第24話「沖田総司が、診療所に来た」
お読みいただきありがとうございます。診療所に訪ねてきた患者の名前を聞いて、直之介は少し止まりました。沖田総司——前世の記憶にその名前がある。
朝の掃除をしていたとき、診療所の戸が開いた。
入ってきたのは、白い羽織を着た若い男だった。
直之介は一瞬、手が止まった。
その顔を見た瞬間、認識した。以前、路地で走っていたときに声をかけてきた男だった。「体が先に動くようになるまで時間がかかる」と言った男。動きが無駄なく軽い、剣を使う人間の立ち方をしていた男。
その男が、なぜ診療所に。
「診ていただきたいんですが」と男は言った。声が穏やかで、落ち着いていた。それから少し咳をした。軽い咳だったが、直之介の耳に残った。
「どうぞ」と直之介は言った。「師を呼びます」
「あ、大したことはないです。咳止めの薬があれば」
「少し待っていてください」
師を呼んだ。師が出てきて「どうぞ、こちらに」と患者を通した。
男が名乗った。
「沖田総司と申します」
直之介は動かなかった。
動けなかった、という方が正確だった。内部で何かが固まった。
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沖田総司。
前世の記憶に、その名前がある。
新選組一番隊組長。天才剣士。二十代で結核を患い——
頭の中で言葉が浮かんで、直之介は意識してそれを止めた。今は患者として目の前にいる。先の知識を持ち込みすぎると、目の前の人間が見えなくなる。
この感覚は、前の転生では経験したことがなかった。アーデル王国の世界には、先の展開を「知っている」という状況がなかった。ただ目の前の状況に対応していればよかった。今は違う。この男が最終的にどうなるか、大まかな輪郭を直之介は知っている。その知識を持ったまま、今ここで患者として接している。
ルキアが「先のことを知っている。それでも動けるか」と言った。これがそういう場面だ、とすぐにわかった。
今、この瞬間の沖田総司を見ることにした。知識は脇に置く。
直之介は師の隣に座って、診察の様子を見た。
師が「どのくらい続いていますか」と聞いた。沖田が「三日ほどです」と答えた。師が「他に症状は」と聞いた。「特には。少し疲れやすい気はしますが、稽古のせいかと」と沖田は言った。
直之介は沖田の顔を見た。顔色は今のところそれほど悪くない。ただ、咳の音に引っかかりがある。普通の風邪の咳と、わずかに違う。前世の知識が余計な情報を持ち込んでいるかもしれないが、この音は気になった。
「先生」と直之介は言った。「もう少し詳しく診ていただけますか」
師が直之介を見た。少し間があったが、「そうですね」と言った。
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丁寧な診察になった。
沖田が少し戸惑った顔をした。「大したことではないと思うのですが」と言った。師が「念のためです」と言った。しばらく診察が続いた。
直之介は黙って待っていた。師が聴診のような動作をしているとき、沖田が小さく咳をした。その音を直之介はもう一度確認した。軽い、と言えば軽い。ただ、質が引っかかる。
この時代に、結核の診断方法は限られている。師の技量を信じるしかない部分も多い。直之介が前世に持っている医療知識は断片的で、実際の診断に使えるものではない。できることは、気になった点を師に伝えることだけだった。それはもう言った。あとは師の判断に委ねるしかない。
直之介は黙って待った。
沖田は診察の合間、直之介をちらちらと見ていた。最初は気のせいかと思ったが、何度もこちらを見ている。観察されている感覚があった。
「お前、書生にしては変な目をしてるな」
沖田が言った。師がまだ診察中だったが、沖田は普通に話しかけてきた。
「よく言われます」と直之介は答えた。
「どこを見てるんだ、今」
「先生の診察の様子です」
「嘘だな」とすぐに言った。「俺を見てた。ずっと」
直之介は少し考えた。
「はい。少し気になる点があったので」
「何が気になる」
「咳の音です」
沖田が静かになった。師も手を止めた。
「どこが気になった」と師が聞いた。
「音に少し引っかかりがあります。風邪の咳とは少し違う気がして。俺の思い違いかもしれませんが」
師がまた診察を続けた。今度は少し時間をかけた。
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「剣、やるのか」とその間に沖田が言った。
「少し」と直之介は答えた。
「嘘くさい」と沖田は言った。即座だった。「書生が「少し」と言うとき、大体少しじゃない」
「経験則ですか」
「なんとなくだ」とすぐに答えた。「でも、変な目つきをしてるのはそういう人間が多い。俺の周りで。物の動き方を見てる目だ。それが書生には似合わない」
直之介は何も言わなかった。否定する気にもなれなかった。
「道場、どこで習った」
「独学に近いです」
「それも嘘くさい」
「ほぼ本当です。師に当たる人間はいましたが、正式な弟子ではないので」
沖田が「ふうん」と言った。少し間を置いた。
「前に、路地で見かけた。走ってたな」
「走っていました」
「盛大に躓いてた」
「躓いていました」
「それで「少し」やってるのか」と沖田は言った。笑っていた。馬鹿にした笑い方ではなく、純粋に面白がっている顔だった。「変わってるな。剣の使い方を知ってる目をしてるのに、体が追いついていない。そういう人間は珍しい」
「……鍛え直しているところです」と直之介は言った。
「遠回りだな」
「そうかもしれません」
沖田が「ふうん」とまた言った。それ以上は聞かなかった。
師が診察を終えた。「今のところ特に重篤なものは見当たりません。ただ、よく休んでください。稽古の頻度が多いなら、少し落としても良いかもしれない」と言った。沖田が「そうですね」と言った。答え方が少し曖昧だった。落とす気はないが返答だけした、という感じだった。
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薬を包んで渡した。沖田が受け取って、立ち上がった。
「よく来るほどの街の診療所に、変な書生がいるもんだ」と沖田は言った。軽い言い方だった。
「お大事に」と直之介は言った。
「また来るかもしれない。そのときはよろしく」と沖田は言った。それから少し考えるような顔になった。「……路地で走ってたな。続けろよ。体は慣れる。必ず」
直之介は少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことじゃないが」と沖田は言った。軽い声だった。
沖田が出ていった。戸が閉まった。
直之介は少しの間、閉まった戸を見ていた。
前世の知識が頭にある。この人物がどういう運命を辿るか、大きな流れは知っている。二十代で病に侵され、最終的には——
止めた。
今の沖田は、ここにいた。声が穏やかで、観察が鋭くて、咳をしながら笑っていた。それが今ここで確認できた事実だった。先の話は先の話だ。今の直之介にできることと、できないことがある。今できることは、咳の音に気づいて師に診てもらうことを促したことだった。それだけで十分かどうかはわからないが、それしかなかった。
前の転生では、カインが最前線で死んだ。ナオには防げなかった。その後悔が、今もどこかに残っている。今回は、先のことを知っている。だからといって何でも防げるわけではない。ただ、気づいたことに対して何もしないよりは、動いた方がいい。それだけだった。その判断が正しいかどうかは、この転生が終わってみなければわからない。
「あの客、また来るな」と師が言った。
「そうですね」と直之介は答えた。
「お前、何か知ってるような顔をしてたが」
「勘違いだと思います」と直之介は言った。
師が少し見た。それから「そうか」と言って、次の患者の準備を始めた。
視界の右上を確認した。35.00%。変わっていない。
ただ今日は、数字より別のことが頭にあった。
次話:第25話「止まらないな、お前は」
沖田が空き地で「確認だ」と言います。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!




