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第23話「言葉が通じない男と、三日間」

お読みいただきありがとうございます。ある朝、診療所にオランダ人医師カール・ハイネスが現れました。言葉はまったく通じない。ただ、絵と身振りがあれば、何かは伝わるかもしれなかった。三日間の話です。

師が困っていた。


 診療所の座敷に、外国人が座っていた。


 体格が大きく、髪が薄い茶色で、目が青い。年齢は四十代に見える。身なりは整っていて、医療の道具と思われるものを革の鞄に入れている。師・堂島玄斎が「こちらはカール・ハイネス殿。オランダ人の医師で、蘭学の交流のために来てくださった」と直之介に説明した。


「先生のオランダ語は」


「読むのは問題ない。話すのは」と師は言って、少し黙った。「……聞いたことはあるが」


 カール・ハイネスが何かを言った。師が「うむ」と言った。意味がわかっているのかどうかわからない反応だった。カールが別の言葉を言った。師がまた「うむ」と言った。


 直之介は少し考えた。


 前世の記憶に、オランダ語の知識はない。英語は多少あったが、この時代の標準的な異国語はオランダ語だ。話せない。師も話せない。カールも日本語は話せないらしかった。


 ただ、言葉が通じないことと、意思が伝わらないことは、必ずしも同じではない。


「少し試してみていいですか」と直之介は師に言った。


---


 最初の方法は、絵だった。


 紙と筆を持ってきて、簡単な絵を描いた。師が今患者に使っている治療の様子を描いて、カールに見せた。それから問いかけるような顔をした。


 カールが首を傾げた。笑った。笑い方は悪意があるわけではなかったが、要するに伝わっていなかった。


 次に、物を並べた。


 診療所にある道具を出して、自分が指差した後、カールの道具袋を指差した。同じ種類のものを比べたい、という意図だった。カールが少し考えた顔になった。まだ確信には至っていないが、何かを読もうとしている顔だった。


 三番目に、身振りを使った。


 師が患者の腹を診る動作をして、その後カールを見た。カールが何かを言った。師が「うむ」と言った。直之介は「先生、今のは多分そこを診るのはどうやっているかという質問だと思います」と言った。師が「そうなのか」と言った。「そう思います」と答えた。師が腹診の動作をもう一度やった。カールが少し目を細めた。


 何かが届いた気配があった。全部ではない。一割か二割程度だが、ゼロではなくなった。


 前の転生で、パーティーの動きが合ってきたのは、言葉より先に体の動きが噛み合い始めたからだった。言語が違っても、相手が何を意図しているかを読もうとする姿勢さえあれば、少しずつ繋がっていく。その感覚に似ていた。


 一日目は、それで終わった。


---


 二日目、カールがまた来た。


 昨日より少し早い時間だった。鞄の中から、何かを取り出した。医術の書籍に見えた。ページを開いて、挿絵を指差した。人体の図だった。それから直之介を見た。


 直之介は絵を見た。昨日と同じ種類の問いかけだ、と判断した。師の棚にある書物を取り出して、似た絵を探した。見つけた。二冊を並べた。カールが少し前に出た。二冊を交互に見た。そのまま師の方を向いて、何かを言った。


「うむ」と師が言った。


「先生、これは多分、どちらの流派の診法か聞いています」と直之介が言った。


 師が「どこからそれがわかるんだ」と言った。「絵の方向から、方法を比較したいんだと思います」と直之介は答えた。師が少し間を置いてから、蘭書のページを指差して、日本語で説明を始めた。カールが聞いていた。言葉はわからないはずだが、師の表情と指差した箇所から何かを読み取っているようだった。


 二日目の終わりに、カールが帰り際に何かを言った。


 直之介には意味がわからなかった。ただ、声の調子と目の動きから、礼を言っているのはわかった。


---


 三日目。


 カールが来るなり、自分の鞄から紙を取り出した。絵が描いてあった。昨日師が指差した書物の挿絵を、カール自身が模写してきたものだった。そこに書き込みが入っている。文字はオランダ語で読めないが、矢印と図の向きから、師の説明に対する自分の解釈を書き込んできた、ということがわかった。


 直之介は少し動かなかった。


 これは、こちらの方法で返してきた、ということだった。言葉ではなく、絵と図で会話しようとしている。昨日と一昨日のやり取りを見て、カールも同じ方法を試してきた。相手が方法を覚えた。


「……繋がった」


 声に出していた。


 師が「何が繋がったんだ」と言った。直之介は「こちらが使った方法を、カール殿が使い返してきました。言葉がなくても、方法が共有された、ということです」と言った。師がしばらく考えた顔になった。「……なるほど」と言った。


 前世では、コンサルタントとして何度も「話の通じない相手」に直面した。そのたびに、言葉を変えるか、資料を変えるか、相手の前提を変えるか、三つの方法で対処してきた。言語という壁は今回が初めてだったが、構造は同じだった。相手が何を見て何を理解しようとしているかを読む、という部分は変わらない。


 師が首を傾げた。直之介はカールの絵を師に見せた。「先生、昨日の説明に対して、これはこういう解釈で合っているかという確認だと思います」と言った。師がしばらく眺めた。「……この図の向きは、こっちの方が正確だな」と言いながら、カールに向かって絵を指差した。カールが頷いた。


 そのまま、三人でしばらく時間が過ぎた。言葉は通じていなかった。それでも、何かが進んでいた。師が医術の話をするとき、カールが絵で返してくる。直之介がその間を埋める形で補足する。ぎこちなかったが、機能していた。


---


 カールが帰った後、師がお茶を淹れてきた。


「お前、変な才能があるな」と師は言った。


「そうでしょうか」


「言葉が通じない相手と話せる。いや、話せるというより——通じさせようとする方法を、お前は考えている」


「言葉がないだけで、伝えたいことはあるはずなので」


「普通は諦める」と師は言った。「外国人が来ると、話せないからわからない、で終わる。お前はそうしなかった。なぜだ」


 直之介は少し考えた。


「諦める理由がわからなかったからだと思います」


 師が「そういう人間が、たまにいる」と言った。何か長い話を思い出しているような顔だった。「カール殿は、いい人だと思う。長く滞在するなら、またつないでくれ」


「わかりました」


---


 夕方、薬を買いに外に出た。


 路地を曲がったところで、声が聞こえた。


 攘夷派の浪士らしい男が三人、外国人を囲んでいた。外国人は商人風の男で、カールではない。男は何を言われているかわからない様子で、ただ立っていた。浪士の一人が「異国の犬が」と言った。声が大きかった。


 直之介は足を止めた。


 直接出るべきか、という判断が数秒間あった。ただ今の体は、浪士三人を相手にできる状態ではない。昨日の素振りで体が軋んでいる。この状態で割り込めば、かえって状況が悪くなる。


 近くの自身番に知らせた。それだけにした。


 外国人の男は、その後無事だった。ただ、路地に戻る前にその様子を見ながら、直之介は考えていた。


 カールはいずれ標的になる。今日のは商人だったが、外国人がいるというだけで標的になる時代だ。カールが診療所に来る頻度が上がれば、目立つ。目立てば来る。それはこの街の構造だった。


 何かできることがあるかどうかは、今はまだわからなかった。


 視界の右上を確認した。35.00%。変わっていない。今日の動きは、自分が「選んだ」という実感より、「問題があったから対処した」に近かった。カールと三日間かけて繋がったことは、ナオにとって手応えのあることだった。ただ、それがゲージを動かす種類のものかどうかは、自分ではわからない。


 診療所に戻ると、師が夕飯を用意していた。二人で食べた。師が「カール殿はまた来週来る」と言った。「今度は蘭書を数冊持ってくると言っていた」「聞き取れたんですか」「身振りでわかった」と師は言った。少し笑っていた。


 直之介は「わかりました」と答えて、飯を続けた。


次話:第24話「沖田総司が、診療所に来た」

新選組一番隊組長が、咳止めの薬を求めてやってきます。

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