とカールだった。まだ歩いている。遠くなっている。


 間に合った、と思った。


 言葉にならなかったが、そう思った。師の背中が見えなくなった。曲がり角の先に消えた。それが確認できた。


 地面が冷たかった。朝の空が明るくなってきていた。鳥の声がした。京都の朝の音だった。五年以上、毎朝聞いてきた音だった。


 視界が白くなった。


---


 同じ頃、沖田総司は病床にいた。


 戦があることは聞いていた。外で剣の音がする日も、刀を握れなかった。「すまない」と思ったかどうかは、誰にもわからない。動けなかった。その事実だけが残った。ただ、彼は最後まで刀を手放さなかった。動けなくなっても、手の届くところに置いていた。それだけが、沖田総司という人間のことだったかもしれない。


 土方歳三は函館まで戦い続けた。


 新選組が崩れ、仲間が散り、時代が変わった。それでも刀を置かなかった。「意地だ」と言う人間もいた。「信義だ」と言う人間もいた。「もう終わりだとわかっていたはずだ」と言う人間もいた。本人が何のためと思っていたかは、本人にしかわからない。ただ最後まで動き続けた。動き続けた、というそれだけが事実だった。


 カールは西で生き延びた。後に故国に帰り、日本の医術に関する記録を残した。師・堂島玄斎の名前も、その記録に出てくる。「彼は言葉では伝えられなかったが、何かが確かに届いた」と書かれていた。絵と身振りで繋がった日々のことを、カールは故国で文字にした。


 師は京の外で残りの年を静かに過ごした。弟子を取り、医術を続けた。


 直之介のことを、師は最後まで覚えていた。「変な書生だった」と、弟子たちに話したことがあったという。


---


 それぞれが、自分の場所にいた。


 同じ時代に生きて、それぞれの理由で動いた。直之介はそのことを知らないまま逝った。沖田のその後も、土方の最期も、カールが故国で何を書いたかも、師が何年生きたかも、知らなかった。知ることができなかった。同じ時代を生きた、というそれだけが事実だった。


 前の転生でも同じだった。カインが二十七で死んだことを、直之介は知らないまま生きた。エラが所帯を持ったことも、クルトが王都に移ったことも、後から来た。知る前に先へ進んだ。今回も同じだった。先に逝く側に、いつもなっていた。


 ただ今回は、師を背負って走った夜のことが、最後に浮かんだ。路地を走りながら「死なせない」と声に出た夜。あの夜、師の体が熱かった。その感触が、視界が白くなるときに消えなかった。


 カールが身振りで礼を言った夜のことも浮かんだ。言葉が繋がった、あの三日目の朝も。沖田と並んで夜を明かした縁側も。


 悪くなかった、と思いながら、終わった。


次話:第33話「反省会・二度目」

ルキアとの二回目の反省会が始まります。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!

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